河合雅雄 丹波ささやま
山家の猿便り
私の原点は、故郷・丹波篠山にある。
生き物たちとたわむれ、日々、野山を駆けめぐった・・・。
児童文学作品
木城えほんの郷インタビュー
木城えほんの郷対談:森一代×河合雅雄
ー「木城えほんの郷」を訪れるのはこれで二度目だ。ここは、もう一度来てみたいという気持ちになる素敵なところだ。ー
【河合】「木城えほんの郷」に伺うのはこれで二度目なんですけどね。数年前講演に呼んで頂いてここへ来たんですが、あんまり素敵な所だったから、もう一度行ってみたいとそういう気がおこるところですね。
【森】ありがとうございます。
【河合】ここ本当に山奥でしょ。とっても自然とマッチしていいんですけども、こういう所に「えほんの郷」っていう文化施設が造られたってことが驚きです、こんなところによく造られたなぁという気がするんですが。これは町立ですね?
【森】そうです。木城町が造ったんですけども、元々は村おこしで造られたんですね。最初はこの「えほんの郷」ということではなかったんです。
【森】不幸にして最初の事業がうまくいかなくて、事業内容を変更しないといけないという時になって・・・。それが12年位前です。
これから絵本が大事になってくるんじゃないかということで、今、絵本の郷の村長をしています版画家の黒木郁朝(くろきいくとも)さんが絵本でいこうと。それで、絵本をキーワードに内容を変えていったんです。こんな山の中でしょう・・・。
【河合】そうですね。ちょっと気になるのは不便なところだということ。みなさん利用されますか?さっき子供さんたちがたくさん来ていましたね。どこから来ていたんですか?
【森】あの子どもたちは、このすぐ下の小学校の石河内小学校の子どもたちが毎月一回「お話し会」もっと自然を豊かにしていくためには、やっぱり子供の本、絵本を中心とする施設をつくったらいいんじゃないかと考えられたんですね。本当にコテージにはテレビもないし、本をここからお部屋に持って行って、親子で読んだり、楽しんだり、会話がいっぱいできますしね。本当に遊ぶ遊具施設みたいなものがありませんのでね。ここで野の花見たりとか、この草は何だろうってしたり、池の中のおたまじゃくしだとかいろんな生き物が・・・ヘビがいたり、トカゲがいたりとか、カエルがいたりとか・・・。そんな生き物がいっぱいいますので、親子で、本当に家族で楽しんでいますね。
【河合】いいですね。本当に「こうあったらいいなぁ」と思うことが、ここにできているから本当に感心しました。
ここにはコテージがありますよね。本を借りてきて、自炊しながら親子で本を読む。一晩過ごしていく。本当にいい生活だと思いますね。
児童文学インタビュー
ー一番初めに書いた作品は「少年動物誌」だ。この作品は僕の子ども時代の動物とのさまざまな交流を書いたものだ・・・。ー
河合先生はサル学の研究者でありながら、子どもの本をたくさんお書きになっていますけれども、きっかけっていうのはどういったところなんですか?
【河合】きっかけっていうのはね、だいたい子どもが好きだし、子どもの教育にとても関心があるからです。それに文学の中で、児童文学に非常に興味あるからです。
それで、一番はじめに書いたのが「少年動物誌」なんです。あれは僕の子ども時代の体験なんだけど、と同時に同時代の一人の少年と動物とのいろんな交流でもある。あの本の中の二つは、実は僕が高等学校の時に書いたんです。
そのころはね、いわゆる文学青年じみていて、「文学部でも行こうかなぁ。」と思っていたこともあるんですけどね。結局、「自分には文学の才能がないな。」と思って諦めました。それで長い間、あの作品は眠っていたんですよ。
けれど、50才になってね、出版社の人に雑談として喋ったら、一度見せてくれっていうことになった。その時、今は無くなった「子どもの館」っていう児童文学の雑誌を福音館から出すことになったんです。そこにどうしても載せたいと・・・。
僕はあの時は、本当にすごく恥ずかしくてね。だいぶ断ったんだけれども、とうとう長い間眠っていた子どもをそのまま眠ったまま死なすのもかわいそうだし・・・やっぱりなんか命を与えてみたいなという気もあってね。そこで「子どもの館」に連載することになった。元の2編はかなづかいですからね・・・そんなのをちょこちょこっと直して、それから後は新たに書いたわけです。その時はペンネームをつくって書きました。
ペンネームは、どういったペンネームですか?
【河合】それがね、おもしろい名前でね、「草山万兎(くさやままと)」っていうんです。
「まと」?どういう意味があるんですか?
【河合】僕は子どもの時、兄弟6人でしょ。みんな愛称で呼ぶじゃないですか。
僕は「マト」って呼ばれていたんです。僕の弟は「ミト」っていうんですよ。僕の上の兄貴は「タント」っていうんだけどね。それがなぜかって言われたって困るんだけど・・・。そういう風に兄弟では呼び合っていた。
それともうひとつは、その「ト」っていうのを「兎」にしたのは僕の動物の社会の研究の一番最初が兎なんですよ。だから・・・。
兎の思い入れが・・・。
【河合】そうそうそう、万の兎。「まんと」とか色々言われるけどね。
「まと」なんですね。
【河合】そうです。
それで、もう今、ずいぶんお書きになっていますよね。そのお名前で。どういった思いがあるんですか。
【河合】僕は一応自然科学者として、動物の行動とか社会、生態を専門にしているわけでしょ。それで論文を書くわけですね。
科学論文というのは、事実っていうのが絶対大事なんですね。それを精密に分析して、記載してということをやっていくわけですよ。そう送っているんですよね。「別れを惜しんでいるなぁ。」という思いが湧いてくる。
しかしそれは、論文には絶対書けないんです。「動物って本当に悲しむのか。別れを惜しむなんていう気持ちを動物は持つことができるのか。」って言われたら証明できないじゃないですか。
だから、科学論文っていうのはきまった方法論に従ってデータを分析し、それをグラフや表であらわしていくでしょ?それはそれで一つの真実をあらわすことは事実です。でも、なんかねすごく大事なものが落ちた気がするんですね。
それに対しては別のひとつの表現様式がある。そのひとつが文学なんですね。たとえば「シートンの動物記」っていうのがあるでしょ。彼は百年前の人ですけどね。僕の大好きな尊敬する人です。一方では宮沢賢治という・・・本当に僕の畏敬する人です。もちろん賢治さんも自然科学やってきた人ですけども、それとは別のまるで違う心象世界を持っているでしょ。だから、僕もシートン的な立場から「動物記」を書いてみようという気持ちになっていくつか動物ものを書いてきたわけです。
表現方法として、ひとつは論文で、もうひとつそこで書けなかったものを「動物記」や子どもの本でということですか。
【河合】そうですね。あくまで「動物記」ですから自然科学的な、事実というものをね。下敷にして書く。つまりは空想であったり、ファンタジーになってはいけない。
だから、できるだけ、たとえば悲しんでいると書けるかどうか、ギリギリのところまで書くっていうやり方ですね。チンパンジーだったら「悲しんでいる。」っていう風に思ってもいいんじゃないかと思う。つまり表情もあるし、僕らと心が交いてあうところがあるでしょ。ところが、「コオロギが悲しんでいる。」とか、「ミミズも悲しんでいる。」とかは、やっぱり言えないじゃないですか。そこまでいったら、ほんとに絵本の世界の話になるでしょ。
そこのところは、動物学の範疇の中でギリギリのところまで、彼らの感情あるいは知能の問題に接近してみて、それを「動物記」で表現しよう、そういう「動物記」なんです。
木城えほんの郷の紹介
木城町は、宮崎県のほぼ中部にある人口5,700人の小さな町です。全体の9割近くが山林で占められています。宮崎市から車で一時間余り、緑深い山々に囲まれた自然豊かなところに木城町立木城えほんの郷があります。子どもの本の専門店や絵本の美術館や図書館があり、大自然の中で絵本を心ゆくまで楽しむことができます。
児童文学対談
永田萠×河合雅雄 inトアステーション
ー絵本作家の永田萠さんと、淡路花博の時に、「自然と人間の共生」をテーマにした「ユカの花ものがたり」という絵本を作った・・・。ー
【永田】本は楽しいですね。先生も私も子供の頃あんなに本に夢中になった・・・その小さな自分がまだ心の中におりますものね。
先生の少年時代はご本で随分と想像ができますけれど、豊かな時代をお過ごしになられて・・・。
【河合】そうですね。自然が本当に豊かだった時代・・・今とは比べものにならないほど豊かだったことは確かですね。
例えばね、扇風機。それがなくても本当に涼しかった・・・。空気がきれいだから風がさわやかだった。
絵本ではね、「正ちゃんの冒険」。
今、切手になって出てますよ。持ってくれば良かった・・・。ご存知ですかね。
【永田】そうですか?あー、正ちゃん帽っていうあの・・・。絵が浮かびます。
【河合】シリーズで出版され・・・いわゆる劇画風になっているわけですよ。あれは大正時代のものですけど、兄貴が持っていましたから。我々取り合いして読みましたね。
【永田】先生は男の子ばかりの6人兄弟でいらして、きっと賑やかだったでしょうね。
【河合】それとですね。絵本ではなくってね、マンガでは「のらくろ」。
【永田】あぁー「のらくろ」。これは知ってます。
【河合】それから「冒険タン吉」。むしろ挿絵にこの人って方が多かったですね。
【永田】当時の代表的な画家の方たちですね。
【河合】武井武雄とか、初山滋とか、加藤まさをそれから竹久夢二ですね。そういう人たち。それは、もう、すごい個性的で特徴があって、絵としてもとっても素晴らしかった。
【永田】今またブームなんですよ。今あげられた全ての方たちの画集が・・・。
私は、その方たちのちょっと後の世代、例えば初山滋さんのお弟子さんにあたられる、いわさきちひろさんの描かれたアンデルセンの童話集で育った世代なんです。
でも先生と私やっぱり共通点がありますね。私の子供時代の絵本も今のような最初のページから最後のページまでカラーのイラストが入るような贅沢な絵本はほとんどありませんでした。だから、小さい私は表紙があって、真ん中に口絵で1枚くらいカラーのイラストがある童話集を見て、この絵に全部色が付いてたらどんなに嬉しいだろうと思っていました。
【河合】永田さんの頃は講談社の“おもしろくて、ためになる絵本”というのがあったんですね。
【永田】はい。あのシリーズです。懐かしいですね。
【河合】“おもしろくて、ためになる”という言葉はね。今でも僕は使ってますよ。
【永田】それは並び立たないといけないことですものね。どうもためになるものというのは、おもしろくなくて・・・。おもしろいだけというのもちょっと違うおもしろさで、ためにはならないような気がしますね。
でも、私は今、先生のおっしゃられる“その精神”というものは、子どものために一流の文学者や一流の画家や一流の科学者が、自分たちの中にある一番いいものを伝えようとして存分に力を振るわれた、そういう時代だったという印象がありますね。
【河合】そうなんですね。僕はね、小学3年の時、小児結核になりましてね。小学校を本当に半分くらいしか行っていないんです。だから随分寝ていたわけですけどね。
その頃もちろんテレビはないし、ラジオもないしね・・・絵本もない。ただ、児童文庫というこのシリーズね。70巻あるんです。これは大正時代から昭和の初めに出たものですけどね。この本があったから助かった。
【永田】70冊で全巻ですか?すごいですね。
【河合】それが世界の童話から民話から歴史・・・そのいろんなものが百科事典みたいなものですけれどね。
この本はね。あの北原白秋っているでしょ。弟の北原鉄雄っていう人が出版社を作って出しているんですけど、当代の本当に当代一流の学者、文学者それから絵描きに書かせている。ですから、文章が非常に素晴らしいんですね。子どもの時っていうのは理屈はいりませんよね。感性に訴えるわけでしょう。僕が小学校3年、4年、5年の時はこれにおぼれきっていたわけです。もう何度も何度も読むでしょう。そうするとね、だんだん、なんとなく文体感覚まで身についてくるわけです。
【永田】先生ちょっとここで、私たちの本の話をいたしませんか?今日なぜ私が先生の隣に座らせていただいているかといいますと・・・。この『ユカの花ものがたり』という先生が書き下ろしてくださったお話に私が絵を書いているからなのです。
私、これを読みますとね、先生がこれだけ豊かな物語を少年時代に余すとこなく読み込まれて、文学者となられた先生が子どもたちへのメッセージをお書きになっているということがよくわかります。
【永田】だって、ここには、真実とね、それから真実と相反する、(真実でないこととは違うんですが)ファンタジーがね・・・つまり現実と想像の世界が共存しているんですよ。
私は花と妖精ばかり描く絵描きですから当然妖精が出てきます。でも、その背景となる世界が先生のご専門の分野なんです。
【河合】理屈っぽいんですよ。
【永田】いえいえ・・・自然科学ですよね。自然のルールをね、ちゃんと正しく伝えて下さっているんです。でも、なおかつファンタジーなんです。その二つの要素が先程のお話にも通じるんですが、現代ではいっしょにならずに、はっきり分かれてしまっている感じがあるんですね。
おとぎ話はもう荒唐無稽で、なんでもありの不思議の世界でいい。リアルな話は非常に現実的で、そこに何の救いもなくリアル一点張り、っていうように、二つの要素がちょっと乖離しているところがあるんですが・・・。
私たちの作りました本は、素晴らしい自然科学の知識と、心を旅立たせてくれる、ファンタジーや平和と共存いえ共生していますよね。「共生」というのがこの絵本のテーマですので。
これをお作りになるにあたっての少し先生にご苦労話をお聞きしましょう。
【河合】これはあの、淡路で花博があったでしょう。あの時に頼まれて書いたんですけどね。
当時・・・今でもそうだけど「共生」っていう言葉はものすごく流行っていますね。
【河合】「自然と人間の共生」なんていうのは、これから一番大事だと言われている。
でも考えてみれば「自然と人間の共生」って、どういうことでしょうね。
もともと、共生っていうのは生物学の用語なんですが、じつに安易につかわれている。「人間と自然の共生ってどんなことか。」っていうのがこの本の主題なんです。
動物たちはね、昆虫でも鳥でも本当に自然とたくみに共生関係をもっている。では、人間はどうなんだろうっていう事なんです。
実はね。「共生」といったって二つありましてね。皆さんは「共生」っていったら、お互いに利益を交換し合う関係を、共生と普通思っている。
例えば、昆虫と花だけどね。これは完全にほとんど共生しているわけです。花はどうしてあんなにきれいかといったら、昆虫を呼び寄せるため。花はどうして匂いが良いかっていうと昆虫を呼び寄せるため。昆虫に花粉を媒介してもらうために呼ぶわけでしょ。
