いぜん惟然
- ~宝永8
- ジャンル: 俳人
- 出身:美濃国(現:岐阜県関市)
PROFILE
【兵庫県との関係】
惟然は、芭蕉の門人で、芭蕉没後は蕉風俳諧を広めるために風羅念仏を唱えて全国を行脚し、芭蕉の追善にもつとめた。惟然風といわれる軽妙な口語調俳諧を得意とした。鬼貫とも親交があり、元禄14年3月に伊丹を来訪、翌15年(1702)には播磨に行脚。このとき入門した姫路の千山は師の口語調俳諧の普及に努め、口語調俳諧が播磨、山陽地方に広まるきっかけとなった。姫路の風羅堂一派は、この人を祖とするといえる。惟然が所持していた、芭蕉像や芭蕉遺品と称する什物(簑や笠)を千山が受け継ぎ、記念の塚を建て、千山の子寒瓜が風羅堂を建立している。この俳系を風羅堂一派と称し、姫路俳諧の中心となって、昭和にいたるまで続いた。
【略歴】
惟然は美濃国関の人。広瀬氏。別号に素牛、鳥落人、湖南人、梅花仏等がある。関の酒造業者岩本屋の生まれ。元禄元年、芭蕉が『笈の小文』の旅で美濃に来訪した折り、入門した。元禄2年、『奥の細道』の旅を終えた芭蕉を大垣で出迎えたり、大坂で芭蕉を看病したりもしている。宝永2年(1705)以降は関に帰郷し、弁慶庵に隠棲し、質素な生活を送った。
――船よふねこちがはやいか須磨の岡――(『二葉集』)
- 逝去地
- 美濃国(現:岐阜県関市)
- 兵庫県との関係
- 訪問 播磨(姫路)
- もっと詳しく知るために
-
風羅念仏にさすらう 沢木美子 1999 平成11年 瀚林書房
俳人惟然の研究 鈴木重雅 1933 昭和8年 俳書堂
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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藤の実(俳諧撰集) | 1694 | 収録:『蕉門俳諧集一』(古典俳文学大系6) | |
二葉(じよう)集(俳諧撰集) | 1702 | 収録:『蕉門俳諧集二』(古典俳文学大系7) |