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兵庫ゆかりの作家

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吉川 英治写真

よしかわ えいじ吉川 英治

  • 明治25~昭和37
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:神奈川県横浜市

PROFILE

兵庫県ゆかりの作品に『宮本武蔵』『新平家物語』『新平家今昔紀行』がある。
明治25年8月11日~昭和37年9月7日(1892-1962) 大正・昭和期の小説家。本名は英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。高等小学校中退、税務監督局の給仕、横浜ドックの船具工など各種の職業につく。19歳で上京。絵師、記者などを経て、川柳の世界に入り雉子郎(きじろう)の筆名で作品を発表。一方講談社系諸雑誌の懸賞小説に入選、「剣難女難」(T14-15)で注目された。「鳴門秘帖」(T15-S2)で時代小説家の地位を確保。「万花地獄」「貝殻一平」を発表、「かんかん虫は唄う」(S5-6)を執筆する前後から新しい模索を始め「檜山兄弟」「松のや露八」を経て「宮本武蔵」(S10-14)に至り、剣の求道者像に新次元を開き「新書太閤記」「三国志」をまとめた。戦後は「新・平家物語」(S25-32)「私本太平記」(S33-36)を書き国民文学の創造に努めた。昭和35年文化勲章受章。吉川英治文化賞・同文学賞が設けられた。 東京青梅市に吉川英治記念館がある。 今も多くの人々に愛される作品『宮本武蔵』の中では、武蔵が姫路城に幽閉されその中で本を読み成長する姿が描かれる。武蔵が現れるのを3年、花田橋で待っていたお通の話は架空の話だが、姫路市の東を流れる市川に架かる小川橋の東岸には、「お通公園」が造られ、お通の像が建つ。 (新潮人名辞典より)http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/jinbutsu.html

《 略年譜 》

年齢事項
189208月、神奈川県久良岐郡中村根岸(現・横浜市)に生まれる。本名・英次。父・直広、母・いく。
19031110月、小学校を中退。以降各種の職を転々とする。
191018勤めていた横浜ドックでの事故で九死に一生を得たのを機に、その年の暮れに上京、蒔絵師の徒弟となる。
191119「大正川柳」の同人に迎えられ、“雉子郎”の号で川柳家として名を成す。
191422講談社が募集した懸賞小説に応募、「江の島物語」が一等に当選。
191725川柳仲間とともに関西旅行。京都では歓迎句会に出席。滋賀,京都,大阪,神戸,奈良,宇治に遊ぶ。
191826父・直広、死去。
192028秋、大連に渡る。
192129母急病の報に急ぎ帰国。母・いく、死去。懸賞小説3作が入選。その年の暮れ、東京毎夕新聞社に入社。
1922304月、社命により、「親鸞記」を連載する。
192331最初の妻・赤沢やすと結婚。9月、関東大震災遭遇を機に文学に専念する決意を固める。
192432講談社の諸雑誌に19ものペンネームを使用して作品を発表。
192533講談社「キング」創刊に場を与えられ、「剣難女難」を連載、好評を博す。筆名“吉川英治”を初めて使用。
192634「大阪毎日新聞」に「鳴門秘帖」を連載、大変な評判をよび、一躍大衆文壇のスターダムにのし上がった。
192735家庭内での確執の兆し、11月、園子を養子にする。
193038家庭内不和深刻化。女中の下駄を履いたまま出奔。遠隔の温泉地を転々とし、作品を書いて送る。
193543日本青年文化協会を設立し、会長となって機関誌「青年太陽」を発刊。池戸文子と知り合う。8月、「宮本武蔵」を東西の「朝日新聞」に執筆、その後の自身の文学の方向を決定づけた。
193745日支事変起こり、毎日新聞の特派員として現地を視察。やすとの離婚成立、池戸文子(18歳)と再婚。
193846ペンの部隊で南京,漢口作戦に従軍。10月、従軍中に長男・英明生まれる。
193947「太閤記」を引き続き「三国志」を執筆する。
194048次男・英穂生まれる。
194250長女・曙美生まれる。
1944523月、家族と共に東京赤坂 から吉野村(現・青梅市)に疎開。4月、急性肺炎で一時重態。
1945533月、東京大空襲で前妻にひきとられた養女・園子(16歳)死去。8月、,敗戦と共に執筆活動を休止、疎開先の吉野村で晴耕雨読に明け暮れる日々を過ごす。その間地元に溶け込んだ姿を見せた。
1947554月、「人間山水図巻」を「東京」へ発表し、執筆活動を再開する。
1949574月、文子を伴い、奈良天理にて講演。途次桜の吉野山に遊ぶ。「新・平家物語」の想固まる。
1950584月、畢生の大作「新・平家物語」の連載が「週刊朝日」に始まる。6月、次女・香屋子誕生。
195361「新・平家物語」で菊池寛賞受賞。受賞祝賀会と結婚披露宴をおこなう。11月、東京品川へ移る。
1958661月、「私本太平記」を「毎日新聞」に連載する。
19606811月、文化勲章受章。
19616910月6日、肺ガンのため手術。経過は順調。年末に退院。自宅療養となる。
1962701月、「私本太平記」で毎日芸術賞大賞受賞。この賞金をもとに吉川英治賞が設けられる。
1962702月21日、長女・曙美20歳で結婚。傷跡の痛みをかばいながら挙式から披露宴の終わるまで笑みを絶やさず。7月、発作を起こし入院。リンパ節転移が見つかる。9月7日午前9時9分没。多磨霊園に眠る.。戒名 宗文院殿釈仁英大居士。
1977生前自ら「草思堂」と名付け、愛して止まなかった旧居宅の敷地内に吉川英治記念館が開設。
逝去地
東京(国立がんセンター)
兵庫県との関係
舞台  姫路市

代表作品

作品名刊行年版元備考
剣難女難1927講談社
貝殻一平1930先進社
かんかん虫は唄ふ1932春陽堂
鳴門秘帖(1縲1933春陽堂
新編 忠臣蔵1936新潮社
親鸞(地の巻・天の巻)1938講談社
宮本武蔵(1縲1939講談社
三国志(1縲1940講談社
新書太閤記(1縲1941新潮社
上杉謙信1942朝日新聞社
黒田如水1943朝日新聞社
新・平家物語(第1巻縲恆1951朝日新聞社
私本太平記(巻1縲怺ェ13)1959毎日新聞社
新・水滸伝(第1巻縲恆1960講談社

関連情報

場所説明内容
兵庫県宍粟郡山崎町鹿沢 闇斎神社境内「奉献ノ辞」                           S.35.11.文化の日広島県呉市 音戸の瀬戸公園内          君よ今昔の感如何                         (S.38.5.3)

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1953復活第1回菊池寛賞「新・平家物語」
1955第8回「文芸春秋」読者賞「忘れ残りの記」

兵庫ゆかりの作品

作品名 刊行年 版元
黒田如水 1943 朝日新聞社
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