いしはら しんたろう石原 慎太郎
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昭和7~ (1932~)
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ジャンル:
小説家・政治家
- 出身:神戸市
PROFILE
兵庫県神戸市に生まれる。昭和7年(1932)、神戸市須磨区生まれ。弟は俳優、石原裕次郎。父は山下汽船に勤務する実業家で、5歳の頃に小樽に転居。昭和19年(1944)、神奈川県逗子市に転居するまで少年時代を小樽で過ごした。神奈川県立湘南中学校入学後、学制改革により湘南高等学校に進学。サッカーやヨットに熱中するスポーツマンだった。一学年下には評論家、江藤淳がいる。弟の放蕩や父の死去に遭い、実業の道を選んで昭和27年(1952)一橋大学法学部に進学。のち社会学部に転部し、社会心理学を専攻した。在学中、一橋大の先輩、伊藤整の支援を受け、雑誌「一橋(いっきょう)文芸」を復刊。同誌に発表した処女作「灰色の教室」が「文学界」同人雑誌評で浅見淵に認められる。翌年(1954)「文学界」に応募した『太陽の季節』が文学界新人賞、翌年(1955)1月には第34回芥川賞を受賞する。『太陽の季節』の斬新で鮮烈な文学は、その文学的価値をめぐって賛否両論の渦をまき起こし、社会的事件として喧伝され、「太陽族」という流行語を生み出すほど人々に衝撃を与えた。続いて『狂った果実』、『処刑の部屋』、『亀裂』などの問題作を次々に発表。のちに世に出た開高健、大江健三郎、江藤淳らとともに新時代の文学の担い手として活躍する。また、『狼生きろ豚は死ね』を皮切りに戯曲にも情熱を燃やし、浅利慶太とともに日生劇場の創設を推進した。やがて政治家としての道を進み出し、昭和43年(1968)、参議院議員選挙に立候補して三百万票の最高得票で当選。以降、昭和47年(1972)から平成7年(1995)まで衆議院議員をつとめ、その間環境庁長官、運輸大臣を歴任する。平成7年(1995)に衆議院議員辞職後、弟裕次郎との絆を描く小説『弟』を発表するなど作家活動に専念するが、平成11年(1999)東京都知事となり、再び政界に復帰。平成13年(2001)小説『僕は結婚しない』、平成14年(2002)にはエッセイ『わが人生の時の人々』などを発表する一方、日本を叱咤激励するエッセイを多数発表し続けている。昭和46年(1971)『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、昭和63年(1988)「生還」で平林たい子文学賞を受賞した。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1932 | 0 | 9月30日、父潔、母光子の長男として神戸市須磨区に生まれる。弟裕次郎との二人兄弟。 |
1937 | 5 | 父の転勤に伴い、北海道小樽市に転居。 |
1939 | 7 | 小樽市稲穂中学校に入学。 |
1944 | 12 | 神奈川県逗子市に転居し、逗子小学校に転校。 |
1945 | 13 | 3月、逗子小学校卒業。神奈川県鵠沼の湘南中学校に入学。 |
1951 | 19 | 父潔死去。一家の家計を支えるため文学部進学を断念。叔父の助言を容れ、公認会計士を目指す。 |
1952 | 20 | 3月、湘南高校を卒業。4月、一橋大学法学部に進学。 |
1954 | 22 | 4月、社会学部へ転部。社会心理学を専攻する。秋、休刊中の「一橋文芸」の復刊を計画し、伊藤整に資金援助を求める。12月、処女作「灰色の教室」を「一橋文芸」復刊第一号に発表。評論家浅見淵に認められる。 |
1955 | 23 | 春休み、第二作として「太陽の季節」を一気呵成に執筆し、「文学界」新人賞に応募。秋、第一回「文学界」新人賞を受賞。瓜生卓造、戸川雄次郎(菊村到)らと「文藝手帖」を創刊。12月、石田由美子と結婚。 |
1956 | 24 | 1月、「太陽の季節」で第34回芥川賞受賞。3月、一橋大学を卒業。4月、映画監督を志して東宝株式会社に入社するが一日で退社。作家生活に入る。 |
1958 | 26 | 自作を脚色した映画監督第一作「若い獣」が東宝で映画化される。開高健、大江健三郎、江藤淳、谷川俊太郎らと「若い日本の会」を結成し、警職法改正に対して反対を表明。 |
1960 | 28 | 5月、初めて書いた戯曲「狼生きろ豚は死ね」を浅利慶太演出、劇団四季により上演。 |