【河合】その代りに、ごちそうをあげましょうって蜜を作るわけですよね。そして昆虫は蜜を貰う代わりに他へ花粉を媒介する。
だから、昆虫はおいしいものをもらい、花は花粉を媒介してもらい、互いに利益を交換する。こういうのを普通「共生」っていっている。こういうお互いに利益を与え合う関係を「相利共生」と呼んでいるんです。
【河合】ところがね、例えば体の中に回虫がいるでしょ。これも共生じゃないですか、人と回虫は一緒に生きているんだから・・・。この場合は回虫だけが得して人はなんにも得しない。むしろ害だけもらうんじゃないか。それも共生に一種です。ところが別の共生の仕方がある。
【河合】例えば、樫の木に鳥が巣を作っている。鳥はそっくり隠れられるし、巣が作れるし、ものすごくいいわけでね。ところが、樫の木は何にも得しない・・・。ただ樫の木は損もしない。こういう共生もある。実際いろんな共生のタイプがあるわけね。このように、一方が得をし、他方が損をするあるいは何も利益を得ないという関係を、片利共生というのです。
じゃあ人間はどうなのかっていったら、自然からいろんなものを貰って、自然を利用して生きているわけでしょ。しかし自然に何を返しているんでしょう?自然を壊すばっかりじゃないですか・・・。
【河合】つまりね、そういうのは、ヘタしたら寄生虫みたいな存在になりかけている・・・。だから人間と自然は片利共生の関係にある、こういうことなんですよ。
人間と自然というのは片利共生の段階にあるから、大事な事は、自然からいろんな恵みを貰って生きているんですよってね、そういう謙虚な気持ちが必要ですよ。こういう考え方をね、理屈っぽく本にしたから・・・。
【永田】先生。全然、理屈っぽくないです。
【河合】僕はね、ためになることばっかり書いているわけ。“それをおもしろく”、ファンタスティックな世界の中で表現するのは、これは永田さんしかいないなって・・・。それで一緒に作ったんですね。
【永田】ちょうど先生がおっしゃる、人間が自然に対して一方的に利益を得るばかりというエピソードの・・・これモーリシャス諸島のタンバラコックという大きな木のおじいさんが出てくるんです。このお話がね・・・。
【河合】木が全部ね・・・300年以上。
【永田】すごく象徴的なんです。先生ちょっとタンバラコックの話を。
【河合】インド洋にモーリシャス群島というのがあるんですよ。そこに、タンバラコック(現地の名前ですけどね)という木があるんです。
ところがね、全部300歳以上なんです。そして花も咲かせ、実もなるんです。
でも子供の木がまったくない。若い木がないんですよ・・・。
【河合】植物学者は非常に不思議がっていたんですね。こんな大木ばっかりで・・・。そのわけがようやくわかったんです。それはこの島に昔、ドードー、ドードー鳥っていう鳥がいた。これはご存知の方があると思うんですね、「不思議の国のアリス」に出てきて、その絵がちゃんと描いてある・・・。
【永田】おもしろい鳥ですよね。
【河合】くちばしがこんな大きなね・・・飛べない鳥なんですよ。七面鳥のもっと大くしたような鳥なんですけどね。
これがね、タンバラコックの種が大好きなんです。それを一番好きで食べているわけです。
果肉は消化されるが、種子はお腹をくぐってウンコになって出る。そしたらはじめてその種が発芽するんです。
ところが、あのドードー鳥は人間が滅ぼしてしまったんですよ。そうしたら、タンバラコックが種をいっぱい落とすんだけども、発芽しない。なぜならドードー鳥が食べてくれてお腹をくぐらなきゃ駄目なんですね。
それはどういうことかというと、木というものは、種を落としちゃうと、そこだけで生えてきちゃうと困るわけでしょ。遠く持って行って欲しい。
だから、ドードー鳥に種の周りを美味しくして食べてもらって、ドードー鳥が遠くへ行って、後はだいたい24時間後にウンコになって出るでしょ。方々に種をまいてくれるっていうしかけなんです。完全なこれは相利共生ですね。
そういう関係があったわけです。その相利共生の輪を人間が切っちゃったから、タンバラコックはお爺さんお婆さんだけになっちゃった。その結果、若者がいないという悲劇が起こったわけです。
世界中の動物たちと知り合いになろう!
児童文学作品
アフリカのゲラダヒヒや南アメリカのアルマジロから、私たちの身近にいるカラスやウサギまで、草山万兎の作品は世界中の動物たちが大活躍する物語だ。
蝶(ちょう)を捕(つか)まえるコツは?
ネコはお母さんに教えてもらわないとネズミが捕(と)れない?
カラスは夜どこで寝るの?ヘビになるカエルってどんなカエル?ゲラダヒヒはけんかがきらいなんだって?
いろんな疑問をもったら、もうあなたは動物博士(はかせ)!
ひげ小父さんと野山に出て、自然の空気を感じてみよう。(林美千代)
少年動物誌
少年動物誌(1976.5)
日本の子どもたちのごく身近に豊かな自然が残っていた昭和のはじめ、マトとミトの兄弟は、野に出、川に遊んで腕白(わんぱく)な少年時代を過ごしていた。鯰(なまず)、蛭(ひる)、イタチ、ネズミ、蛇(へび)など多種多様(たしゅたよう)な生き物と真剣(しんけん)に向き合う子どものエネルギーは強烈(きょうれつ)で、魅力的(みりょくてき)だ。マトの心は、時に病床(びょうしょう)にあって物悲(ものかな)しく、時に滑稽(こっけい)なほどエネルギッシュになって動き回る。里山(さとやま)の美しい風景(ふうけい)の中で、抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)のエピソードが独特(どくとく)の美しい文体で繰り広げられる。著者の少年時代をもとに描いた10編の短編の中から、3編の話を紹介する。
あらすじ
「モル氏」夜店(よみせ)で貯金をはたいて買ったモルモット。ぼくは上手に育てて増やそうと、小屋を作りエサの調達(ちょうたつ)に励(はげ)む。3年たって70匹に増えたモル氏の小屋は大混雑(だいこんざつ)。雄(おす)同士の大喧嘩(おおげんか)、発情(はつじょう)した雌(めす)の悲鳴(ひめい)で修羅場(しゅらば)となった。モル氏を買いに来る子ども現れ、小屋はやっと落ち着きを取り戻した。だが寒空(さむぞら)のもと、貪欲(どんよく)なモル氏のための草刈りは頭痛(ずつう)の種だ。ぼくらは青々とした麦畑を見つめる・・・
「森と墓場(はかば)の虫」夏も終わりに近づいた日照り続きの日、ぼくらは普段(ふだん)は行かない権現山(ごんげんさん)の南側に、新種を求めて昆虫採集(こんちゅうさいしゅう)に行く。そこには墓地があって死人の陰鬱(いんうつ)な雰囲気(ふんいき)をかもし出していた。ぼくは古井戸(ふるいど)のそばでロクロ首の奇妙(きみょう)な甲虫(こうちゅう)を捕(つか)まえ、つうさんはカラスアゲハに捕虫網(ほちゅうもう)を振りかざした。墓地の巨大な森は、恐怖(きょうふ)と不安をかきたてる。ぼくは命がけで走った。家に帰って図鑑(ずかん)を見ると、墓地で捕らえた甲虫はなんと「普通種」と書いてあった。
「魔魅(まみ)動物園の死」熱を出して病床にいたとき、ぼくは1時間おきに餌(えさ)を与えて小雀(こすずめ)のチー子を育てた。また、ぼくとミトは臭(くさ)い虫を集め、屁(へ)こき軍団(ぐんだん)を作る計画を立てていた。屁こき城を中心に、魔魅動物園を庭に建設し、今までいたイヌやニワトリ、十姉妹(じゅうしまつ)、魚やエビ、いろいろな虫を飼おうというのだ。そこにきみの悪い声を出す幼鳥(ようちょう)まで加わった。その怪鳥(かいちょう)は、二人の取ってくる蛙(かえる)をむさぼり食い、動物園を荒らしまわり、強烈(きょうれつ)な臭気(しゅうき)の糞(ふん)をした。屁こき軍団の精鋭(せいえい)もかなわず食べられてしまう。ぼくらはとうとう怪鳥のゴイサギを追放(ついほう)することにした。秋、虫たちは死に絶え、チー子も亡くなって、魔魅動物園は空っぽになった。木枯(こが)らしの季節がやってきた。
富山市ファミリーパーク提供
神戸市立王子動物園所蔵
富山市ファミリーパーク提供「スズメ」
富山市ファミリーパーク提供「ゴイサギ」
《本文1_1》
モル氏が子どもを三匹産んだ。モルモットのことを、いつのまにかぼくらはモル氏と呼(よ)んでいた。お父さんがいいだしたらしい。雌(めす)でもモル氏だ。お母さんはモル氏ちゃんという。モルモットという呼(よ)びかたは、ごつごつしていいにくい。モル氏のほうがなんぼかいい名前だ。
「あっ!玉獅子(たまじし)やないか。その白いやつ」
道男がびっくりして叫(さけ)んだ。毛がヤマアラシのように立っていて、ルビーのような紅(あか)い目をした綿(わた)のかたまりが、ミカン箱(ばこ)でつくった巣(す)から顔を出している。〈八十銭(せん)もうけたぞ。三匹で二円だ。もう元がとれたわい〉ぼくはほくそ笑(え)んで、草をどっさりやる。なんだか笑(わら)いかたが、中折帽(なかおれぼう)のおっさんににているようで、ちょっといやな気分だ。
《本文1_2》
モル氏の子どもは、生れたすぐから目が開いていて、半日もたつと草をかみはじめる。
すこしでも音がすると、小走りに巣(す)の中へとびこんでいく。チビのくせに、とても用心深い。道男と二人で小屋の中をきれいに掃除(そうじ)し、新しい藁(わら)にとりかえてやると、切り藁(わら)をけたて、サッサッとこころよい音をさせながら、気持よさそうに走りまわる。新しいシーツを敷(し)いた布団(ふとん)の上を、風呂(ふろ)あがりの裸(はだか)で転げまわるときのあのさわやかさ-モル氏はそんな気持なのだろう。ウンコ沼(ぬま)にはもうしないから、安心しろ。
《本文2_1》
つうさんは、捕虫網(ほちゅうあみ)を高くあげて、カラスアゲハにとびつこうとした。その瞬間(しゅんかん)、墓(はか)石に足をとられて、前につんのめり、葉鶏頭(はげいとう)を二、三本へし折(お)ってひっくり返った。ぼくたちはあっけにとられて、石の間でもがいているつうさんのお尻(しり)を眺(なが)める。カラスアゲハはゆったり飛(と)びたって、つうさんの上を滑空(かっくう)し、金紫(きんし)にかがやきながら、森の中に空に向って穴のようにあいている、明るい空間を伝って昇(のぼ)っていく。
お尻(しり)がもぞもぞ動き、つうさんが起きあがった。つうさんは捕虫網(ほちゅうあみ)の柄(え)を杖(つえ)にして、ぎりぎりと体をよじりながら、痛(いた)そうに顔をしかめた。
《本文2_2》
ぼくたちはしゅんとなって黙(だま)りこくった。墓場(はかば)で転んだら、地獄(じごく)の鬼(おに)に引っ張(ぱ)りこまれると、年寄(よ)りに聞いていたからである。体の中を、えたいのしれないしびれがじいんと駆(か)けめぐるのを感じながら、ぼくは叫(さけ)んだ。
「つうさん、だいじょうぶか」
つうさんは、ゆがんだ顔の左頬(ほお)をひきつらせ、腰(こし)をかがめて足をなでながら、片(かた)手をたかだかとあげた。
「これ、これ、これがあるから平気や!」
親(おや)指と人差指にはさまれた、偏平(へんぺい)な円いものが見えた。それが一文銭(せん)だとわかったとき、ぼくたちは思わず大きな息を吐(は)いた。
《本文2_3》
そしてどっと笑(わら)い声をあげ、つうさんのほうに駆(か)けよった。墓場(はかば)で一文銭(せん)を拾うと、よいことがあるといわれている。つうさんはなんともややこしいことをしたものだ。しかしまあ、これで悪いことといいことが、帳消(ちょうけ)しになったのだから、万事円満解決(ばんじえんまんかいけつ)といったものなのだ。つうさんがしきりに足をなでまわし、痛(いた)みをこらえているのにもかまわず、ぼくたちは口々にがやがやと喋(しゃべ)りまわった。
「傑作(けっさく)やのう」
と速男が感にたえないようにいった。
《本文3_1》
浅瀬(あさせ)の下流には岩があり、白波をたてて急流が走っている。岩がきれると砂地(すなじ)の深みがあって、そこから川はゆるやかな流れをつくる。東側(がわ)の岸辺(きしべ)には一抱(かか)え二抱(かか)えの大きさの石がたくさんころがっていた。岸の一部には壊(こわ)れた石垣(いしがき)があり、猫柳(ねこやなぎ)がしげっている。
ここはぼくらのもっとも気に入った漁場(りょうば)だった。柳(やなぎ)の下には、いつ行っても魚が豊富(ほうふ)にいた。魚が好む場所はきまっていて、柳(やなぎ)が水面に覆(おお)いかぶさって蔭(かげ)をつくっている下には、モト(カワムツ)やモロコやハイが群(む)れていたし、そこの川底の石は、かれらのかっこうの隠(かく)れ場所だった。
《本文3_2》
八幡淵(はちまんぶち)から四百メートル下流の粘土(ねんど)岩の深みまでは、ぼくらの漁場(りょうば)で、どこにどんな魚がいて、手網(あみ)や伏(ふ)せ網(あみ)、ヤス、手づかみなどの、どの方法を使ったらもっとも効果的(こうかてき)かということを、ぼくらはくわしく知っていた。水中の石や石垣(いしがき)でも、どの石になにがいるということも、一つ一つの石について精確(せいかく)な見取図ができていた。これは宝物(たからもの)を隠(かく)してある場所の秘密(ひみつ)の図面のようなもので、だれにもけっして漏(も)らしてはならないものだった。
道男がいる場所を遠くから見て、ぼくにはかれがどんな魚を獲(と)っているのか、悲鳴(ひめい)を交(まじ)えたような大声はなにを意味しているのか、手にとるようにわかっていた。
《本文3_3》
そこには鯰(なまず)かギンタ(ギギ)の巣(す)だったのだ。きっとギンタの胸(むな)びれにある刺(とげ)で、さされたのだろう。
道男は心もち蒼(あお)ざめ、首を捻(ね)じ曲げてぼくのほうを見、「ウナギだっ。手がちぎれそうだ」と叫(さけ)んだ。花崗岩(かこうがん)を積んだ石垣(いしがき)の間に穴があり、その奥(おく)はちょっとした空間ができていて、そこが底棲(ていせい)の魚類の棲(す)み家になっていた。ここにウナギが入っていたのは、はじめてのことだった。
《本文4_1》
怪鳥(かいちょう)はくちばしの黄色がすっかりとれ、羽もかなり生えて、大きくなった。ゴイサギだった。二人はすこし憂鬱(ゆううつ)になる。つまらん鳥を育てたものだ。汚(きた)ならしい下品な鳥だ。しかしゴイは、三匹ともとてもよくなついていて、ぼくたちが裏(うら)へ行くと、しゃがれた声で鳴き叫(さけ)び、餌(えさ)をねだった。そのようにまといつかれると、憎(にく)めないのである。
「しょうがないな」とぼやきながら、二人は毎日蛙(かえる)とりに出かける。
九月になった。イナゴが群(む)れる畔道(あぜみち)を、二人はゴムのパチンコで蛙(かえる)をうった。早撃(はやう)ち競争をしようか、ということになり、小石をポケットにいっぱい詰(つ)めこんで気おいたった。
《本文4_2》
小石が蛙(かえる)の背(せ)にあたると、弾力性(だんりょくせい)の快音(かいおん)とともに、蛙(かえる)は足を真直(まっすぐ)に伸(の)ばして硬直(こうちょく)する。二人はそのたびに喚声(かんせい)をあげ、夢中(むちゅう)になって石をつがえた。
