PROFILE
兵庫県ゆかりの作品に『続南船北馬』「播磨名所」がある。明治4年(1871)栃木県邑楽郡館林町(現:群馬県館林市)生まれ。明治14年(1881)上京し、京橋の書店有隣堂の丁稚となり、翌年帰郷。いったんは中止した学問を再び継続した。明治19年(1886)一家で上京してからは私塾で英語を学び、西欧文学を読み耽った。明治24年(1891)尾崎紅葉を訪ね、同じ硯友社同人の江見水蔭の下につき、水蔭が創刊した雑誌「小桜縅(こざくらおどし)」の編集に携わる。明治30年(1897)4月、友人国木田独歩、柳田国男、太田玉茗らと『抒情詩』を刊行。やがて西洋のヨーロッパ文学に接し、モーパッサンの小説には深い愛着を示した。明治40年(1907)、小説「蒲団」を発表。この「蒲団」は私小説の出発点とされ、その後の日本近代文学を方向づけた作品とみなされる。その後も「生」や「田舎教師」、「東京の三十年」などの作品を発表し、島崎藤村とならぶ自然主義文学の重鎮となった。大正期後半にかけて自然主義文学の反動期がくると中央文壇から遠ざかったが、明治後半から大正期前半にかけての日本近代文学を牽引し、大きな影響力を持った。昭和5年(1930)東京で逝去。旅行好きでも知られ、多くの紀行文を残した。明治31年(1898)4月、神戸の水蔭を訪ねた後に、加古川、高砂に遊んだ模様が『続南船北馬』に描かれている。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|
1871 | 0 | 12月13日、栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)に父?十郎、母てつの二男として生まれる。 |
1876 | 5 | 警視庁の巡査をしていた父のもとに、(祖父母を残し)母・姉・弟と上京。 |
1877 | 6 | 父が西南戦争で戦死。母・姉・弟と共に館林の祖父母のもとに移る。8月13日、館林東校初等八級に入学。 |
1881 | 10 | この年の初め頃、足利の薬種屋の丁稚に出る。2月頃、上京して京橋南伝馬町の書店有隣堂の丁稚となる。 |
1882 | 11 | 有隣堂を解雇になり、館林東学校中等小学校四級に復学。 |
1886 | 15 | 一家で上京。軍人を志し、速成学館に通う。この頃から西欧文学に接し始める。 |
1888 | 17 | 神田の日本英学館で英語を学ぶ。 |
1889 | 18 | この頃から桂園派の歌人、松浦辰男に和歌を学び、かたわら小説の習作を始める。 |
1890 | 19 | 日本法律学校(現:日本大学)に入学したが数ヶ月で退学。この頃、松岡国男(のちの柳田国男)を知る。 |
1891 | 20 | 尾崎紅葉を訪問。江見水蔭に紹介されて「成春社」社員になる。 |
1895 | 24 | 6月から9月まで江見水蔭の世話で中央新聞社に勤める。 |
1896 | 25 | 雑誌「文学界」新年会で島崎藤村を知る。 |
1897 | 26 | 国木田独歩、太田玉茗、柳田国男らと共編詩集『抒情詩』を刊行。 |
1899 | 28 | 太田玉茗の妹、伊藤里さと結婚。博文館編輯局に入社。紀行文集『南船北馬』を博文館から刊行。 |
1901 | 30 | この頃、モーパッサンの『ベラミ』や英訳短編小説集を読んで強い衝撃を受ける。『続南船北馬』を博文館から刊行。 |
1902 | 31 | 『重右衛門の最後』を新声社から刊行。 |
1904 | 33 | 第二軍写真班の記者として、遼東半島に渡る。現地で病を得て森鴎外の世話を受ける。 |
1906 | 35 | 博文館から雑誌「文章世界」が創刊され、主筆として編集に従事。自然主義運動推進の中心的役割を担った。 |
1907 | 36 | 小説「蒲団」を「新小説」に発表。大きな反響を得る。 |
1908 | 37 | 「生」を「読売新聞」に連載。「妻」を新聞「日本」に連載。 |
1909 | 38 | 『妻』を今古堂から、『田舎教師』を左久良書房から刊行。 |
1910 | 39 | 「縁」を「毎日電報」に連載。 |
1912 | 41 | 博文館を退社する。 |
1916 | 45 | 『時は過ぎゆく』を新潮社から刊行。 |
1917 | 46 | 『一兵卒の銃殺』を春陽堂から刊行、文壇回想記『東京の三十年』を博文館から刊行。 |
1918 | 47 | 『花袋歌集』を春陽堂から刊行。 |
1920 | 49 | 徳田秋声とともに生誕五十年祝賀会が開かれた。 |
1923 | 52 | 4月から6月まで満州、朝鮮に旅行。 |
1924 | 53 | 『源義朝』を金星堂から刊行。 |
1928 | 57 | 脳溢血で倒れる。 |
1930 | 58 | 喉頭ガンのため、東京の自宅で永眠。 |
- 逝去地
- 東京都
- 兵庫県との関係
- 訪問(加古川)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
---|
抒情詩(合詩集) | 1897 | 民友社 | |
南船北馬 | 1899 | 博文館 | |
続南船北馬 | 1901 | 博文館 | |
重右衛門の最後 | 1902 | 新声社 | |
生 | 1908 | 易風社 | |
インキツボ | 1909 | 左久良書房 | |
田舎教師 | 1909 | 左久良書房 | |
妻 | 1909 | 今古堂 | |
縁 | 1910 | 今古堂 | |
時は過ぎゆく | 1916 | 新潮社 | |
一兵卒の銃殺 | 1917 | 春陽堂 | |
東京の三十年 | 1917 | 博文館 | |
源義朝 | 1924 | 金星堂 | |
百夜 | 1935 | 中央公論社 | |
兵庫ゆかりの作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
続南船北馬
|
1901 |
博文館 |
Copyright © Net Museum Hyogo Bungakukan All Rights Reserved.