1961 | 29 | 日生劇場の設立(1963年9月竣工)に浅利慶太とともに奔走し、同劇場の取締役に就任。浅利とともに新しい劇場のビジョンを掲げ、当時の日本生命社長弘世現、東急社長五島昇ら財界人の大物を口説き落としての実現だった。 |
1968 | 36 | 7月、参議院議員選挙(全国区)に出馬し史上初の三百万票余の得票数で当選。 |
1969 | 37 | 小田実との共著『日本について語ろう』により第31回文藝春秋読者賞を受賞。 |
1970 | 38 | 2月、世界初のエベレストスキー滑降に挑む日本エベレスト探検隊の総隊長として三浦雄一郎らと現地に行く。書き下ろし長編小説『化石の森』(1971年芸術選奨文部大臣賞受賞)刊行。12月、多大な刺激と啓発を受けた三島由紀夫が自裁。 |
1971 | 39 | 3月、『化石の森』で第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞。 |
1972 | 40 | 12月、参議院議員を辞し、衆議院議員に東京二区から立候補して当選(以降連続8回当選)。 |
1975 | 43 | 4月、東京都知事選挙に立候補するも落選。 |
1976 | 44 | 12月、環境庁長官に就任。 |
1980 | 48 | 2月、日本外洋帆走協会会長就任。 |
1987 | 55 | 7月、弟裕次郎死去。11月、運輸大臣に就任。 |
1988 | 56 | 『生還』で第16回平林たい子文学賞。 |
1989 | 57 | 自由民主党総裁選挙に立候補するが落選。盛田昭夫との共著『Noと言える日本』刊行。アメリカで海賊版が出回るなど日米で大きな反響を呼んだ。 |
1995 | 63 | 衆議院議員辞職。弟裕次郎との交流を描いた小説『弟』発表。ベストセラーとなる。 |
1999 | 67 | 東京都知事に就任。 |
- 兵庫県との関係
- 生誕(神戸市)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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理由なき復讐 | 1956 | 三笠書房 | |
狂った果実 | 1956 | 新潮社 | |
太陽の季節 | 1956 | 新潮社 | |
若い獣 | 1957 | 新潮社 | |
海の地図 | 1958 | 中央公論社 | |
完全なる遊戯 | 1958 | 新潮社 | |
亀裂 | 1958 | 文藝春秋 | |
月餌 | 1959 | 角川書店 | |
青年の樹 | 1959 | 角川書店 | |
青い糧 | 1961 | 講談社 | |
禁断 | 1962 | 角川書店 | |
密航 | 1963 | 新潮社 | |
終幕 | 1964 | 集英社 | |
人魚と野郎 | 1965 | 集英社 | |
砂の花 | 1965 | 新潮社 | |
青春とはなんだ | 1965 | 講談社 | |
星と舵 | 1965 | 河出書房新社 | |
孤独なる戴冠 | 1966 | 河出書房新社 | |
還らぬ海 | 1966 | 講談社 | |
黒い環 | 1967 | 河出書房新社 | |
怒りの像 | 1968 | サンケイ新聞社出版局 | |
化石の森 | 1970 | 新潮社 | |
秘祭 | 1984 | 新潮社 | |
生還 | 1988 | 新潮社 | |
「No」と言える日本(盛田昭夫との共著) | 1989 | 光文社 | |
我が人生の時の時 | 1990 | 新潮社 | |
弟 | 1996 | 幻冬舎 | |
肉体の天使 | 1996 | 新潮社 | |
法華経を生きる | 1998 | 幻冬社 | |
東京の窓から日本を | 2001 | 文春ネスコ | |
いま魂の教育 | 2001 | 光文社 | |
わが人生の時の人々 | 2002 | 文藝春秋 | |
老いてこそ人生 | 2002 | 幻冬社 | |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1955 | 第34回芥川龍之介賞 | 「太陽の季節」 |
1955 | 第1回文学界新人賞 | 「太陽の季節」 |
1969 | 第31回「文芸春秋」読者賞 | 「日本について語ろう」(小田実共著) |
1970 | 第21回芸術選奨文部大臣賞 文学、評論部門 | 「化石の森」 |
1988 | 第16回平林たい子文学賞 小説 | 「生還」 |
1988 | 第7回ベストファーザー賞 | |
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