そのうち、道男の声が小さくなった。ふと気がつくと、田んぼには、白い腹(はら)をかえしてひっくり返っているのや、手足を伸(の)ばして硬直(こうちょく)した姿勢(しせい)で水に浮(うか)んでいるのや、目玉がとび出て、血を吹(ふ)きだしているものなど、さまざまな死にざまの蛙(かえる)が、一面に横たわっている。ぼくは内股(うちまた)がきゅっと引きしまり、頭がくらくらっとした。
《本文4_3》
二人とも、いつしか黙(だま)りこくっていた。機械的にポケットから小石をとり出し、田んぼに向って発射(はっしゃ)していたが、しだいにスピードが落ち、ときどきぼんやりと、田んぼに目を落としているだけのことがあった。
「マト、やめようか」道男がつぶやくようにいう。重苦しい気分が二人を包み、パチンコを持った手をだらりと下げ、放心したように、るいるいと横たわる蛙(かえる)の死骸(しがい)を見ていた。強い悔恨(かいこん)の情(じょう)が胸(むね)をしめあげ、もの悲しい気分がしのびよっていた。
ゲラダヒヒの紋章
あらすじ
健志(たけし)と姉の実果(みか)は、ゲラダヒヒの調査をしている萌男叔父(もえおおじ)とアフリカの古代史(こだいし)研究をしている父・榎(えのき)教授とともに、エチオピアへ旅立つ。萌男叔父は高地で出会ったゲラダヒヒの胸に紋章(もんしょう)を発見したが、それは紀元前エチオピアの北部に栄えたアクスム王国に関係があるらしい。多くの巨石ステレ〈石の塔〉をこの地に立てた古代アクスム王国は、ゲラダヒヒのいるセミエン地方の山奥に今なお存在しているかもしれない。歴史の謎(なぞ)を解く旅に同行しようと、二人は母の反対を押し切って周到(しゅうとう)な準備を進める。
途中、健志は謎の美少年アベラと知り合った。アベラは病気を治してもらったお礼にと、紋章のついた卵形(たまごがた)の石を健志の手に渡し、大鷲(おおわし)に乗って去っていく。一行はアクスム王国の財宝(ざいほう)を狙(ねら)うキッキデス一味やシフタ〈強盗(ごうとう)〉に襲(おそ)われ、健志と実果は父たちと離れ離れになってしまう。二人がシフタに追われてピンチに陥ったとき助けてくれたのは、アベラにもらった卵型の石だった。アベラの計らいで現れたカイカバロ〈セミエン地方独特の肉食獣〉たちは、シフタたちに襲いかかり打ちまかした。健志と実果はワリャ〈セミエン独特の山岳山羊〉の背に乗り、カイカバロに守られて垂直(すいちょく)に切り立った断崖(だんがい)を駆(か)け上り、アクスム王国に到着(とうちゃく)する。
大アンバ群〈コップを伏せたような断崖の山々〉の山奥に、ひそやかに存在するこの国は、進歩を拒否(きょひ)した女王エステルの治める平和な小国だった。ゲラダヒヒはこの国の神獣(しんじゅう)だ。アクスム王国は、分裂(ぶんれつ)と戦争の危機(きき)に見舞われていた。アクスム王国を発祥(はっしょう)の地に再興(さいこう)しようとするベルハヌ将軍(しょうぐん)は、キッキデス一味や榎教授らを味方に入れ反乱(はんらん)の軍を挙(あ)げようとする。王国の未来と、封印(ふういん)された財宝(ざいほう)をめぐって壮絶(そうぜつ)な戦いが始まった。キロス王子と健志は争いに巻き込まれる。戦いをやめさせようとする努力は実を結ばず、薄明(はくめい)の国は悲劇的(ひげきてき)な最期(さいご)をとげる。アフリカを舞台に繰り広げられる壮大な長編ファンタジー。武(ぶ)と進化(しんか)を拒否(きょひ)した反世界(はんせかい)の女王の国は、現代世界に潜(ひそ)む問題をも示してくれるようだ。
ゲラダヒヒ
《本文1_1》
萌男はパイプの煙(けむり)を、大きくはいた。萌男もまた自分の思いにしずみこんでいた。強い者だけが生き残り、弱い者はほろんでいく、ということにたえられなかった。弱い者とはなんなのか。他の者をおしのけて、自分の生の主張(しゅちょう)ができない、やさしい心の持ち主のことではないか。萌男は胸(むね)がいっぱいになり、思わず大声でさけんだ。
「いまわたしたちは、大変な事件(じけん)に遭遇(そうぐう)している。二千年の人の歴史、何万年いや何千万年の動物たちの進化の歴史が、わたしたちの目の前でほろんでいくかもしれないのだ。なんとかして、ふせがなくちゃならん。どうしても、どうしても、命をすててもだ」
「戦争をやめさせることだ。それしかない」
《本文1_2》
健志はほとばしるようにさけんだ。
「そうだ。そのとおりだ。兄さん。ベルハヌ将軍(しょうぐん)のところへ行こう。兄さんが、死んでも古文書(こもんじょ)の解読(かいどく)をことわるといえば、将軍(しょうぐん)は王国再興(さいこう)の夢(ゆめ)をあきらめるかもわからない」
「そうだ、行こう。おねがいしてみよう。わたしは戦争の手助けになることは、どんなことがあってもしない」
榎教授(きょうじゅ)は、はっきりといいきった。死をもおそれない不屈(ふくつ)の決意が、全身にみなぎっていた。
昼前から、軍勢(ぐんぜい)は急にさわがしくなり、城(しろ)のほうに向かって、進撃(しんげき)を開始していた。城(しろ)までは間近だった。急がねば。総攻撃(そうこうげき)がはじまるかもしれない。
略
《本文2_1》
健志はデメナやネファの姿(すがた)を想(おも)いうかべた。図体(ずうたい)は大きいくせに、性質(せいしつ)はおだやかで、柔和(にゅうわ)な目をしている優雅(ゆうが)な動物たち……。
「気が小さくって、やさしい心の動物っていうわけですね」
「ということだろうな。進化にとり残されたっていったけれど、むしろ自分から進化の流れから脱出(だっしゅつ)し、進化がとまったままの姿(すがた)でくらしている。いわば、進化のかげの部分で生きているといった連中なんだね」
「このセミエン山塊(さんかい)の奥地(おくち)に、レリックたちが集まったってことですか」
《本文2_2》
そうなんだ。寒い気候(きこう)、だれも近づけないけわしい崖(がけ)に、心やさしい動物たちは、生存競争(せいぞんきょうそう)のないレリック王国をつくりあげたんだよ」
「すると」と、喬男が感慨(かんがい)深げに口をはさんだ。「アクスム国は、人間の歴史のレリックというわけだね。文明と文化のレリックといったほうがいいのか、健志と実果が感じた、反世界の国というわけだ」
健志の心の中を、するどいいたみが走った。このやさしい生き物たちの国に、いま争いがおこっている。正義(せいぎ)の名のもとに、血が流され、人々が死んだ。どうしてこうなったのか。
《本文2_3》
健志は一瞬(いっしゅん)どきっとした。ベルハヌとエステル女王との間にかわされた、はげしい言葉のやりとりを、想(おも)い出したのである。アクスム国の秘宝(ひほう)の謎(なぞ)をとく者は、アルマズおばばなきあと、いまや榎教授(きょうじゅ)だけなのだ。お父さんがこの国へ来なければ、ベルハヌ将軍(しょうぐん)は、王国再興(さいこう)の軍(ぐん)をおこさなかったかもしれない。軍資金(ぐんしきん)がなくては、そんなことはできるものではないからだ。
進化の流れからはずれた平和な隠(かく)れ里(ざと)に、争いの火種(ひだね)をもたらしたのは、他ならぬわれわれ日本人だったのではないか。
略
クイズどうぶつの手と足
あらすじ
人間には手と足がある。手足は2本ずつで、それぞれに5本の指がついている。哺乳類(ほにゅうるい)ってみんな同じだろうか?知っているようで知らない動物の手と足のクイズ。大人も子どもも挑戦(ちょうせん)してみると楽しい。あなたはいくつわかるだろうか。
「足の骨がこんなになっているなんて」とか、「こんな生き物も哺乳類だった」と驚(おどろ)いたり、発見(はっけん)したりできる絵本。動物クイズはいろいろあるが、手と足という小さな部分から多くのことが見えてくる。何億年(なんおくねん)もの哺乳類の歴史(れきし)まで考えることができる。それがこの本の魅力(みりょく)だ。
《本文1》
こんな手足(てあし)を みたことはあるかな。
どれも、わたしたちがよくしっている ほにゅうるいの手足(てあし)だ。
よくみてごらん。ほにゅうるいなのに 指(ゆび)が5ほんのものから1ぽんしかないものまで、いろいろある。
ところが-
略
ニホンザル 子どもは文化の発明者
あらすじ
ニホンザルのキョンは幸島(こうじま)生まれ。幸島は宮崎県(みやざきけん)にある周囲(しゅうい)約4キロメートルの小島で、野生(やせい)のニホンザル研究が始まった島だ。生まれたてのころ、キョンはお母さんの胸(むね)にしがみついてお乳(ちち)を飲(の)んでは眠(ねむ)っていた。少し大きくなると友達(ともだち)と鬼(おに)ごっこ、レスリング、木登(きのぼ)り、いろいろな遊びをする。「いもあらい」など新しい発見(はっけん)や発明(はつめい)はこうした子どもたちの自由(じゆう)な遊びから生まれた。
群(む)れはリーダーのカミナリのもと、いつもまとまって島のあちこちを移動(いどう)し行動(こうどう)している。だがリーダーも年老(としお)いていく。キョンは自分もいつかすばらしいリーダーになろうと思うのだった。
迫力(はくりょく)ある写真(しゃしん)と文で、ニホンザルの生活(せいかつ)を描く写真絵本。
《本文1》
トベラの葉(は)が、浜風(はまかぜ)にさらさら鳴(な)り、大きな入道雲(にゅうどうぐも)が青空にぬっとつったっています。7月5日、キョンの1年めの誕生日(たんじょうび)です。ことしも赤ちゃんが、群(む)れに3頭生まれ、キョンの弟分(おとうとぶん)ができました。
2才のこどもが、岩(いわ)の上からジャンプして海にとびこみ、すいすいとおよいでいます。「気もちがいいだろうな。」でも、キョンは、水ぎわでバチャバチャ波(なみ)とたわむれていましたが、こわくてはいる気になれません。
幸島(こうじま)は、海にかこまれているのに、むかしは、だれも海にはいるものはいませんでした。ある日、海に落(お)ちたピーナツをひろうのに、子ザルが海にはいってから、みんなが海にはいるようになったのです。でも、カミナリをはじめ、年をとったサルたちは、けっして水のなかへはいろうとしません。考えかたが古いので、新しくはじまった行動(こうどう)をとりいれることができないのです。新しい発見(はっけん)や発明(はつめい)をするのは、ほとんど、古(ふる)い習慣(しゅうかん)にとらわれない子どもたちです。子どもは、文化(ぶんか)のつくり手です。
略
星から来たペンギンの話
あらすじ
「クロサイとツツツの話」
わし〈クロサイ〉のガールフレンドはアカハシウシツツキという小鳥のツツツじゃ。わしの皮(かわ)のよろいのすきまにいる虫けらども、鼻(はな)の穴にくっついたヒル、ニクバエまで取ってくれる大切(たいせつ)な友達だ。時にはけんかもするが、ツツツがいなくなるとわしはかゆくて死(し)にそうになり、なわばり争(あらそ)いをしている隣(となり)のクロサイにも負けそうになるのだ。昼寝(ひるね)をしているわしの大角(おおづの)の間に、ツツツはかわいい巣(す)を作り、卵(たまご)を産(う)んだ。ある日、人間がやって来て、わしを生け捕(いけど)りにしようとした。わしはツツツの巣を壊(こわさ)さないように上を向いて逃(に)げ回り、ロープにひっかかってしまった。
「虹(にじ)に包(つつ)まれて運ばれたブルーダイカーの話」
すばしっこく動いて、数々の危険(きけん)な動物から上手(じょうず)に逃(のが)れるブルーダイカー。ぼくはニシキヘビに狙(ねら)われるようになった。狙われるのはいやだけど、ぼくの大好きな食べ物、白い石をせしめられるのはありがたい。だがニシキヘビがつたに絡(から)まり、異様(いよう)な目を光らせているのを見て、ぼくは恐(おそ)ろしくなり遠くで住むことにした。小川のほとりを当てもなく歩いていたとき、白い石を見たぼくはいきなりかじってしまった。それは石けんだった。たいへん!息(いき)を吐(は)くたびに虹の玉(たま)が吹き出る。ぼくはたまげた。そして2人の少年に捕(つか)まってしまったんだ。
その他、木にしがみついて獲物(えもの)を狙ううち、イチジクのつるの網目(あみめ)に絡まれてしまった「木にしめ殺(ころ)されかけた大蛇(だいじゃ)の話」。隕石(いんせき)で巣をつくった「星から来たペンギンの話」など動物が話してくれる、傑作(けっさく)な事件が満載(まんさい)。
《本文1_1》
だが、そのわしにも、かわいい友だちがいた。アカハシウシツツキ-くちばしが赤くって、目のまわりに黄色(きいろ)の輪(わ)があるかわいい小鳥じゃ。
こわいものなしでとおっていたわしにも、ひとつだけかなわないものがいた。ダニやシラミ、それに血(ち)を吸(す)うアブやハエ、これにはまいった。ダニやシラミは、わしのぶあついよろいのすきまにもぐりこんで、血を吸いくさる。かゆいのなんのって、たまったもんじゃない。
もちろん、サイにはサイ知恵(ぢえ)ってものがあるわ。木の幹(みき)にゴシゴシ体をこすりつけたり、泥沼(どろぬま)に体をしずめて、虫を殺(ころ)すのじゃ。あんまりかゆいので、あわてて泥沼にどびこんだら、深(ふか)みにはまって、おぼれ死(し)にそうになったこともあった。こんな虫けらのために、うっかり命(いのち)をうしなうってこともあるんだよ。
泥沼戦法(せんぽう)でも、一匹(いっぴき)のこらず退治(たいじ)することはできない。一匹のこったって、たいへんだ。卵(たまご)をいっぱい産(う)みくさる。卵が一度(いちど)にかえったときのかゆさといったら、大地に千回ころがり、木の幹が細くなるほど体をこすっても、まだたりない。
《本文1_2》
サイの皮膚(ひふ)はぶあついから、石のように感覚(かんかく)がないと思われているが、どうしてどうして、風にゆれる草のように敏感(びんかん)なんじゃ。
ところが、わしの尾(お)を見てくれ。短(みじか)くて、先にちょっぴり毛がついているだけ。これじゃ、ハエを追(お)う役(やく)にもたたん。
神(かみ)さんは、どうしてこんなものをくれたんだろう。尾(お)っぽだけは、シマウマがうらやましいわい。
だが、わしは短(みじか)いしっぽをうらむことなんか、ちっともなかった。
ツツツがいてくれたからだ。
ツツツというのは、わしのガールフレンドのアカハシウシツツキの名前じゃが、こいつがいなければ、わしはかゆさのあまり、気が変(へん)になったかもしらん。
ツツツのくちばしは、赤い夕日をちぎってくっつけたように美(うつく)しかった。そのくちばしで、わしのよろいのすきまを、ていねいにこづいて、虫けらどもをみんなとってくれた。
虫けら以外(いがい)にこわいものはないといったが、実(じつ)はライバルがおった。となりに住(す)んでいるクロサイの雄(おす)じゃ。
略
《本文2_1》
ある日、好物(こうぶつ)の幹生花(かんせいか)の赤い花を食べると、大きなニシキヘビに襲(おそ)われた。こんなでっかいやつには、今まで会ったことがない。
すごい勢(いきお)いでとびかかってきたが、そこは日ごろきたえた足腰(あしこし)、バネをきかしてとびあがり、ついでに頭をぽんとけとばしてやった。
これはいいやつに出会ったと、ぼくはすっかりうれしくなった。
どうしてかって?
