はしもと しのぶ橋本 忍
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~ (1918~)
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ジャンル:
脚本家
- 出身:兵庫県神崎郡市川町
PROFILE
兵庫県神崎郡市川町に生まれる。兵庫県ゆかりの作品に「自分という人」(『橋本忍 人とシナリオ』所収)がある。大正7年(1918)兵庫県神崎郡鶴居村(現:神崎郡市川町)生まれ。農家の家に長男として生まれる。鶴井小学校卒業後、国鉄(現:JR)に勤め、山陽線姫路駅、播但線竹田駅に勤務。昭和14年(1939)召集を受け、軍隊生活を送る途中に発病し、服役免除となり、岡山県の療養所で闘病生活中脚本を書き始める。映画監督の伊丹万作に師事してシナリオを学び、会社生活を送った後脚本家となる。戦後はじめてベニス・グランプリを獲得した黒沢明「羅生門」の脚本をはじめ、「七人の侍」「生きる」「悪い奴ほどよく眠る」など、黒澤明監督作品の脚本共同執筆に携わる。現在までに約70本もの脚本を手がけ、国内外で30を越える脚本賞、作品賞を受賞。日本を代表する脚本家の一人として高く評価されている。脚本を手がけた他の映画作品に『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』『切腹』『白い巨塔』『砂の器』『八甲田山』などがある。昭和49年(1974)には橋本プロを創立して製作者としても活躍し、『砂の器』『八甲田山』などの名作を手がけた。一方、新聞小説『悪の紋章』を執筆するなど、幅広く活躍している。平成6年(1994)シナリオ作家協会から『橋本忍 人とシナリオ』(平成16年(2004)橋本忍記念館より限定復刻された)が刊行され、その中で自伝エッセイ「自分という人」を執筆。鶴居村の情景や、播但線竹田駅で勤務した経験などが活き活きと描かれている。平成12年(2000)4月には故郷の市川町に橋本忍記念館がオープンした。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1918 | 0 | 4月18日、兵庫県市川町の農家の長男として生まれる。 |
1934 | 16 | 鶴居小学校卒業。国鉄(現:JR)に勤める。大鉄教習所卒業後、山陽線姫路駅に勤務し、のち、播但線竹田駅に勤務。 |
1938 | 20 | 現役兵として鳥取歩兵四十連隊に入隊するが、軍隊生活中に発病。岡山療養所で闘病生活中にシナリオ作家を志す。 |
1943 | 25 | 兵庫県姫路市にある中尾工業に勤務。 |
1950 | 32 | 黒澤明監督映画「羅生門」脚本を黒澤明と共同執筆。この作品でブルーリボン賞を受賞。この賞を皮切りに、国内外で30を越える脚本賞、作品賞を受賞する。 |
1951 | 33 | 「羅生門」がヴェネチア国際映画祭獅子賞を受賞し、日本映画として初めて国際映画祭でグランプリを獲得。 |
1952 | 34 | 東京へ移住。 |
1968 | 50 | 「太平洋の地獄」執筆のため、アメリカ、ロサンゼルスに長期滞在。東京へ帰った4日後にソ連モスクワで開催された映画同盟とのシンポジウムに参加。 |
1974 | 56 | 橋本プロを創立して製作者としても活躍する。第一作として「砂の器」を製作。 |
1994 | 76 | シナリオ作家協会より『橋本忍 人とシナリオ』刊行。(平成16年(2004)橋本忍記念館より限定復刻された) |
2000 | 82 | 郷里の兵庫県神崎郡市川町に「橋本忍記念館」がオープン。 |
- 兵庫県との関係
- 生誕(神崎郡市川町)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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太平洋の鷲 | 1953 | 国際出版社 | |
私は貝になりたい | 1959 | 現代社 | |
悪の紋章 | 1963 | 朝日新聞社 | |
侍(東宝シナリオ選集) | 1964 | 東宝 | |
仇討 | 1964 | 東映 | |
独裁者のラブレター | 1969 | 講談社 | |
シナリオ人間革命 | 1973 | 潮出版社 | |
映画「八甲田山」の世界 | 1977 | 映人社 | |
幻の湖 | 1980 | 集英社 | |
戦国鉄砲商人伝 | 1988 | 集英社 | |
橋本忍 人とシナリオ | 1994 | シナリオ作家協会 | |
複眼の映像 私と黒澤明 | 2006 | 文藝春秋 | |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1950 | ブルーリボン賞脚本賞 | 羅生門 |
1951 | ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞(作品賞) | 羅生門 |
1951 | アカデミー賞最優秀外国語映画賞 | 羅生門 |
1952 | 毎日映画コンクール | 生きる |
1954 | ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞 | 七人の侍 |
1954 | ベルリン国際映画祭銀熊賞 | 生きる |
1956 | 毎日映画コンクール | 真昼の暗黒 |
1956 | ブルーリボン賞 | 真昼の暗黒 |
1957 | (モスクワ)フィルム・フェスティバル金賞 | 真昼の暗黒 |
1958 | 毎日映画コンクール | 張込み、鰯雲 |
1958 | キネマ旬報賞 | 隠し砦の三悪人 |
1958 | ブルーリボン賞 | 張込み、鰯雲 |
1959 | ベルリン国際映画祭国際映画批評家連盟賞 | 隠し砦の三悪人 |
1960 | キネマ旬報賞 | 黒い画集、悪いやつほどよく眠る |
1960 | 毎日映画コンクール | 黒い画集、悪いやつほどよく眠る |
1962 | ブルーリボン賞 | 切腹 |
1962 | カンヌ国際映画祭審査員特別賞 | 切腹 |
1966 | 毎日映画コンクール | 白い巨塔 |
1966 | キネマ旬報賞 | 白い巨塔 |
1966 | ブルーリボン賞 | 白い巨塔 |
1967 | モスクワ国際映画祭銀メダル賞 | 白い巨塔 |
1967 | キネマ旬報賞 | 上意討ち |
1967 | ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞 | 上意討ち |
1967 | キネマ旬報賞 | 日本のいちばん長い日 |
1974 | キネマ旬報賞 | 砂の器 |
1977 | 日本興行新記録記念の楯 | 八甲田山 |
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