かとう たい加藤 泰
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ジャンル:
映画監督・脚本家
- 出身:兵庫県神戸市
PROFILE
兵庫県神戸市に生まれる。
大正5年(1916)8月24日兵庫県神戸市に生まれる。愛知県工業学校中退。昭和12年(1937)叔父の山中貞雄監督の紹介で東宝撮影所助監督部に入ったが、戦後は大映、東映へと移り、シナリオ、監督の両分野で活躍。昭和37年(1962)の「瞼の母」、昭和41年(1966)の「沓掛時次郎・遊侠一匹」は戦後の股旅物の最高傑作といわれる。また野村芳太郎、山田洋次お二人の後押しを得て、昭和41年(1966)、初めて松竹で「男の顔は履歴書」を撮る。昭和47年(1972)~昭和48年(1973)、「人生劇場」「花と竜」「宮本武蔵」、東宝で「日本侠花伝」を撮る。任侠映画でも藤純子の「緋牡丹博走」シリーズのうち「花札勝負」など3作を監督している。「山中貞雄」を書いている時肝臓癌が判り病院にて仕上げる。昭和45年(1967)京都市民映画祭監督賞、昭和48年(1973)「日本侠花伝」が年鑑代表シナリオ集に掲載され、昭和50年(1975)第1回くまもと映画祭特別功労賞、昭和56年(1981)ヨコハマ映画祭特別大賞を受賞。昭和60年(1985)6月17日逝去。シナリオ集『日本侠花伝』のほか、『遊侠一匹・加藤泰の世界』、『映画監督山中貞雄』などの著書がある。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1916 | 0 | 8月24日兵庫県神戸市に生まれる。 |
1937 | 21 | 叔父の山中貞雄監督の紹介で東宝撮影所助監督部に入る。 |
1962 | 46 | 「瞼の母」を発表する。 |
1966 | 50 | 「沓掛時次郎・遊侠一匹」を発表する。松竹で「男の顔は履歴書」を撮る。 |
1967 | 51 | 京都市民映画祭監督賞を受賞する。 |
1972 | 56 | 松竹で「人生劇場」を撮る。 |
1973 | 57 | 松竹で「花と竜」「宮本武蔵」を撮る。東宝で「日本侠花伝」を撮り、年鑑代表シナリオに選出される。 |
1975 | 59 | 第1回くまもと映画祭特別功労賞を受賞する。 |
1981 | 65 | ヨコハマ映画祭特別大賞を受賞する。 |
1985 | 68 | 6月17日逝去する。 |
- 逝去地
- 京都市
- 兵庫県との関係
- 生誕(神戸市)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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世界の映画作家14(加藤泰、山田洋次) | 1972 | キネマ旬報社 | |
時代劇映画の詩と真実(伊藤大輔著、加藤泰編) | 1976 | キネマ旬報社 | |
映画監督山中貞雄 | 1985 | キネマ旬報社 | |
加藤泰作品集 | 1986 | 大和書房 | |
加藤泰、映画を語る | 1994 | 筑摩書房 | |
加藤泰映画華 | 1995 | ワイズ出版 | |
文化の想像力:人類学的理解のしかた | 2001 | 東海大学出版会 | |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1967 | 京都市民映画祭監督賞 | |
1973 | 年鑑代表シナリオ | 日本侠花伝 |
1975 | 第1回くまもと映画祭特別功労賞 | |
1981 | ヨコハマ映画祭特別大賞 | |
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