うん、これから毎日白い石が食べられるからだよ。
《本文2_2》
白い石ってなにかって?
耳をかしてくれ。大きな声でいうのは恥(は)ずかしいから-白い石って、蛇(へび)のおしっこのことさ。
そんなにびっくりしなくても、いいじゃないか。
蛇のおしっこは、出たときは、どろっとした乳(ちち)のような液体(えきたい)だけれど、すぐかたまって白い石になる。ないしょだけど、ぼくはそれが大好(だいす)きなんだ。
ぼくらは、いつも塩分(えんぶん)が不足(ふそく)している。
白い石は塩(しょ)っぱくて、とてもおいしいんだ。
やつがのんだ獲物(えもの)によって味(あじ)がちがうから、いろんな味を味わうことができる。とくにセンザンコウをのんだあとの白い石は、いいにおいがしてすごくうまい。
どういうわけか、あいつはぼくを毎日のようにねらいはじめた。
略
《本文3_1》
あたしたちはよく泳(およ)ぎくらべをした。
みんなクロールが得意(とくい)だ。両方(りょうほう)の羽を交互(こうご)に使(つか)い、体を左右に回転(かいてん)させながら、すいすいと泳ぐ。人間もこういう泳ぎ方をするらしいが、あたしたちがこの泳法(えいほう)の元祖(がんそ)なんだよ。クロールは、白えりがとびきり速(はや)く、だれも彼(かれ)にかなわなかった。
ある日、あたしたちは“とびあがり泳ぎ”の競争(きょうそう)をしていた。
羽で水面(すいめん)をたたき、空中にとびあがる泳ぎ方なの。この泳ぎは、あたしの得意とするところだった。
《本文3_2》
あたしは最初(さいしょ)からとびだし、ぐんぐんみんなをぬいて泳(およ)いだ。
ところが驚(おどろ)いたことに、後ろからすいっとぬいていくものがいた。あたしはしゃくにさわり、あらんかぎりの力をふりしぼったが、ゴールの流氷(りゅうひょう)に、そいつはとっくの昔(むかし)についているじゃないの!
ふうふういってゴールに到着(とうちゃく)すると、そいつの姿(すがた)はどこにも見えない。つぎつぎ到着する仲間(なかま)をよそに、あたしは消(き)えた一番をさがした。
“フフッ”とかるい笑(わら)い声(ごえ)がした。
ふりむくと、イルカの子どもがいた。
略
サッカー選手アルマジロの話
サッカー選手アルマジロの話
いつもどこからか風(かぜ)のように現(あらわ)れる、不思議(ふしぎ)なひげ小父(おじ)さん。4人の子どもたちはタヌキがとりもつ縁(えん)で小父さんと仲良(なかよ)くなる。小父さんは動物(どうぶつ)の心がわかるし、動物と話ができる。子どもたちは、小父さんから動物園にいる動物たちが「たまたまうっかり」動物園に連(つ)れてこられたいきさつを聞(き)くのが楽(たの)しみだ。サイやペンギン、ニシキヘビは動物園に来る前はどんな生活(せいかつ)をしていたのだろうか。動物たちの恋(こい)と友情(ゆうじょう)、争(あらそ)いと共生(きょうせい)の物語だ。えっ、そんな話、ほら話だろうって?目を大きく見開(みひら)いてよく読んでみよう。動物学者(どうぶつがくしゃ)の語る真実(しんじつ)が隠(かく)されている。
あらすじ
「“小さな昼(ひる)”のお客様(きゃくさま)になったシマウマの話」
ヘイゲンシマウマのぼくの周(まわ)りには、昼も夜も危険(きけん)と恐怖(きょうふ)がいっぱい。多くの危険を小父さんシマウマと乗(の)り越(こ)えたぼくだが、ある夜クロヒョウに襲(おそ)われ、ひとりぼっちになってしまう。ツバキコブラの毒(どく)に目をやられたぼくは、グレイビーシマウマの少女に助けられる。でもぼくの視力(しりょく)はすっかり落ちてしまった。グレイビーの白い縞(しま)がやっと見えるくらい。ぼくらはハイエナから逃(に)げ、夜の中の「小さな昼」の世界(人間のテント)に招(まね)かれるままに入っていった。
「サッカー選手(せんしゅ)アルマジロの話」
ぼくは南米(なんべい)に住むミツオビアルマジロのチコ。体の皮(かわ)は固(かた)く、敵(てき)に襲(おそ)われると体を丸(まる)くして防(ふせ)ぐ。ピラニアに捕(つか)まりそうになったとき、助けてくれたカラハ族(ぞく)のカマイラ少年とぼくは仲良(なかよ)くなった。カラハ族とタピラペ族は、毎年狩(か)り場の領有権(りょうゆうけん)をサッカーで決めていた。両チームの実力(じつりょく)は互角(ごかく)。試合(しあい)はコンゴウインコやペッカリー(南米のイノシシ)まで飛び出して大乱戦(だいらんせん)となった。ぼくはカラハ族のエース、カマイラ選手(せんしゅ)を助けようと、サッカーのボールになりかわり、ゴールに飛び込(とびこ)んだ。ぼくとカマイラは牢屋(ろうや)に入れられたが、小父さんは身代金(みのしろきん)を払(はら)って譲(ゆずり)り受ける。
その他、今もひっそり生き残るインカ帝国(ていこく)の虹(にじ)の聖堂(せいどう)の番人(ばんにん)、トキイロコンドルの恋(こい)と王子(おうじ)毒殺(どくさつ)の陰謀(いんぼう)を描く「虹の番人トキイロコンドルの話」。英国(えいこく)女王の王冠(おうかん)に紅(あか)く光る石をついばんでサーの称号(しょうごう)を得た「アフリカの星をついばんだカラスの話」など、人間と動物のかかわる国際色(こくさいしょく)豊かな話の数々。
《本文1》
そんなある日、若(わか)い雌(めす)のトキイロコンドルに会った。
頭の後ろから首にかけて、めざめるような美(うつく)しいトキ色でいろどられ、首にはふっさりした銀灰色(ぎんかいしょく)のえりまきをし、背中(せなか)と翼(つばさ)はうっとりするような、やわらかいバラ色で、太陽の光をあびて虹色(にじいろ)に変化(へんか)した。
わしは一目見るなり、すっかり好(す)きになった。
まんまるな目をふちどっている朱色(しゅいろ)の輪(わ)が、とても魅力的(みりょくてき)だったので、わしは彼女をシュコ(朱子(しゅこ))と呼(よ)んだ。
褐色(かっしょく)の岩肌(いわはだ)のがけの上に、二羽ならんでおりたつと、わしは黒い羽をマントのように大きくひろげ、シュコのまわりを優雅(ゆうが)にとびはねた。
首をぐっと前につきだしてふくらませ、やさしい声で歌った。
気持(きも)ちが高ぶっているので、舌(した)がふるえ、ふくらんだのどに、ふるえ声が共鳴(きょうめい)した。それはわしの一生懸命(いっしょうけんめい)の愛(あい)の歌だった。
略
《本文2》
「そのとき、チャンスがおとずれた!」
「そうなんだよ。カマイラがゴールに向(む)かってシュートしたんだ。すごいあたりだった。ぼくの胃(い)や腸(ちょう)がとびだすかと思ったよ。それをぐっとこらえて、ゴールにとびこんだ。ところがまずいことに、キーパーにむかってストレートにころがっていったんだね。キーパーは、まってましたと手をひろげた」
「そのとき、大異変(だいいへん)が起(お)こった」
と、わたしは、すかさずいった。
「キーパーがボールをつかもうとしたとき、ボールは急(きゅう)に真横(まよこ)にそれ、二メートルばかりころがると、つぎに、すとっとゴールにとびこんでしまったんだ。そのときは、ほんとにびっくりしたね。わたしは思わず目をこすったよ。
なにかのまちがいじゃないかと思った。ボールから、たしかに足が出ているのが見えたんだ。ありえないことじゃないか」
「まずかった。でも、ぼくは必死(ひっし)だったんだ」
チコは声を落(お)とし、力なくいった。
略
ボルネオ島の猿人の話
あらすじ
「ボルネオ島の猿人(るいじん)の話」
わし(オランウータン)はボルネオの原生林(げんせいりん)に住んでおった。ひとり暮らしでなわばりは持たず、森の地面(じめん)を歩いて移動(いどう)することが多かった。ある日、好物(こうぶつ)のドリアンだと思って食べた実が猛毒(もうどく)のランで、わしは激(はげ)しい下痢(げり)になってしまった。助けてくれたのがメガネザルのお月さん。わしたちは仲良(なかよ)くなった。人間どもがわしを狙(ねら)うようになったので、わしたちは川で目についたカヌーに乗り、とある島に漂着(ひょうちゃく)した。だがそこでも人間の仕掛(しか)けたドリアンで眠(ねむ)ってしまい、気がついたら檻(おり)の中さ。人間の世界では、わしが猿人(えんじん)であるとか、動物地理学(どうぶつちりがく)上の大発見(だいはっけん)だとか、大騒(おおさわ)ぎになっていたそうだ。
「空飛ぶヘビガエルの話」
わいはヘビガエル。大好物(だいこうぶつ)のミミズをありったけ食べているとき、蛇(へび)に飲み込まれそうになった。わいは腹(はら)に力を入れ、毒蛇(どくへび)ガボンバイパーの頭(あたま)そっくりに擬態(ぎたい)してやり過ごした。だが本物(ほんもの)のガボンバイパーに会って動転(どうてん)しているとき、ヘビとりにつかまってしまった。わいは市場(いちば)で「空中(くうちゅう)を飛(と)ぶヘビの首」というショーをすることになってしまった。あるとき、正体(しょうたい)がばれて大騒(おおさわ)ぎ。わいは逃(に)げ出した。
その他、「さかさまの世界にあこがれたタツノオトシゴの話」は、お腹に産(う)み付けられた卵(たまご)を育てようとした雄(おす)のタツノオトシゴが、トビウオの口車(くちぐるま)にのってしまったという話。小父さんがモーリシャス諸島(しょとう)で出会ったドードーの語る「四百歳(さい)も生きたドードー鳥の話」には、ハプスブルグ家や英国(えいこく)の宮廷(きゅうてい)まで飛び出して、虚実(きょじつ)入り乱れた話が展開(てんかい)する。そしてひげ小父さんは、また旅(たび)に出かけていった。
《本文1_1》
おどろいたことには、お腹(なか)の袋(ふくろ)の中に卵(たまご)が産(う)みつけられていた。あの細い管(くだ)は、ぼくのお腹の袋に卵を産むための道具(どうぐ)だったのだ。
それにしても、ひと言(こと)もいわないで、ひとのお腹に卵を産みっぱなしていくなんて、どういうつもりだろう。ぼくはいささか腹(はら)を立て、タツ子をさがしまわったが、どこへ行ったのか影(かげ)も形も見えない。
はじめはあまりの身勝手(みがって)にむかっ腹(ぱら)が立ったが、みょうなもので、そのうち、お腹の中の卵がすごくかわいくなってきた。
〈よし、ぼくが育(そだ)ててやろう。そのうち、小さな子どもたちがお腹(なか)の穴(あな)からとびだしてくるだろう〉
そう思うと、なんとしても大事(だいじ)に育(そだ)てなきゃという気持(きも)ちが、あふれてきた。
ぼくはお腹の中に新しい水を送(おく)りながら、よくぼうっと空をながめていた。
空にはときどき、七色の美(うつく)しい輪(わ)がかかることがあった。あの七色の輪をすいっととおりぬけられたら、どんなに楽しいことだろう。
《本文1_2》
夕方には、雲がサンゴ色や紫色(むらさきいろ)にそまり、その中を白い鳥が真珠(しんじゅ)をばらまいたようにかけぬけていくのが見えた。かわいい子どもたちといっしょに、あの空という、もうひとつの海をとぶように泳(およ)げたら、どんなに愉快(ゆかい)だろうと、あこがれにみちた目で、ぼくは大空をいつまでもながめていた。
略
《本文1_3》
わしは人間どもに、厳重(げんじゅう)に抗議(こうぎ)を申(もう)しこみたいことがある。それは、オランウータンはなまけ者(もの)の代表(だいひょう)みたいなやつで、食っちゃ寝(ね)だけしてほかのことはなにもせず、一日じゅうごろごろ寝(ね)ころがってると思われていることだ。
説明板(せつめいばん)にも、「動作(どうさ)はカンマンで……」なんて書いてあるらしく、子どもたちはそれを読んではおもしろがり、先日も「ホント、なにもしないね、まるでブタみたいなサルね、トンエンって名にしたらいいわ」なんていう子がいた。けしからん。じつにけしからん。
一室に、長い間入れられている人間のことを考えてみろ。いつも部屋(へや)の中でとびはねてるかい?
