やなだ ぜいがん梁田 蛻巌
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寛文12~宝暦7
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ジャンル:
俳人・漢詩人
- 出身:江戸
PROFILE
【兵庫県との関係】
享保4年(1719)48歳で明石藩儒となり、没するまで定住した。その間江村北海の才能を見出し、彼が詩人となるきっかけを作った。
【略歴】
江戸で生まれ、人見竹洞について儒学を学んだ。加賀藩(現石川県金沢市)、美濃国加納藩(現岐阜県岐阜市)の藩儒を務めたが、奔放で率直な性格が仕官に向かず致仕している。明石藩は彼を厚遇し、蛻巌自身の性格も次第に穏やかになって、寛延元年(1749)78歳で退隠するまで藩儒の任務を務め上げた。墓は明石の本立寺(日富美町)にある。
若くから儒学だけでなく詩文にも関心が深かった。当時の漢詩文壇は、優れた作品は優れた古典作品の模倣から生まれるとする擬古主義の全盛期であったが、率直な性格の彼はそうしたお手本に拘束されることを嫌い、自身の真情を偽らずに詠むことを重んじる明の袁宏道などの詩論により、清新な作品を作った。そうした作風の詩はやがて漢詩の主流になってゆく。後世の優れた詩人たちも彼を高く評価している。
一方でこのような性格から、当時は俗文学とされ、儒者や詩人などがもてあそばないものとされていた俳諧にもこだわりなく手を染めた。俳諧では其角の門人で、俳号を亀毛という。
- 逝去地
- 明石
- 兵庫県との関係
- 居住 明石
- もっと詳しく知るために
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梁田蛻巌全集 梁田忠山/編 1959 昭和34年 明石市教育委員会
江戸詩人伝 徳田武/著 1986 昭和61年 ぺりかん社
梁田蛻巌 秋山玉山 徳田武/著 1992 平成4年 岩波書店
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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蛻巌集(漢詩文集) | 1742 | | |
庭の巻(俳諧撰集) | 1742 | | |
片玉集(発句集・稿本) | | | |
文学碑
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