まとの しゃくり真殿 舎句里
- 大正10~ (1921~)
- ジャンル: 川柳作家
- 出身:兵庫県相生市
PROFILE
兵庫県相生市に生まれ、在住。大正10年(1921)兵庫県相生市生まれ。昭和51年(1976)、兵庫県川柳協会が創立され、以後、理事、常任理事となり、現在に至る。平成14年(2002)4月、「川柳はりま会」会長を辞任し、以後は会運営に側面協力として、相談役となる。
【代表句】
言いすぎた悔いを黙って出す茶わん
皆元気なれば貧しき膳もよし
土壇場の涙に妥協すると負け
かすり傷ぐらいはいつも負い 男
舌下錠溶けると嘘がばれてくる
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|---|---|
1936 | 15 | 小学校卒業。 |
1938 | 17 | 地元の播磨造船所(現、石川島播磨重工業(株)相生工場、その後、1960年東京石川島重工業(株)と合併する。)に入社。 |
1943 | 22 | 12月、応召し鳥取部隊へ入隊。 |
1945 | 24 | 8月、神奈川県にて終戦。8月末、復員後復職。 |
1950 | 29 | この頃、勤務先の体育文化会川柳部「川柳はりま会」からの誘いにより入会。 以後、造船不況により石川島播磨重工業(株)相生工場の造船部門の閉鎖のため、「川柳はりま会」は独自運営となり継続、今日に至る。 |
1952 | 31 | この頃、ふあうすと川柳社へ入会する。 |
1959 | 38 | 10月、ふあうすと川柳社同人に推薦を受ける。 |
1963 | 42 | 石川島播磨重工業(株)傘下の東京、相生、名古屋、呉の4工場に同様の川柳会があったのを幸いに各工場持ち回りで、その地区において年1回の合同川柳大会を開催する。 |
1988 | 67 | 第23回合同川柳大会(東京地区)開催するも、造船不況の煽りを受け、各工場それぞれ大会開催不能、途中の休会を含め、この大会にて最後の合同川柳会となる。 |
- 兵庫県との関係
- 生誕・在住(相生市)