展示構成
I. 文化の復興
1941年大阪生まれの建築家・安藤忠雄は、神戸を「もう1つの故郷」と慕い、自身の設計事務所を開く以前の、若き修業時代の多くの時間をこの街で過ごしました。そこで出会った具体美術協会のメンバーをはじめとする兵庫ゆかりの芸術家たちとの交流は、安藤の建築家としての姿勢に少なからぬ影響を与えています。
そんな安藤にとっても、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は衝撃的な出来事でした。自身の心の一部としてあった風景が瓦礫の山と化しているのを目の当たりにし、本来ならば人々の安心安全な生活を担保するべき都市と建築の、その余りに無力な姿に、言いようのない喪失感と憤りを覚えたといいます。
ここ兵庫県立美術館は、阪神・淡路大震災からの「文化の復興」のシンボルとして、安藤忠雄建築研究所の設計により2002年4月に開館しました。安藤は他にも、美術館に隣接するなぎさ公園を含むHAT神戸のまちづくりや、《淡路夢舞台》など、建築と自然、文化の共生を主題にした多くの震災復興プロジェクトを実現しています。同時に、「心の復興」のための市民参加の植樹運動「ひょうごグリーンネットワーク」の立ち上げや、震災遺児育英基金の設立など、社会との深い関わりを通して、建築家の枠に収まらない活動を展開してきました。
II. 建築の原点
1969年、28歳のときに安藤忠雄は自身の建築研究所を大阪に設立します。その10年後には最初期の代表作として知られる《住吉の長屋》が、単独の住宅作品としては初めて日本建築学会賞を受賞しました。周辺環境への深い洞察、研鑽されたプロポーション、確かな技術によって徹底的に仕上げられた打放しコンクリートを用いた板的な構成と、閉ざされた内部へと空から注がれる静謐かつ劇的な光の空間表現。そこには安藤建築が時代を超えて世界中で人々を惹きつける理由が詰まっています。
高校卒業後、経済的な理由などから大学進学を諦め、独学で学びながら現場で叩き上げられた安藤の鮮烈な登場は、建築界に大きな波紋を呼びました。当時、一部の建築家たちはあえて歴史的な文脈から切り離して過去の様式を引用し、明快なイメージや装飾性を強調するようなアイデアを用いて、合理主義・機能主義的な近代建築からの脱却を試みていました。そうした潮流を横目に、安藤は一人の人間と一つの建築との関係に立ち返り、その根源的な在り方を問い直すことで一石を投じたのです。モダニズムの姿勢を継承しながらも、建築における身体性・場所性・精神性を突き詰めることで、安藤は独自の哲学を築いていきました。
ここでは「住宅こそが建築の原点」という安藤の言葉を借りて、初の設計住宅であり、後に自らの事務所として改修を重ねた《大淀のアトリエ》や、《住吉の長屋》をはじめとする初期の作品を取り上げます。あわせて、より純粋に光の空間の探求を試みた《光の教会》を含む代表的な教会三部作を紹介します。
III. 未来を育てる
本を読み、旅をする。必要なのは自分の頭で考え、自らの意思で行動できる、余白と自由である。安藤忠雄は自らの経験をもってその大切さをよく知っています。そしてこの考え方は、自身初の公共建築である《兵庫県立こどもの館》をはじめとする、これまで手がけてきた様々な社会教育的なプロジェクトにも色濃く反映されています。
安藤は18歳のとき、古本屋で見つけたル・コルビュジエの作品全集に魅せられました。時間さえあればページをめくり、トレースを繰り返したといいます。そして1964年、日本において観光目的の海外旅行が解禁されると、翌年の1965年にはアルバイトで貯めたお金を手に、ひとり世界へと飛び出しました。旅のなかで安藤は毎日のように歩き回り、また本を読み、写真やスケッチを残しながら自ら学びました。
《こども本の森 神戸》に寄せたメッセージのなかで、安藤はこどもの頃、ろくに本を読めず、大人になってから読書の楽しさや大切さに気付き、もっと幼い頃から絵本や文学に触れることが出来ていればと後悔した、と吐露しています。そうした思いをもとに立ち上げられた「こども本の森プロジェクト」は、いまや国内外で展開されています。また、文学にとどまらず、より広く芸術全般に人々が出会える場を生み出してきた取り組みとして、ここでは「瀬戸内の島に世界中のこどもたちが集える場を作りたい」という福武書店(現・ベネッセホールディングス)の福武總一郎氏とのタッグで始まった「直島プロジェクト」の数々を紹介します。
IV. 芸術の館
2002年に開館した兵庫県立美術館とフォートワース現代美術館は、いずれも国際設計競技を経て数多くの設計案の中から安藤忠雄の提案が選ばれ、実現した建築です。コンクリートによる表現を自らの代名詞としてきた安藤が長らく温めてきた、コンクリートの箱をガラスの壁で包み込む二重被膜の構成アイデアが結実し、閉じられた展示空間を確保しながらも縁側のような余白がデザインされています。それは安藤が提示した、その土地に根付き、建物の内外が一体となった、21世紀の現代的な美術館の姿でした。
1999年、ちょうど兵庫県立美術館とフォートワース現代美術館が同時進行で建設中だった頃、安藤はある雑誌に寄稿した文章のなかで、次のような言葉を残しています。
私には、夢がある。いままで関わることの出来たいくつかの美術館――建物を拠点としてそれらを結びつける美術館ネットワーク構想である。(中略)瀬戸内海文化ネットワークがアジア、世界の文化ネットワークとリンクし、目に見えない糸で結ばれた広い世界が生まれ、次代を担う子どもたちは多様な文化が重層する環境のなかで、さまざまな体験を積んでいく。真の「豊かさ」とは、そのような体験のなかで、どれだけ自由を、自分なりの生き方をみつけられるかということなのではないだろうか。
ここでは安藤がこれまで世界中で手がけてきた美術館を紹介しています。瀬戸内海に面したここ兵庫県立美術館から、「青りんご」の先に広がる海の向こうへと、ぜひ目を向けてみてください。
青りんご
当館の海のデッキにある「青りんご」のオブジェは、2019年に増築されたAndo Galleryとあわせて、安藤忠雄建築研究所より寄贈されました。アメリカの詩人、 サムエル・ウルマン(1840-1924)の詩『青春』に感銘を受けた安藤忠雄が、その美しく力強い詩句へのオマージュとして「人間も建築も、街も社会も、熟しきらず、挑戦心に溢れた青いままでありたい」という思いを込め制作し、海を臨むこの場所に設置されました。
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Photo by Nobutada Omote -
Photo by Nobutada Omote -
Photo by Masaki Tada
青りんごまでの行き方
① Gallery 上階の出口から外に出て、左に曲がります。
② Ando Gallery を左手に見ながら、真っ直ぐ進みます。
③ 通路の先、左に見える海のデッキに「青りんご」があります。
