PROFILE
兵庫県神戸市生まれ。兵庫県が舞台の作品に「一年草」がある。昭和6年(1931)神戸生まれ。家は川崎造船所創立の子孫に当たる。諏訪山小学校、神戸山手高等女学校に学び、昭和22年(1947)相愛女専音楽部ピアノ科に入学するが1ヶ月で中退。昭和22年(1947)神戸山手高女卒業。昭和24年(1949)島尾敏雄を知り、同年9月、彼の手引きで富士正晴主宰の「VIKING」に参加する。昭和25年(1950)「久坂葉子」のペンネームで小説「ドミノのお告げ」(原題:「落ちてゆく世界」)を発表。芥川賞候補となった。昭和26年(1951)「VIKING」脱退後、化粧品会社の広告部嘱託、新日本放送嘱託となるが、昭和27年(1952)仕事を辞めて再び「VIKING」に参加。また、現代演劇研究所創立や、同人誌「VILLON」の創刊にも参加した。数度の自殺未遂の末、同年12月31日、『幾度目かの最期』を書き上げた後、自ら命を絶った。「女太宰治」とも呼ばれ、富士正晴、井上靖らにその優れた才能を惜しまれた。
《 略年譜 》
年 |
年齢 |
事項 |
1931 |
0 |
3月27日、父芳熊、母久子の次女として神戸市に生まれる。 |
1936 |
5 |
頌栄幼稚園に入園。日本舞踊を習う傍ら、ピアノを始める。 |
1937 |
6 |
神戸市立諏訪山尋常小学校入学。諏訪山小学校時代には父の影響で俳句、短歌を作った。 |
1943 |
12 |
4月、神戸山手高等女学校入学。 |
1947 |
16 |
11月、相愛女専音楽部ピアノ科に入り、翌月中退する。 |
1948 |
17 |
1月末、羅紗問屋に入社。3月、山手高等女学校卒業。 |
1949 |
18 |
8月、島尾敏雄の紹介で「VIKING」同人となり、富士正晴の指導を受ける。「久坂葉子」のペンネームを初めて用いる。 |
1950 |
19 |
4月、「VIKING」に発表した「落ちて行く世界」を「ドミノのお告げ」と改題し、7月、「作品」に発表。芥川賞候補となるが、落選。 |
1951 |
20 |
2月、「VIKING」脱退。8月、化粧品会社の広告部嘱託、新日本放送(NJB)嘱託となる。 |
1952 |
21 |
2月、NJB、化粧品会社を辞め、九州旅行。「VIKING」に復帰する。5月、現代演劇研究所創立に参加。7月、同人誌「VILLON」創刊に参加。12月31日、阪急六甲駅で自らの命を断つ。 |
- 逝去地
- 神戸
- 兵庫県との関係
- 生誕(神戸市) 神戸
代表作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
備考 |
久坂葉子作品集 女(没後刊行) |
1953 |
人文書院 |
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