ふしゅう布舟
- 享保19~文化5
- ジャンル: 俳人
- 出身:高砂
PROFILE
【兵庫県との関係・略歴】
田中氏。別号暮桜亭。古来より尾上の松で知られた高砂の、酒造業を営む豪商で、特に俳諧を好んだため、京・大坂の俳人と交遊し、またその亭に迎えている。天明期には蕪村や几董(きとう)と交わった。明和4年(1767)、青蘿が加古川に来るとまもなく入門。翌年刊行の一門の第一撰集『蛸壺塚』に名を連ねている。以降、栗の本門の重鎮となり、寛政2年(1790)に青蘿が京の二条家で百韻興行の宗匠を努めた際、布舟もともに上京し参加した。丹波の俳人武陵との間でも句のやりとりがあり、月居に評を請うている。さらに一茶も寛政7年(1795)に布舟宅に滞在し、俳諧の会を催している。布舟亭が、この時期の播磨の俳諧に果たした役割は大きいといえる。高砂で没し、墓は十輪寺にある。
――荘かりて庭も畑も冬の月――(『うらあふぎ』)
- 逝去地
- 高砂
- 兵庫県との関係
- 生誕 高砂
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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栗本集(俳諧撰集) | 1792 |