もり すみお森 澄雄
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大正8~ (1919~)
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ジャンル:
俳人
- 出身:兵庫県揖保郡(現・姫路市)
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1919 | 0 | 2月28日、兵庫県揖保郡旭陽村(現・姫路市網干区)に父・貞雄、母・はまゑの長男として生まれる。生後まもなく両親が長崎市で歯科医を開業するため、祖父母に預けられる。 |
1924 | 5 | 長崎市の両親に引き取られる。 |
1925 | 6 | 長崎市立朝日尋常小学校入学。 |
1931 | 12 | 長崎市立朝日尋常小学校卒業。長崎県立瓊浦(けいほ)中学校入学。 |
1936 | 17 | 長崎県立瓊浦(けいほ)中学校卒業。 |
1937 | 18 | 長崎高等商業学校(現・長崎大学)入学。1年先輩に島尾敏雄がいた。この頃から句作を始め、加藤楸邨の添削指導を受けるようになる。 |
1938 | 19 | この年から学友会雑誌に作品を発表するようになる。 |
1940 | 21 | 4月、九州帝国大学法文学部経済科に入学。10月、「寒雷」が創刊され、11月号「寒雷集」(楸邨選)に2句掲載。 |
1941 | 22 | 3月、17年ぶりに網干に帰り、祖母に付き添って上京。東京府立八中(現・小山台高校)を訪れ、初めて楸邨に会う。 |
1942 | 23 | 9月、戦時短縮による繰り上げ卒業。10月、久留米野砲五六連隊に入営。 |
1943 | 24 | 5月、久留米第一陸軍予備仕官学校に入校。12月、同校を卒業、原隊に復帰したが黄疸を病んで久留米陸軍病院に4ヶ月間入院。 |
1944 | 25 | 7月、少尉に任官、間もなく南方独立混成第五七旅団に転属。マニラに1ヶ月滞在、その後ボルネオに半年ほど滞在。 |
1945 | 26 | 終戦後、ジェルストンの捕虜収容所に収容される。 |
1946 | 27 | 4月、帰還船でジェスルトンを出港、サイゴン経由で広島県大竹に砲兵中尉として復員。 |
1947 | 28 | 5月、佐賀県立鳥栖高等女学校に英語教師として就職。8月、上京、戦後初めて楸邨に会う。 |
1948 | 29 | 3月、同僚教師の内田アキ子と結婚。4月、上京し、都立第十高等女学校(現・豊島高校)に社会科教師として赴任。 |
1949 | 30 | 1月、長男誕生。 |
1950 | 31 | 3月、楸邨とともに上州へ旅行。8月、長女誕生。 |
1952 | 33 | 4月、次男誕生。 |
1954 | 35 | 6月、第一句集『雪櫟』(書肆ユリイカ)刊行。 |
1955 | 36 | 3月、練馬区大泉学園町に新居。 |
1956 | 37 | 7月号から「寒雷」の編集を引き継ぎ、以後15年間担当。 |
1959 | 40 | 楸邨の奥の細道探査行に随行して3月は加賀、越中、7月は山形へ。 |
1963 | 44 | 10月、父・貞雄死去。 |
1964 | 45 | 8月、修学旅行下見の帰途、23年ぶりに網干を訪れたのを機に姫路句会に通い始める。 |
1966 | 47 | 1月、展宏の米沢女子短大で俳諧特別講義。 |
1968 | 49 | 4月から青山学院女子短大国文科講師として俳句の講義と指導。 |
1969 | 50 | 4月、第1回寒雷暖響賞受賞。7月、第二句集『花眼』(牧羊社)刊行。 |
1970 | 51 | 10月、「杉」を創刊、主宰。 |
1971 | 52 | 8月、第1回「杉」のつどいを箱根の緑荘ホテルで。12月、「石田波郷論」などを収めた『森澄雄俳論集』(永田書房)刊行。 |
1972 | 53 | この年から読売俳壇選者、角川俳句賞選考委員となる。3月、青山学院女子短大講師を辞す。7月末から2週間、楸邨夫妻らとシルクロードへ。 |
1973 | 54 | 7月、第三句集『浮鴎』(永田書房)刊行。姫路支部発足部会に出席。 |
1974 | 55 | 9月、姫路郊外の塩田温泉で第4回「杉」のつどい。 |
1975 | 56 | 3月、NHK教育テレビの現代国語「現代作家の発想――森澄雄の世界」に出演。 |
1976 | 57 | 6月、五月書房の愛蔵本シリーズの1冊として『森澄雄句集』刊行。 |
1977 | 58 | この年から蛇笏賞、ミセス現代俳句女流賞選考委員となる。11月、第四句集『鯉素』(永田書房)刊行。 |
1978 | 59 | 1月、母・はまゑ死去。2月、『鯉素』で第29回読売文学賞(詩歌俳句賞)受賞。9月、山本健吉とアメリカ俳句協会(HSA)創立10周年記念大会に招かれ渡米。 |
1979 | 60 | 9月、森澄雄海外俳句教室で韓国、慶州などへ。 |
1980 | 61 | 6月、「俳句で訪ねるヨーロッパ奥の細道」でオランダ、オーストリア、イタリア、スイス、フランスへ。7月、銀座のギャラリーで金子兜太、沢木欣一と陶器に句や言葉を書いた三羊会展を開催。8月、第五句集『游方』(立風書房)刊行。 |
1981 | 62 | 3月、日本橋・高島屋「現代俳人直筆八人展」に瀧井孝作、阿波野青畝らと出品。6月、「ヨーロッパ奥の細道」でスペイン、ギリシャ、フランスへ。 |
1982 | 63 | 9月、脳梗塞の疑いにより竹岡病院に入院。10月初旬、国立療養所東京病院に移り、機能回復訓練に励む。11月初旬、仮退院の形で自宅に。 |
1983 | 64 | 4月、第六句集『空艪』(卯辰山文庫)刊行。 |
1984 | 65 | 3月、『森澄雄俳話百題(上・下)』(永田書房)刊行。9月から『旅の歳時記』(講談社)編集委員、西日本新聞「読者文芸・俳句」選者。 |
1986 | 67 | 5月、第七句集『四遠』(富士見書房)刊行。 |
1987 | 68 | 5月、『四遠』で第21回蛇笏賞受賞。11月、紫綬褒章受章。 |
1988 | 69 | 8月、妻・アキ子死去。 |
1989 | 70 | 6月、飯田龍太、金子兜太、尾形仂との座談集『俳句の現在』(富士見書房)刊行。8月、第八句集『所生』(角川書店)刊行。 |
1992 | 73 | 8月、自選500句収録の『花神コレクション(俳句)森澄雄』(花神社)刊行。9月、第九句集『餘日』(角川書店)刊行。 |
1993 | 74 | 2月、姫路文学館で講演。4月、勲四等旭日小綬章受章。 |
1994 | 75 | 3月、「中国・ |
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