オランダ絵画の黄金時代−アムステルダム国立美術館展
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Amsterdam

第7章画家とその世界共和国とオランダ領東インド
 オランダ東インド会社は、1602年にオランダの商人や商社によって設立された会社です。この会社は、東アジアにおける香料貿易を独占し、各地と貿易協定を結び、外交関係を築きました。その結果、香料、金、象牙、絹、磁器、砂糖などがアムステルダムの倉庫にあふれ、オランダ東インド会社は世界最大の貿易企業となり、200年の間にこの会社は100万人をヨーロッパからアジアに送り出し、紅海から日本までの幅広い領域で商取引を行いました。この東洋との貿易も、17世紀のオランダ芸術に影響をおよぼしました。銀細工師は東インド会社が輸入する異国の香料を誇示するための新しい器をデザインし、大量に入荷された中国磁器に触発されたデルフトの陶工は、形においても装飾においても中国風の陶器を製作しました。また東インド会社の高官の注文により多くの絵画が制作されました。

デルフト・デ・フリークスヘA陶器製造所《燭台》1690-70年頃

デルフト・デ・フリークスヘA
陶器製造所《燭台》1669-70年頃
アムステルダム国立美術館蔵

  デルフトの陶器工房であったデ・フリークスヘAはメアリー・スチュアートをはじめ多くの上流階級の人々を顧客として、青色彩色の陶器を製造しました。東洋貿易では中国の磁器はとりわけ人気がありましたが、1640年代に中国の政情不安により磁器の輸入が減ると、デルフトの陶器工房は中国風の陶器の生産に力を入れるようになりました。この燭台も「中国風」陶器の一例で、一目で中国の磁器の模様を模したものであるとわかります。漢字のような装飾も見られ、当時の人々の東洋磁器へのあこがれを垣間見ることができます。

 この家族肖像画はインドネシアのバタヴィア(現在のジャカルタ)で描かれたものです。中央の紳士はピーテル・クノルという人物で、バタヴィア城内の東インド会社の上級商務員であった人物です。彼の左にいる女性はコルネリア・ファン・ニーウェンローデという人物で、九州の平戸でオランダ商館の商務員であったコルネリス・ファン・ニーウェンローデと日本人女性との間に生れた娘でした。彼女は混血児を国外退去させるという日本の鎖国政策の一環でインドネシアに送られ、そこでクノルと結婚、2人の娘をもうけました。クノルはバタヴィアでももっとも裕福な市民のひとりであり、彼らが着ている衣服や背景となっている屋敷などから彼らの豊かな生活がうかがえます。さらに左遠方に見える船はクノルの成功を象徴する商船が見えています。この作品はオランダと日本との交易を物語る史料としても重要な作品であるといえるでしょう。  ヤーコプ・ヤンスゾーン・クーマン 《ピーテル・クノル一家の肖像》

ヤーコプ・ヤンスゾーン・クーマン
《ピーテル・クノル一家の肖像》1665年
アムステルダム国立美術館蔵


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