略
《本文1_4》
やはりじいっとすわってることが多く、わしらとちっともちがわないじゃないか。わしがあまり動(うご)かず、ぼうと考えこんで一日すごすのは、それだけ人間に近いってことなんだ。
ぐちをこぼしてもしかたあるまい。
略
《本文2_1》
なんといういい味(あじ)!なんというすてきな舌(した)ざわり!
食べものがあれば、ありったけ食べてしまうこと、これはわいの生まれつきのくせじゃ。わいが悪(わる)いのじゃない。そういうくせをつけてしまった先祖(せんぞ)がいけないんじゃ。
わいは先祖様(さま)の命(めい)ずるままに、腹(はら)もはじけるばかりに食べ、のどに入りきらないのが口からぶら下がった。
お尻(しり)がくすぐったくなった。
おなかにたまりかねて、太ミミズがお尻から出てしまったのかな、そう思って目玉を後ろに向(む)けたとたん、わいはゲッとさけんで、口の中の一匹(ぴき)をはき出した。
《本文2_2》
そのとおりだったのじゃ。
太ミミズがお尻の穴(あな)からぬけ出したのだ。
わいがびっくりしたのは、そのことじゃない。緑色(みどりいろ)のヘビが太ミミズをくわえこみ、わいの尻にくっついているではないか。
ヘビがミミズをどんどんのんでいけば、そのつぎはどうなるか、わかりきってるだろう。わいだ、わいがのまれるってことじゃ。
わいは下腹(したばら)にぐっと力を入れ、尻(しり)のミミズをおし出すと、稲妻(いなずま)のようにすばやく向(む)きをかえ、穴(あな)に尻(しり)をつっこんで、ヘビを真正面(ましょうめん)に見すえてにらみつけた。
わいは今、カエルじゃない。ヘビなんだ。あの恐(おそ)ろしい三角頭の毒(どく)ヘビ、ガボンバイパーなんだ。
略
ゲラダヒヒの星
あらすじ
ゲラダヒヒのコケブはエミエット山の台地で仲間と共に暮らしていた。エミエット山はアフリカのエチオピア北部にあり、3925メートルもの高地だ。ゲラダヒヒは、昼間は上の草原で草を摘(つ)んで食べ、夜は台地の北と西にある断崖(だんがい)で眠るという生活だ。コケブが生まれてしばらくして、母さんが亡くなった。コケブのいるディルユニット〈グループ〉は、雄(おす)リーダーのディルを中心として、おとなの雌(めす)5頭と子ども7頭の集団だった。コケブはアテグ小母(おば)さん一家の一員となり、グループに属していないクシル小父さんにも助けられて、すくすく育った。エミエット山にはこのようなユニットが7つあって、バンドを形成(けいせい)していた。子どもたちは親から離れ、子どもグループを作って遊ぶこともあった。コケブはアレトユニットの少女コンジョと仲良(なかよ)くなった。しかしこのような関係は長くは続かない。
少女期を過ぎた雌がユニットの外に出ると、リーダーの雄はやさしく連れ戻(もど)す。ゲラダヒヒの雌は一生ユニットに留(とど)まって子育てをしていく。それに対して若い雄は、リーダーになることを目指(めざ)して困難(こんなん)な道を歩む運命(うんめい)なのだ。5歳になったコケブは、ユニットから離れ、雄グループの一員となって遠出(とおで)したり、ユニットのリーダーに挑戦(ちょうせん)したりした。やがて長い旅(たび)から堂々(どうどう)とした体格(たいかく)になって戻ったコケブは、雄グループのリーダーとなった。コケブを助けてくれたクシル小父さんは、密猟者(みつりょうしゃ)の餌食(えじき)となってしまった。コケブの雄グループはムリーユニットを襲(おそ)い、凄絶(そうぜつ)な戦いを何度も繰り広げた。傷だらけのコケブはついに勝利をおさめ、ムリーは去っていった。
幼なじみのコンジョはじめ雌たちはコケブにプレゼンティング行動〈尻(しり)を向け恭順(きょうじゅん)の意を表す行動〉をし、コケブは雌にやさしい声をかけて落ち着かせた。コケブは、雌たちとの間に性(せい)を交え、強固(きょうこ)な愛の絆(きずな)を作り上げた。次々と子どもが生まれ、コケブはユニットをしっかりとまとめていくのだった。
重層的(じゅうそうてき)な集団を作り、無駄(むだ)な争いをしないで仲良く暮らすゲラダヒヒの世界から人間が学ぶことは多い。順位(じゅんい)にかかわらず相互(そうご)にする毛づくろい、上唇(うわくちびる)を上げた泣き面、白眉(しろまゆ)を立てる怒り、なぐさめる声など、作者(さくしゃ)ならではの多彩(たさい)なコミュニケーションの描き分けは、興味(きょうみ)深い。
《本文1_1》
空は晴れあがり、青黒い空を天の川が流れ、まき散(ち)らされた砂(すな)のように金や銀の星々がきらきら光っていた。夜中に、寒さをおぼえてコケブは目をさました。はっと気がついて、キテルから体を離(はな)した。キテルの体が冷(つめ)たくなっていたのである。
キテルは死んだのだった。死とはなんなのか、コケブには知るよしもなかったが、なにかとんでもないことが起こったことはたしかだった。コケブはキテルを押(お)したり、手を引っぱったりした。しかし、お母さんはびくとも動かず、石ころのように転がっているだけだった。
《本文1_2》
しばらくそうしていたが、そのうちあきらめ、コケブはスゲの草むらのなかにすわり、赤く光る星を見つめていた。昼間、目のまわりが赤いハトに助けられたのを思い出していた。そして、思わずハトの赤い足をつかもうとしたことも。
またたいていた赤い星が、ふっとゆらいだ。コケブが、気のせいかと思ったとき、赤い星が黄金色(こがねいろ)にかがやき、夜空に大きく弧(こ)を描(えが)いて流れ、地平線の近くで消えた。
赤い星は、前と同じ位置(いち)で不思議(ふしぎ)な赤い光を発してかがやいていた。コケブはなぜかほっとした。流れ星がこの星の前をよぎって流れていったのだった。コケブはじいっと、赤い星を見つめていた。それが自分の今の姿(すがた)であるような気がしたのだった。そして、流れ星とキテルの死をダブらせながら、ひとりぼっちになったという思いが、ひしひしと迫(せま)ってくるのを感じていた。
《本文2_1》
乾季(かんき)も終わりなので、清水(しみず)は岩にしみ出るほどしかわき出していない。下にたまったわずかな水を飲みほすと、ぽたりぽたりと岩から落ちる水を、なめるようにして飲むしかない。水場には先客があった。コケブが岩に口をあて、水を飲んでいた。
草がゆれ、茶褐色(ちゃっかっしょく)のかたまりが見えかくれして、ひょいとテクラが頭を出した。水を飲みに来たのだ。コケブはちらっと彼(かれ)を見たが、まだ飲み足りないので、岩にくらいついた。ゲラダヒヒはおだやかな性質(せいしつ)だから、先に水を飲んでいる者がいると、すむまで待っているのがふつうである。だが、テクラは待ちきれず、コケブの尾(お)を引っぱった。
《本文2_2》
〈またじゃまをするのか、こいつめ〉コケブは腹(はら)を立て、とびおりるとテクラの手に噛(か)みついた。テクラは悲鳴をあげたがひるまず、コケブにかかっていった。
組んずほぐれつのけんかになったが、一歳(さい)年上のテクラには力ではかなわない。コケブは押(お)さえつけられ、のどにテクラの歯があたった。
もうだめだと思ったとき、テクラがはじきとばされ、急に身軽になった。はじかれたように起きあがると、目の前にクシルの大きな顔があった。クシルが駆(か)けつけ、テクラを手ではねとばしてくれたのだった。
“ウェッ、ウェ、ウェ……”コケブはクシルを見て声をだした-ありがとう。小父(おじ)さんが来なかったら危(あぶ)なかった-
クシルは“グー”とうれしそうな声で鳴き、コケブを毛づくろいした。本当はお礼にコケブがしなければいけないのだが、すごくつかれていた。必死(ひっし)になってけんかをしたため、コケブはくたくたになっていて、お礼の声をだすのが精(せい)いっぱいだった。
略
《本文3_1》
翌日(よくじつ)、エミエットバンドのユニットはロベリアの林の北側(きたがわ)の断崖(だんがい)から草原にのぼり、しばらく日向(ひなた)ぼっこをしてから草原に散(ち)らばり、朝の採食(さいしょく)をはじめた。ムリーのユニットはいちばん西にいて、ほかのユニットとはすこし間隔(かんかく)を保(たも)っている。絶好(ぜっこう)の機会(きかい)だ。コケブはちゅうちょなく、ムリーのユニットへ向かって一直線に歩きだした。
コケブの決然(けつぜん)とした態度(たいど)に、若雄(わかおす)たちもなにかを感じていた。ムリーのユニットを襲(おそ)うことはわかっていたが、コケブの全身にみなぎった迫力(はくりょく)と力強い歩きぶりに、いつものような模擬戦(もぎせん)には終わらない真剣(しんけん)さを感じとったのである。
《本文3_2》
雄(おす)グループの五頭は、ムリーユニットとほかのユニットを分断(ぶんだん)するように、横に一列に並(なら)び、威嚇(いかく)の声をだした。ムリーはいつもとちがう殺気(さっき)を感じ、しきりに声をだして雌(めす)たちを自分のまわりに集め、威嚇(いかく)のための大きなあくびをした。小指ほどもある長くて鋭(するど)い牙(きば)が、はげしい闘志(とうし)を見せて光った。
雌(めす)たちも、ただならぬ雄(おす)グループのはげしい勢(いきお)いに危険(きけん)を感じ、メスガシラのミシルを中心にしっかりより集まった。
ムリーが大地を手で叩(たた)くようにして、たたっと二、三歩前進し、“グオッ”と咆(ほ)えた-あっちへ行け。行かないとひどい目にあわすぞ-
《本文3_3》
いつもなら、この威嚇(いかく)で若雄(わかおす)どもが後ろへ下がり、そこへムリーが突(つ)っこんできて反転して逃(に)げる。それを興奮(こうふん)した雄(おす)グループが大声をあげて追っかけるという大活劇(だいかつげき)が演(えん)じられるのだが、今回はちがった。
コケブがいきなりムリーにとびかかったのだ。ムリーは思いもかけない攻撃(こうげき)をくらって面くらったが、そこはしたたかな経験(けいけん)の持ち主、体をかわしてコケブに噛(か)みつこうとした。二頭はもつれあって格闘(かくとう)したが、すきを見てムリーは断崖(だんがい)のほうへ走りだした。
《本文3_4》
そのあとをコケブが追いかける。
ムリーは草原から崖(がけ)をおり、下にある台地にとびおりた。ここでコケブと一騎打(いっきう)ちをしようというわけだ。南面には高さ十メートルの崖(がけ)が突(つ)っ立ち、長さ十数メートル、幅(はば)が三~十メートルの台地の北側(きたがわ)は、千メートルをこえる大断崖(だいだんがい)である。ゲラダヒヒにとっては、あけっぱなしの草原はよりどころがなくて、なんとなく不安(ふあん)だが、崖(がけ)があると気分が落ちつくので、決戦場(けっせんじょう)としてここが選(えら)ばれたのだ。
ムリーとコケブは、だれもいない台地で対決(たいけつ)した。さんさんと照(て)る陽光の下、二頭はリーダーの地位(ちい)をめぐって凄絶(そうぜつ)な戦(たたか)いをくりひろげた。
略
大草原のウサギとネコの物語
あらすじ
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州北部のミモザタウンでノラネコのタックは生まれ、母ネコにネズミの捕(と)り方を教わって育った。青年になったタックは、餌場(えさば)の乱闘(らんとう)で負け、雌(メス)ネコをめぐる雄(オス)の戦いにも太刀打(たちう)ちできず、自信(じしん)をなくして旅に出た。ノラネコからノネコ〈人里(ひとざと)から離(はな)れ、野生(やせい)の動物を食べて暮らすネコ〉に転身(てんしん)したのだ。エサは子ウサギだ。もともとオーストラリアにはウサギはいなかった。イギリスから持ってきて放したウサギが持ち前の繁殖力(はんしょくりょく)でどんどん増えていたのだ。
その年は青草が良く茂(しげ)り、ウサギたちはあきれるほどたくさんの子どもを生んだ。ヤートン自然保護区(しぜんほごく)のワレン〈ウサギの巣(す)が集まっている集落(しゅうらく)のような所〉に住む雌ウサギのオーリーも6匹の子を出産した。だがウサギを狙(ねら)うネコやキツネ、猛禽類(もうきんるい)など危険(きけん)は多い。オーリーの子ウサギも狙われていた。
オーリーの子ウサギを捕まえたのは、雌ネコのコロールだ。コロールはノネコのアグレステやタックとの子を5匹産み、子のエサを求めていた。しかしコロールが獲物(えもの)を持って子どもたちの所へ帰ってくると、酷(むご)い光景(こうけい)が広がっていた。子ネコの1匹がキツネの親子に襲われていたのだ。
