ながい かふう永井 荷風
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明治12~昭和34
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ジャンル:
小説家
- 出身:東京市小石川区金富町(現・東京都文京区)
PROFILE
兵庫県明石市に居住。
明治12年(1879)東京市小石川区金富町(現・東京都文京区)に生まれる。父は永井久一郎(実業家・漢詩人)、祖父に鷲津毅堂(儒学者)をもつ。明治31年(1898)広津柳浪に師事し、ゾラ、モーパッサンに傾倒する。明治36年(1903)からアメリカ、フランスに外遊し、明治41年(1908)に帰国。同年発表した「あめりか物語」は多くの読者を獲得した。翌明治42年(1909)発表の「ふらんす物語」は当局より発禁処分を受けたが、続いて「孤」「新帰朝者日記」「すみだ川」などを発表し、耽美派を代表する流行作家となる。明治43年(1910)上田敏・森鴎外の推薦で慶応義塾教授となり「三田文学」を創刊主宰。反自然主義文学の代表的作家の一人となる。明治43年(1910)の大逆事件などを契機に次第に江戸戯作の世界に入り、「新橋夜話」など花柳界ものを多く発表した。大正期の代表作に「腕くらべ」「おかめ笹」、随筆集に「日和下駄」などがある。昭和に入ると小説「つゆのあとさき」、「※(さんずいに墨)東綺譚(ぼくとうきたん)」を発表し、さらに円熟した執筆活動を展開した。昭和20年(1945)3月戦時空襲で書斎・偏奇館が焼失。6月に兵庫県明石市の西林寺へ避難し、その後岡山へ疎開。敗戦を迎えて千葉県市川市に戻った。戦後の著書に、日記『断腸亭日乗』(大正6年~、1917-)『裸体』『あづま橋』などがある。また、詩人としての業績に『海潮音』『月下の一群』と並ぶフランス翻訳詩集『珊瑚集』や詩作41篇を収める『偏奇館吟草』があり、他に『荷風句集』がある。昭和27年(1952)文化勲章を受章、昭和29年(1954)芸術院会員となった。昭和34年4月、千葉県市川市の自宅で死去した。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1879 | 0 | 東京市小石川区金富町(現・東京都文京区) に生まれる。 |
1898 | 19 | 広津柳浪に師事。 |
1903 | 24 | アメリカ、フランスに外遊。 |
1908 | 29 | 帰国。 |
1910 | 31 | 上田敏・森鴎外の推薦で慶応義塾教授就任、「三田文学」を主宰。 |
1945 | 66 | 3月戦時空襲で書斎・偏奇館が焼失。6月に兵庫県明石市の西林寺へ避難。 |
1952 | 73 | 文化勲章受章。 |
1954 | 75 | 日本芸術院会員となる。 |
1959 | 80 | 死去。 |
- 逝去地
- 千葉県市川市
- 兵庫県との関係
- 居住 明石市
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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地獄の花 | 1902 | 金港堂 | |
あめりか物語 | 1908 | 博文館 | |
歓楽 | 1909 | 易風社 | |
ふらんす物語 | 1909 | 博文館 | |
おかめ笹 | 1920 | 春陽堂 | |
瀑東綺譚 | 1937 | 烏有堂 | |
断腸亭日乗 | 1947 | 扶桑書房 | |
「荷風全集」(全29巻) | | 岩波書店 | |
偏奇館吟草 | | | |
新橋夜話 | | | |
珊瑚集 | | | |
海潮音 | | | |
荷風句集 | | | |
つゆのあとさき | | | |
〓東綺譚 | | | |
月下の一群 | | | |
孤 | | | |
新帰朝者日記 | | | |
日和下駄 | | | |
受賞歴
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