秋の終わり、異常(いじょう)に増えた若いウサギたちは、食べ物の草を求めて西へ西へと移動(いどう)を始めた。ワレンにいたオーリーも子どもを全部ネコに捕殺(ほさつ)され、ついに西へ向かって旅に出た。荒涼(こうりょう)とした大地に、力尽(ちからつ)きて倒れたウサギの屍(しかばね)が散在(さんざい)する悲惨(ひさん)な光景が広がっていた。飢餓(きが)と病気でウサギ社会はクラッシュ〈崩壊(ほうかい)〉を起こしたのだ。ネコのコロール親子、キツネの親子もエサのウサギがいなくなって死んでしまった。タックは東のミモザタウンに戻っていった。オーリーが力尽(ちからつ)きて意識(いしき)を失いかけたとき、雨が降ってきた。雨季(うき)がやってきたのだ。草原は息を吹き返し、オーリーはまた新たに巣作りを始めるのだった。
物語にはウサギ、ネコ、キツネだけでなく有袋類(ゆうたいるい)のカンガルー、珍鳥(ちんちょう)マリーファウルなどオーストラリア独特(どくとく)の生き物が登場(とうじょう)し、さまざまな動物の生き方に触(ふ)れることができる。動物社会は多くの種(しゅ)がバランスを保って成り立っている。天候(てんこう)や人間の都合(つごう)で起こるウサギ社会の繁栄(はんえい)と崩壊(ほうかい)は、衝撃的(しょうげきてき)だ。
《本文1_1》
すかさずアビが駆(か)けよって、ネズミを捕(つか)まえてタックの前においた。タックは生きたネズミを見るのははじめてだった。
ネズミはアビにくわえられたショックで、体をかたくしてうずくまってしまった。その機会(きかい)をとらえてタックが手を出せば、簡単(かんたん)に捕(つか)まえられるのだが、タックはその気になれず、不思議(ふしぎ)なものを見るように見つめた。
ネズミはその間に気をとりもどし、さっと逃(に)げにかかった。
引き金を引かれたように、タックはそれを追い、見事に捕(つか)まえた。おさえつけられたネズミは、のがれようと暴(あば)れた。暴(あば)れれば暴(あば)れるほど、タックは狩猟本能(しゅりょうほんのう)をかきたてられ、思わず首ねっこにがぶりと噛みついた。
《本文1_2》
歯はうまくネズミの延髄(えんずい)をつらぬいた。ネズミは体をけいれんさせ、すぐに動かなくなった。タックは見事にネズミ捕(と)りに成功(せいこう)し、捕(と)り方(かた)のこつを身につけたのだった。
アビはこうして、子ネコたちに順番(じゅんばん)にネズミの捕(と)り方(かた)を教えた。教えるといっても、こうこうしなさいと口でいったり、手をさしのべて教えるのではない。大切なことは、子ネコが生まれつきもっている狩猟本能(しゅりょうほんのう)を引き出し、それを自分で磨(みが)くための練習(れんしゅう)の機会(きかい)をあたえてやることなのだ。
ネズミ捕(と)りが上手(じょうず)になるには、生まれてから五週目から十二週目の間に練習(れんしゅう)する必要(ひつよう)がある。
それは母ネコから教えてもらうのだが、その機会(きかい)をのがすと、たいていの場合、ネズミ捕(と)りに興味(きょうみ)をもたなくなってしまうのだ。
略
《本文2》
タックは南西に向かって、ゆっくり旅をしていた。タックはノネコになったのだ。家に飼(か)われているネコは飼(か)いネコとよばれるが、人里にいて人間の残飯(ざんぱん)などを食べて生活しているネコをノラネコという。
人里から離(はな)れ、山か野原にすんでいて、野生の動物を食べて暮(く)らしているネコは、野生化したネコという意味でノネコといわれる。ノラネコがノネコ化した場合は、人間界での暮(く)らしを知っているから本当のノネコとはいいがたいが、その子は人間との接触(せっしょく)なしに育つから、このネコこそ純粋(じゅんすい)のノネコということができる。
それはともあれ、タックは人間界を離(はな)れ、ノラネコからノネコへ転身したのだった。
タックは、餌(えさ)には困(こま)らなかった。なぜなら、ウサギ(ラビット)が至(いた)るところにいたからである。もっとも、おとなのウサギは手にあまり、捕(つか)まえることが難(むずか)しいので、もっぱら子ウサギが獲物(えもの)だった。
略
《本文3_1》
去年、今年(ことし)と冬の雨が十分に降(ふ)り、草がよく茂(しげ)ったので、ウサギたちは食料(しょくりょう)が十分にあるとみてどんどん子どもを産(う)み、また、子どもたちも死亡(しぼう)する者が少なくて、たいへんな数に増(ふ)えたのだった。
よそからやってきたウサギの多くは、若(わか)いウサギだった。食べ物が少なくなると、強いウサギが食べ物を独占(どくせん)し、若(わか)いウサギを追っぱらう。したがって、若(わか)いウサギたちは生まれたワレンとなわばりを去り、餌(えさ)を求(もと)めて放浪(ほうろう)しながら西へ西へと移動(いどう)をはじめたのだった。
といっても、ここの草原だって草の量(りょう)は決まっており、ウサギを収容(しゅうよう)する限度(げんど)がある。しかも、新しい草はほんのわずかしかできないから、食物は一方的(いっぽうてき)にへっていくばかりだ。だから、東から移動(いどう)してきたウサギたちは、しばらくここに滞在(たいざい)すると、また西のほうへ移動(いどう)していった。
《本文3_2》
まるで増水(ぞうすい)で水かさが増(ま)した川が、どんどん下流へ水を押(お)し流(なが)していくように、毎日たくさんのウサギの難民(なんみん)がやってきて、その大部分が西へ移(うつ)っていった。
ウサギたちはみんな、ひどくすさんでいた。毎日食べ物の奪(うば)いあいに、けんかが絶(た)えなかった。
クーバグループもマルガグループも、その他のグループも、夜も昼も走りまわる音と悲鳴がとだえることなく、悲惨(ひさん)な状況(じょうきょう)だった。
クーバワレンのもとからのメンバーであるニクラスをはじめ、おとなの雌(めす)やオーリーたちは、自分のなわばりに入ってくる連中(れんちゅう)を、はじめは精力的(せいりょくてき)に追い出していたが、どんどん増(ふ)えてくる難民(なんみん)ウサギに、追い出しが追いつかなくなってしまった。しかし、まだワレンだけはなんとか守っていた。それでも、いつしかよそ者が巣穴(すあな)に入っているようなことがあった。
しかし、キツネどもには、ウサギたちの惨状(さんじょう)とは逆(ぎゃく)に、天国のような日々がつづいた。まわりに若(わか)いウサギはあふれるほどおり、しかも体力が弱っているので、簡単(かんたん)に捕(と)ることができた。三匹(びき)の子ギツネも、すっかり猟(りょう)がうまくなり、親の助けなしにウサギ狩(が)りを楽しむことができた。
略
三羽の子ガラス
あらすじ
「三羽の子ガラス」1238
日比谷公園(ひびやこうえん)で生まれたハシブトガラスのカンタ、カンジ、カン子、カナ子の4兄弟の物語。カナ子はフクロウの餌食(えじき)になった。カンタもノラネコにやられて足を一本失った。親から別れた後、三羽の子ガラスはどのように暮らしたのだろうか?
代々木(よよぎ)の森にねぐらを構えた腕白(わんぱく)のカンタは、お茶目(ちゃめ)なクルリ子と仲良くなり結婚(けっこん)した。巣作りをはじめたクルリ子は、木の枝で作った巣(す)の内側(うちがわ)に動物の毛をしきたいと思った。ライオンの金色のたてがみに魅(み)せられた2羽は、足しげく動物園に通って、昼寝(ひるね)中の雄(おす)ライオンのたてがみを狙(ねら)った。しかし、いらだつライオンを心配(しんぱい)した飼育係(しいくがかり)の中田さんの罠(わな)に捕(つか)まってしまう。
中田さんはカンタに義足(ぎそく)をつけ、日本サッカーのシンボル、三本足のヤタガラスにしようかと思うのだった。
木下家の軒下(のきした)にツバメが巣を作った。幸福(こうふく)を運んできてくれるというツバメを、一家は大事(だいじ)に見守(みまも)った。カンジはこのひなを狙った。東京タワーにトウ子と作った巣にいる5羽の子らにえさを運ぶためだ。落ちてきたツバメのひなを2羽せしめて味をしめたカンジは、ヒヨドリやカルガモなどのひなも狙った。しかし親ガラスの留守(るす)にチョウゲンボウ〈ハヤブサの仲間〉に子ガラスを捕られてしまった。カンジは子を守ってチョウゲンボウと死に物狂(しにものぐる)いで戦うのだった。
「きょうだいグマの復讐(ふくしゅう)」
昭和のはじめ、石川県の白山(はくさん)で、若い雌(めす)のツキノワグマ、ホソツキは冬眠(とうみん)からさめた。春を迎(むか)えたホソツキは、子どものツキオとツキ子を連れて菜畑(なばたけ)へ出かけ、山菜(さんさい)を腹いっぱい食べていた。
一方、一色家(いしきけ)ではふくばあさんの具合(ぐあい)が悪かった。治すためには、熊の胆(くまのい)〈熊の胆嚢(たんのう)〉が良く効(き)くという。猟師(りょうし)の与平(よへい)の勧(すす)めで、長男の耕太郎(こうたろう)は与平と熊撃(くまう)ちに出かけた。ホソツキは火を噴く銃口(じゅうこう)の前に倒れ、ツキ子は捕まってしまった。ふくの孫(まご)のきぬ子は、ツキ子をかわいがって育てた。
5歳になったツキオは鎖(くさり)につながれたツキ子を一色家で発見し、じゃれあっているうちに鎖が解(と)けた。そこに母を撃(う)った猟師がいるのを見て、ツキ子とツキオはとびかかり腹を裂(さ)いた。次いで耕太郎に飛び掛ろうとするツキオをツキ子はかばうのだった。2頭は闇(やみ)の中に姿(すがた)を消していった。
日本人になじみの深い動物、カラスやクマと人間とのかかわりを描く。利口(りこう)なカラスのユーモラスな習性(しゅうせい)や兄弟クマの示した行動には、人間と同じ気持ちがあふれていて心動かされる。
ハシブトカラス
《本文1_1》
三月に入って、カンタとクルリ子(こ)は結婚(けっこん)し、仲(なか)のよい夫婦(ふうふ)ができた。
カンタは、上野動物園(うえのどうぶつえん)が大好(だいす)きだった。代々木(よよぎ)の森をねぐらにして、東京(とうきょう)のあちこちをうろつき餌(えさ)をあさってきたが、動物園にはいろんな食べ物があり、また、いたずら好(ず)きのカンタには、動物をからかって遊ぶのも面白(おもしろ)かった。おてんばのクルリ子(こ)も、カンタと好(この)みが合ったから、二羽は楽しく動物園をおとずれていた。
《本文1_2》
クルリ子(こ)は、そうしたごつごつした物はいやだった。昔ながらの木の枝(えだ)で巣(す)の枠組(わくぐ)みを作ったが、卵(たまご)を産(う)むところにはふわっとやわらかい材料(ざいりょう)がほしかった。それには動物の毛を敷(し)きつめると、最高(さいこう)だった。
巣作(すづく)りの場所は、公園の大きなイチョウの木にした。冬場は葉が落ちて裸(はだか)の木だが、枝(えだ)がしっかりたてこんでいて、下から巣(す)は見えにくい。
そして、ひながかえって育つころは、若葉(わかば)がぎっしり巣(す)をおおい、巣(す)はすっかりかくれてしまうだろう。
《本文1_3》
クルリ子(こ)とカンタは、せっせと枯(か)れ枝(えだ)を拾ってきて、巣(す)の土台を作った。そして、まるく作ったお盆状(ぼんじょう)の枠組(わくぐ)みの中に、洗濯物(せんたくもの)をかすめたシャツやパンツを敷(し)いた。そのあとで動物園に通い、熱心(ねっしん)に落ちている毛を拾い集めた。
略
《本文1_4》
クルリ子(こ)とカンタはこれに味をしめ、ライオンの昼寝(ひるね)をねらってはたてがみ抜(ぬ)きに興(きょう)じた。ライオンは追っても追っても群(むら)がるハエのように、すきをねらってたてがみをぬきにくる二羽のカラスにいらだっていた。昼寝(ひるね)ができないのである。大好(だいす)きな昼寝(ひるね)をしようとすると、マツの木に止まっている二羽のカラスが舞(ま)いおりてきた。
略
《本文2_1》
そのうえ、カン子(こ)にだけ特別(とくべつ)いいことがあった。銀座(ぎんざ)はカン子(こ)の趣味(しゅみ)を生かすには、ぴったりの街(まち)だった。カン子(こ)は光る物が大好(だいす)きだった。光る物だったらなんでもよく、いろんな物を集めていたが、銀座(ぎんざ)にはときどき真珠(しんじゅ)や宝石(ほうせき)といったとびきりの光り物が落ちていることがあった。それを見つけたときは、本当に天にものぼるようなうれしさだった。
カン子(こ)の日課(にっか)は決まっていた。朝皇居(こうきょ)の森を出て、銀座(ぎんざ)に到着(とうちゃく)する。銀座(ぎんざ)の朝はひっそりしている。飲食関係(いんしょくかんけい)の店は夜遅(おそ)くまで営業(えいぎょう)しているから、朝は十時ごろまで、あまり人気(ひとけ)がない。
《本文2_2》
まず行くのは厨芥(ちゅうかい)を集める場所だ。厨芥(ちゅうかい)をつめこんだビニールやポリ袋(ぶくろ)が、山のように積(つ)んである。においで、だいたいなにが入っているかがわかる。この厨芥(ちゅうかい)捨(す)て場(ば)には、十三羽のカラスの常連(じょうれん)がいた。それぞれが厨芥袋(ちゅうかいぶくろ)にとびつき、袋(ふくろ)を破(やぶ)って中から気に入った物をほじくり出して食べる。自分が好(す)きな物を早く見つけて食べようと、いっせいに厨芥袋(ちゅうかいぶくろ)の山に群(むら)がり、“カアカア、ギャアギャア”と大さわぎになる。たいていの店の人はまだ眠(ねむ)っているから、カラスどもの天下だ。
略
小さな博物誌
あらすじ
前半の「腕白坊主(わんばくぼうず)のフィールドノート」は『少年動物誌』の続編(ぞくへん)だ。少年時代の数々のいたずらや失敗談(しっぱいだん)12編が語られる。例えば、漆(うるし)の木と知らずに名刀(めいとう)を作り、遊んだあとの悲惨(ひさん)なありさま。肥溜(こえだめ)〈肥料(ひりょう)用の人糞(じんぷん)や尿(にょう)がためてある所〉に落ちてしまった話。めずらしい蝶(ちょう)や蜂(はち)を狙(ねら)う話しなど。こうした少年時代の野山での遊びがもととなって後年の動物学者が誕生(たんじょう)した。
後半「動物学者の事件簿(じけんぼ)」では1956年より日本モンキーセンター設立に伴って移り住んだ愛知県・犬山市(いぬやまし)での出来事(できごと)など9編。動物学者のうちにある「永遠(えいえん)の少年」の心は、後年のいろいろな出来事の際にも顔を出し、研究を助けたり日常生活や子どもとの付き合いを彩(いろどり)り豊かなものにしている。
木曽川(きそがわ)に面した家で飼っていた池にヤマカガシが入り込み、金魚を一匹また一匹とさらっていく。少年時代に戻ったようにヤマカガシを捕まえ、濁流(だくりゅう)渦巻(うずま)く木曽川に投げたが、不覚(ふかく)にも指をかまれてしまう話。モンキーセンターの猿と仲良くなった犬の話、ツキノワグマの生態(せいたい)を調べたときの話、烏(からす)の雛(ひな)を飼って餌(えさ)やりに困った話など、ユーモラスな動物のエッセイ集である。最終稿「メルヘンランドでの再会」はエチオピア高地のゲラダヒヒの研究調査から1年半後の出来事。かつて調査したゲラダヒヒたちは、呼びかけに応じて遠くから集まってくる。紺碧(こんぺき)の空の下、高地でのゲラダヒヒたちとの再会、雌のアテグとの握手(あくしゅ)は、種を超えた心のつながりがあることを実感させる。
《本文1_1》
オキヤンはポケットから肥後守(ひごのかみ)を取り出し、その木を切り取った。柄(つか)になる部分だけを残して皮をはぐと、白木が現われた。ほれぼれするような、ぴかぴかに研いだ刀身だ。太腿(ふともも)にあててそりを作ると、立派な刀ができあがる。ぼくたちは陽が落ちるまで斬り合いに興じ、腰に刀をさして意気揚々(いきようよう)と家にもどった。
「お前ら、まけへんのかのう」と、おじいさんは心配そうな顔をしていう。
「負けるって?ぼくは勝ったんだよ」
オキヤンはキョトンとしておじいさんを見た。おじいさんはキセルでタバコを吸い、ゆっくり煙を吐き、タバコ盆にキセルをぽんぽんと叩(たた)くと、にっこり笑ってまたいった。
《本文1_2》
「それ、漆(うるし)の木やぞ。人によってはひどうまけよるわ。お前らだいじょうぶかいな?」
天下の名刀はじつは漆の木で、木の汁がつくとかぶれる人が多いが、お前らはだいじょうぶかと心配してくれているのである。
「さあさ、水で洗っておいで。顔も手も、きつう洗ってくるんやで。オチンチンもね」
おばあさんにせかされて、ぼくたちは井戸(いど)に連れていかれた。なんのことやらよくわからなかったが、どうやら、たいへんなことをしでかしたらしい。とりわけ、最後の言葉が不気味(ぶきみ)だった。いったいなにが起こるのだろうと心細くなっていくばかりだ。
翌日、目の下や腕に、ミミズ腫(ば)れのような湿疹(しっしん)ができ、ひどくかゆかった。二日目に家に帰ったが、それはしだいに広がり、やがて顔や腕はもとより、お腹(なか)まで真っ赤に腫れあがり、猛烈なかゆさに襲われた。なによりもうんざりしたのは、オチンチンがにんじんのように腫れてかゆかったことである。小便のとき漆の汁のついた手でさわったものだから、てきめんにやられたのだ。
略
《本文2_1》
ミトが捕虫網を斜めにかまえた。大輪の黒バラのような蝶が、ふわっと花に着陸したのだ。モンキアゲハは、めずらしい蝶ではないが、いつ見ても胸のときめきを覚えるすてきな蝶だ。ミトは息を小さくととのえ、まばたきもせず蝶の女王を見つめた。
〈うん、いまや〉ぼくは心の中で叫ぶ。それが通じたように、ミトはそろっと一歩を踏み出した。
蝶が花にとまったとき、あわてて近づいてはいけない。このとき蝶は、まだいつでも飛び立てる用意をしている。人が近づく気配を感じると、すっと逃げてしまうだろう。
しばらくすると、蝶は長い吸管(きゅうかん)を出して花につっこむ。このときがチャンスだ。蜜(みつ)を吸いはじめると、しばし蝶は危険を忘れて夢中になる。この機会を網の中にすぽっと取りこむこと、それが免許皆伝(めんきょかいでん)の腕前というもの。
《本文2_2》
強い夏の光が、熟(う)れかけのすもものようなミトの頬を浮き出している。目は一端を見つめてまばたきもしない。
人間が太古から受けついできた狩猟本能が、ミトを一頭のけものにする。目がきらきら光ってる。じいっと獲物ににじりよっていく姿が、すごくかっこええ。
「ええのが捕れたのう。いまのはうまかった」
モンキアゲハを三角紙にていねいに入れているミトに、ぼくはほめ言葉をおくる。
略
《本文3_1》
桃太郎屋敷の一隅(いちぐう)、木曾川に面した家に私はすんでいた。かつて小旅館だったので、小部屋の数だけは多いが、手入れをしてないので、家はかなりがたがただ。
庭の小さな池に、金魚を飼った。ろくに餌(えさ)もやらず放りっぱなしだったが、泥の中には適当な餌虫(えむし)がいるらしく、びっくりするほど立派な金魚に成長した。
「池の中で、金魚が暴れまわっている」
トオルが息せききって、駆けこんできた。
池をのぞいてみて、驚いた。水涸(みずが)れで浅くなった池に、泥流(でいりゅう)が小さな渦(うず)をつくり、水飛沫(みずしぶき)があがっている。もくもくと湧(わ)き立つ泥煙の中に、赤い点が焔(ほのお)のようにちらちら走りすぎる。
《本文3_2》
いったい、なにが起こったんだろう。金魚が暴れているとしても異様な状況だし、第一、金魚がこんなに暴れるはずがない。
「なに、あれは?」
じいっと見つめていた家内(かない)ともども、三人は一様に不審の声を出した。
「うわっ、リュウや!」
トオルがすっとんきょうな声をだした。
ぬめっとした細長く黒い縄が水面を割り、一瞬空中に輪を描いたと見るまに姿を没し、泥の渦の中をのたくった。〈ヤマカガシだな〉私はとっさにそう思う。でも、変な話だ。蛇が魚を呑(の)むなんてことがあるのかな。
「こらっ」とどなって、私は外へ飛び出した。どなり声が蛇に聞こえるはずはないが、こういうときの反射行動にしたがったにすぎない。
《本文3_3》
ヤマカガシは金魚狩りに成功し、口にくわえて草むらに逃げこんだ。赤い魚をくわえ、鎌首(かまくび)をやや上にあげて走る蛇の格好はなんとも滑稽(こっけい)だったが、せっかく大きく育った金魚をとられたくやしさも、格別だった。
ヤマカガシという名は、なんとなく山の案山子(かかし)という意味かと思っていたが、そうではないらしい。ホオズキのことをカガチというが、赤い目と体の赤い斑点(はんてん)からホオズキを連想し、このような名をつくりあげたのだろうか。ヤマカガシ体色は個体変異が多く、緑色を帯びた暗褐色(あんかっしょく)のものが多いが、こいつは全身が黒っぽい。赤い斑点がとくに腹部にたくさん散在していた。
略
《本文4_1》
きっといるだろうと期待したサハの崖にもいない。どこか遠くへ遠征しているのだろうか。大崖を登り、シュロの木に似た形のジャイアントロベリアが林立する草原で、私は絶叫(ぜっきょう)に近い声で呼んだ。
“ウワーッ”崖の下からかすかな声がした。やつらにちがいない。私の声を覚えていてくれたのだ。
期待と疑いをなかばしながら待ちつくしている長い時間を破って、草の間に黒い頭が見えたとき、私は夢を見ているような想いだった。
《本文4_2》
あっというまに、三十頭ほどのゲラダヒヒが並んでいた。
私は瞬間接着剤で固められたように硬直し、目をこらして見つめた。身じろぎでもしたら、ヒヒたちはクモの子を散らすごとくあっというまに霧散(むさん)してしまいそうに思えたからだ。
私は静かに双眼鏡を取り上げた。レンズに大きく映った顔を見て、ぐっと息をのんだ。アディスだ。アディスにまちがいない。
アディスは私がもっともよく調べたハーレムのリーダーで、四頭の雌(めす)をしたがえ、きびきびした行動でみんなをよくまとめていた。アクティビティ(活動性)を調べるために、私は朝から夕方までアディスにつきストップウオッチで行動時間をはかったことがある。百二十時間、休みなく追い続けたのだから、彼の顔は私の記憶に焼きついている。
《本文4_3》
だが、思いちがいということもあろう。横の大人雄(おとなおす)に焦点を合わせた。
だれだったろうか。見覚えがあるが-と記憶の底をまさぐっていると、しだいにあいまいな輪郭(りんかく)が鮮明になり、びっくり箱から跳び出てきたように“アイン”という名が浮かんだ。
数十頭になったヒヒたちも、声を出さずにじいっと私を見つめている。
ことあらば、いつでも崖下に逃げこめる態勢だ。聞きなれた声につられて崖を登ってきたものの、目の前にいる人間がかつていっしょに暮らしたことのある人間と同じなのか、確かめているのだろう。
アディスがこちらに向かって歩きはじめた。
《本文4_4》
黒い集団の半分以上が、そのあとについて動きだす。私もリラックスし、彼らのほうに向かって、ゆっくり歩を進めた。
いる、いる。あいつもこいつも、なつかしい顔の連中がいる。
数メートル前まで近づくと、私は膝(ひざ)をついて相対した。一頭の少女ザルが、ちょこちょこと歩み出た。アテグだ。孤児のアテグは人なつこく、私はとりわけかわいがっていた。
アテグは私の前にちょこんと坐り、小首をかたむけた。私が手を出すと、アテグも手を出し、握手をした格好になった。
メルヘンランドに化した影を失ったような明るい高地の草原で、私はにっこりアテグにほほえみかけた。
略
ユカの花ものがたり
あらすじ
植物(しょくぶつ)は動物(どうぶつ)に食べられる。でも動物は食べるばかりではない。ちゃんとお返しをしている場合もあるのだ。妖精(ようせい)のユカは世界を旅行(りょこう)してさまざまな共生関係(きょうせいかんけい)を知る。レンゲの蜜(みつ)を吸うミツバチ、ドリアンの蜜を吸うヨアケコウモリなどは花の受粉(じゅふん)を助けている。ドリアンの実を食べ芽が出るのを助けるゾウやイノシシなどの動物、カタクリの種(たね)を運ぶアリ、みんな植物の栄養(えいよう)をもらったお返しに、植物が増えるのを助けている。長い歴史(れきし)の進化(しんか)の過程(かてい)で出来上がってきた共生〈相利(そうり)共生=お互いに利益(りえき)を分かち合う共生〉関係をやさしく描く絵本。人間は自然に何をお返ししているのだろうか?との問いかけは重い。
《本文1》
ドリアンの木の下にはわれた大きな実(み)がころがっています。
鼻(はな)をつまみたくなるほどの、すごいにおいです。
ゾウがやってきて、おちているドリアンを鼻(はな)でつまみあげ、大きな口へほうりこみました。
ヒゲイノシシもやってきました。
どっかとこしをおろし、前足(まえあし)でかかえて、かぶりついているのは、マレーグマです。
「みんなドリアンが大好(だいす)きなのね。ドリアンレストランってとこ」
「ドリアンの種(たね)は、動物(どうぶつ)にたべてもらって、ふんにまじって地面(じめん)におちないと、芽(め)がでないんだ。動物(どうぶつ)にたべられないまま地面(じめん)におちた種(たね)は、すぐにくさってしまう。ジャックフルーツもパンノキも、おなじなんだよ」
「ふうん、うまくできてるんだね。ドリアンたちは、おいしい実(み)を動物(どうぶつ)にあげ、そのかわりに、種(たね)が芽(め)をだす力をもらってるんだね。」
ユカは、すっかり、感心(かんしん)してしまいました。
略
篠山少年時代
篠山少年時代インタビュー
河合雅雄インタビュー in篠山編
ー丹波篠山で生まれ育った私は、自然に恵まれた環境の中で自由な少年時代を送った。
そこが私の原風景であり、生き物が私の友達であり、大切なことを教えてくれる先生だった。ー
「今日は最初に先生の少年時代、篠山で過ごした少年時代の思い出、エピソードなどをお聞かせいただきたいんですけれども、強烈なエピソードって何かありますか?
【河合】僕は自然が大好きでしたからね。やっぱり、その中でのいろんな出来事ですね。僕は子どもの時は、僕の子どもがあんな事やったら「絶対やめとけー。」って事を親には内緒で知らん時に平気でやっていた。多分みんながそうだったんだと思う。
たとえば、僕は川が大好きで夏は毎日川へ行っていた。、大水が出ると、濁流ですごい川幅になって流れますね。そこで泳いだ事があります。
「オリンピックの選手より上だーっ。」ってわけですよ。抜き手ですけど・・・ものすごいスピードでしょう。ところがあっと思う間にね、「あっ!あそこあそこ!」っていうくらい速すぎて、岸へ戻ろうって時には戻れない。ようやく岸にたどりついたけどくたくた。あの時は本当に死ぬ思いがしたね。
よく生きて戻ってこられましたね。
【河合】そういうことはね、やっぱり黙っていますよ。ずっと・・・。親に言ったら・・・もうとんでもない。下手したら、「川なんか行っちゃいけない。」と言われるからね。
きっと他にも色々ゴンタをされたんでしょうね。
そうですね。子どもって秘密基地って好きでしょ。僕らの時も・・・権現山っていうところに
【河合】ね、木の上に家を作っていましたよ。すぐ下が坂になっている。そこから真っ逆さまに落ちた事があったなあ。
えっ、坂の上から?
【河合】いや、その木の上から・・・。そうしたら、地面は坂になっているから、ゴロゴロゴロゴロー、下まで転げるじゃない・・・。
それでも、やっぱり傷とか負うじゃないですか。
【河合】それは、まあ、傷はしますけどね。子どもっていうのはだいたい体重軽いしね。いわゆる柔道でいう受身ってのやりますね。その受身の仕方が・・・本能的に上手なんですよ。だからそんなに怪我しない。
だからね、手を折ったことや足を折ったことはないですね。今から思うと、本当に「あんな馬鹿げた事よくしたなー。」って思うけどね。
お城があるでしょ?篠山城が大好きで、セミ取りとか子スズメ取りによく行ったわけですよ。篠山城はね、天守閣がもともとないんです。ただし、天守閣作る台地だけはちゃんと出来ていて、そこから大きな松が、外へぐっと張り出しているんですよ。その下に小学校があるんです。そこに登るわけ・・・。
【河合】落ちたら、本当に下に真っ逆さま、命はない。そうすると下から先生が、「おーい、こらー、やめろー、こらー!」って言うでしょ・・・。そうしたらね、本当にあかんべーじゃないけど、「へへへーん。」ってやって先生をからかう。先生がいくら怒ったってどうしようもないからね。そういう悪さをしとったなあ。
何メートルぐらいあるんですか?
【河合】何メートルあるんでしょうね、天主台の上だから。あれ、うーん、どうだろうなー。
うん、今思っても、ぞっとするな・・・。
そんないろんな事は、昔ではみんながしていた事なんですか?
【河合】うん、たいていの子供はもう親に言えない危ないことをしているんじゃないかなー。特に男の子は・・・。女の子でも結構悪い事をやっていましたからねー。
川で泳いだり、本当に自然がいっぱいだったところなんですね、篠山は・・・。
【河合】そうですね。ご覧になったように、まわり全部山に囲まれたきれいな盆地なんですよ。だから、どこに行くにも出るにも峠を越えなきゃいけないと
ささやまの森公園
ささやまの森公園は、里山を活用し人と自然が触れ合う豊かな森づくりを進めることを目指して2002年にオープンしました。広大な敷地内に雑木林・湿地・渓流など、さまざまな自然が残り四季折々の風景の中で里山を体験・学習することができます。
サル学
ー私が半世紀かけて研究してきた学問は、学名は霊長類学、一般にはサル学と呼ばれている。サル学を含む生物社会学の出発点は宮崎県の都井岬だった。そして、サル学の出発点も同じ宮崎県の幸島だった。ー
- 都井岬インタビュー
- 幸島インタビュー
- 幸島 水戸サツヱさんとの対談
河合雅雄インタビュー in都井岬編
ー都井岬は宮崎県最南端の岬だ。ここには日本在来種の御崎馬がいる。ここが、私の先生、今西錦司さんの提唱した生物社会学の研究は、この馬の調査研究に始まった。ー
ここは宮崎県の都井(とい)岬なんですけれども、ここに来るまでもサルに出会ったり、そこに馬もたくさんいます。馬とサルがたくさんいるのには何かあるんですか?
【河合】そうなんですよ。ここには馬とサルがいるっていうことが、とてもサル学にとっては由緒の深い所なんですよ。
ニホンザルの研究っていうのはね、幸島(こうしま)――ここから山を越えた向こうにありますけど――そこから研究が始まったといわれます。その通りなんですけれども、実はニホンザル研究の一番の出発点はこの都井(とい)岬。そして、実はそのきっかけを与えてくれたのは、この馬たちなんですね。
この馬たちは野生の馬なんですか?
【河合】半野生馬――こう言っています。
この都井(とい)岬って、ぐうっと岬が突き出ているでしょ。その途中を柵で仕切って、その先の岬に馬を放しっぱなしにしているんですよ。だいたい元禄時代ぐらいから鍋島(なべしま)藩、秋月(あきづき)家がここを御用牧場にした。ここは、牧場で馬を管理するというよりも、放しっぱなしにしている。だから馬たちは好きなように生きてきたが、ちょっと管理してあるから半野生馬、そういう言い方していますね。
続きは映像でご覧下さい・・。
河合雅雄インタビュー in幸島編
この島で暮らしているサルたちは、今は何頭ぐらいですか?
【河合】今、ここには二つ群れがありましてね。というのは、だいぶ昔に分裂したんです。この主群が72頭ぐらいですね。向こうに10、11頭の小さい群れがいるんです。全部で92頭だから・・・もうちょっといるんですかね・・・。
それから、ヒトリザルというのがいて、どの群れにも暮らさないオスがウロウロしているんですけれど・・・それらを全部入れると、この島には92頭です。
ここでサル学が始まって、そういったことがわかってくるのは、いつぐらいからですか?何年もかかるものですか?
【河合】そうですね。子どもが生まれてどういう風に育っていくのか。それから、一般にボスといわれているリーダーオスにどういう課程でなっていくのか。また、人間には思春期、青年期があるでしょう?同じようにサルだってその時期があり、性的に成熟してくるのは何歳ぐらいか。血縁関係はどうなのかなどを見ようと思うと、少なくても10年は要りますね。
研究が始まったのはいつですか?
【河合】一番初めに今西先生らがここに来たのは、1948年。
この島は小さな島なんですけど、この島全体がみんな(サルも含めて)天然記念物に指定されている。亜熱帯林がよく茂っていて結構深いんですよ。ですからサルの姿はなかなか見られない。そこで、近くでサルを見ようというので、ここで初めて餌付けに成功したんです。
それが1952年のことです。
続きは映像でご覧下さい・・。
三戸サツヱ×河合雅雄 対談
-1953年、この島でサルの観察をしていた三戸サツエさんから、サルが砂のついたイモを海で洗っていると知らせがあった。島を訪れた私たちは、このことは「イモ洗い」という文化現象につながると直感した。-
【河合】幸島(こうしま)のサルですけどね、イモ洗いのいわゆるイモ洗い文化のことが世界的にものすごく有名です。一番初めに三戸さんが発見されたんですよね。
【三戸】はい、そうです。
【河合】あの時はどうでした?
【三戸】1歳半の子ザルが、川に持って行ってイモを転がして遊ぶんですね。
【河合】かつてこの浜には川流れていましたよね。
【三戸】転がして遊ぶから、「変なことをするなあ」と思ってイモをやると、またころがして遊ぶ。それからしばらくすると、深いところに持って行って、人間が洗うようにこすりだしたんですね。
あれは泥を落とすことを考えておったんだと思って、先生に連絡したんですよね。
【河合】そうですね。
【三戸】先生がすぐいらして、いろいろ調査なさって・・・。
【河合】川村さんと初めて一緒に来て、これは面白いと興味をもった。その前から、ニホンザルの文化的行動についていろいろ話していたんですよ。これはひょっとしたら文化行動じゃないかなと。
続きは映像でご覧下さい・・。
西表島
ー日本人にとって身近で親しみやすい動物、イノシシ。私は以前からそのイノシシの物語を動物記に書こうと思っていた。舞台は、かつてリュウキュウイノシシやイリオモテヤマネコの調査に行った西表島でのイノシシ猟は、イノシシと人が一対一で戦うものだった。ー
- イノシシ対談1 新城
寛好さん
- イノシシインタビュー
- イノシシ対談2 花井 正光さん
- イリオモテヤマネコ対談
伊澤 雅子さん
イノシシ対談1 新城 寛好さん
【河合】犬猟のことをいろいろ伺いたいんですが、もう今は犬猟は全くやってないんですね。
【寛好爺】もうないですね。たまに、鉄砲打ちが打ったら、その後を追わしたりっていうのがあるんですけどね。
【河合】昭和10年ぐらいの…戦前の犬猟のことを聞きたいんですけど、あの頃は全部、槍での猟なんですか。
【寛好爺】犬猟が持つ槍はフクといいます。日本語にしたら槍ですね。
【河合】長さはどれぐらいですか。
【寛好爺】長さはだいたい六尺や七尺か…。
【河合】その木は何で作るんですか。
【寛好爺】あれはね、こっちの名ではタシカです。堅い木で、折れないし弾力もあるので使ってますよ。シマミサオの木といいます。
【河合】シマミサオの木っていうんですか。かなり重いものですか?
【寛好爺】いや、そう重くないですよ。犬が追って走ってきたのにバーッと投げてね。
【河合】それから、犬を連れていきますね。
【寛好爺】西表島に犬が来たのはだいたいね…オランダ船が漂着して西表島に来たみたいですよ。それで、オランダ船が来たときに犬を連れてきとったみたいだ。お世話になって帰るときにお礼といって、自分の連れている犬をおいていったみたいですよ。
【河合】その犬からの子孫の犬ですね。
【寛好爺】だいたいその犬の子孫じゃないかなあ。
【河合】どんな色をしているんですか。
【寛好爺】茶色もいれば黒い色も…混じった犬。犬はたくさんおりましてね、赤犬・白犬・黒といってありまして。
イノシシインタビュー
先生の今度の新しい5作目の動物記は西表のイノシシについてということなんですが、どうして西表のイノシシを。
【河合】イノシシの動物記を書こうと前から思っていたんです。というのもイノシシというのは、日本人に非常に親しみのある野生動物なんですね。
ところが、イノシシって本当にどんな暮らしていて、野生の状態ではいつごろ子どもを生んでどう育てるかというがほとんど分からなかった。猟師の話はいろいろありますね。けれど、猟師さんの話というのは非常に不確かなことや作った話もあるんですよ。ところが生態学者の研究も進んでかなりイノシシが分かってきた。
では、舞台設定はやはり戦前の槍猟のころを・・・。
【河合】そうなんですよ。人間とイノシシが対等になれるわけですよ。だからこの西表を取り上げたんですよね。鉄砲なんて…特にもうほんとにライフル銃などでやられると、絶対強力な武器を持ってるんだからイノシシもかないっこないですよね。それでは面白くないからね。やっぱり一対一。だから今回書くものは大事な犬でも随分やられますよ。それで猟師も危ない目に遭って。
続きは映像でご覧下さい・・。
イノシシ対談2 花井正光さん
【河合】日本ではいろんな野生動物がいて、中でも野生のイノシシがいちばん身近なわけですね。ところが科学的な調査がほとんどなしに、本当に生態ってよく分からないですね。それで我々で動物生態用テレメーターを開発して、それで西表島でイノシシを調べようということで、イノシシに発信機をつけて調べたんですよ。ところが、わずか一ヶ月ですからね。しかもまだ当時は発信機の寿命がね、せいぜい二週間しかなかった。それでほんとにこう一日にどんな行動しているという概略のアウトラインがちょっと分かっただけなんですよ。
その後、「あそこにはイノシシが多いから誰かやってくれないかな。」と願っていたときに、ちょうど花井さんが大学院のときにね、「西表のイノシシをやろう。」というので現れたので、これはもう本当に嬉しかったですね。
サルだけは「日本のサル学」と言われるくらいどんどん研究が進んだけれど、他のものはね、おそらく野生のイノシシは、花井さんが日本のパイオニアでしょう。
続きは映像でご覧下さい・・。
イリオモテヤマネコ対談 伊澤雅子さん
【河合】あの、イリオモテヤマネコと言うとね、今やもう伊澤さんが研究者としてはほんとトップにきとるんですけどね。あのネコっていうのはほんとに不思議なネコでね。確か見つかったのは発見されたのは1965年でしたか。
【伊澤】そうですね。
【河合】しかもその発見者が戸川幸夫さんという作家ですよね。ということと、中型のほ乳類の新種が見つかるというのは、二十世紀になってからは本当に珍しいことですよ。
【伊澤】そうですね。
【河合】それでいろいろ衝撃的だった。それで僕らもそのヤマネコにテレメーターを開発して、「じゃあ、あのイリオモテヤマネコを調べようやないか。」ということでね。とにかく、「発見者は残念ながら動物学のアマチュアの人にとられたけども、あとの生態は我々がやらないかん。」ということで、1969年ですか、西表に入り込んだわけですよ。それであの早見田の浜へ行って、ヤマネコの足跡がけっこうあったでんですよ。それを見つけたとき本当に感激してね、石膏でとって今でも持ってるけれどね。そのぐらいで終っちゃったんですよ。その後伊澤さんらが一生懸命本格的な研究を始めるわけですけれども、伊澤さんは一番始めにやり出したのはいつごろですか?
続きは映像でご覧下さい・・。
監修・協力
- 監修者
- 河合雅雄
- 協力者
-
林美千代 (児童文学作品のあらすじ、抜粋を担当)子どもたちに読まれている現代の児童文学に興味を持ち、研究・評論活動を続けている。名古屋市生まれ、名古屋大学卒。神戸大学大学院前期課程修了。現在、愛知県立大学、金城学院大学など非常勤講師。日本児童文学学会会員。著書に『児童文学に魅せられた作家たち』(KTC中央出版、共編著)、『絵本論』
(創元社、共著)など。
阿部星香
伊澤雅子
NHK神戸放送局
木城えほんの郷
株式会社妖精村
京都大学霊長類研究所幸島観察所
神戸市立王子動物園
佐々木茂美
篠山市役所
写楽斎
新城寛好
太治庄三
筑摩書房
富山市ファミリーパーク
花井正光
兵庫県立ささやまの森公園
兵庫県篠山産業高等学校
フレーベル館
平凡社
御崎牧組合
三戸サツヱ ほか
Copyright © Net Museum Hyogo Bungakukan All Rights Reserved.