たきい こうさく瀧井 孝作
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明治27年~昭和59年
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ジャンル:
小説家・俳人
- 出身:岐阜県
PROFILE
兵庫県ゆかりの作品に「有馬まで」(『瀧井孝作全集11巻』所収)がある。明治27年(1894)、岐阜県生まれ。高山尋常小学校に入学後、母親が病没した12歳の時に高山町の魚市場の店員となり、家族が相次いで亡くなった後、魚問屋の隣家の文学青年柚原畦菫に俳句を学ぶ。その後、高山を訪れた河東碧梧桐に出会い、俳句の指導を受ける。やがて大阪に出て、特許事務所に勤めるかたわら作句や散文執筆に励む。大正3年(1914)上京。翌年、俳誌「海紅」の編集助手となり、大正8年(1919)、碧梧桐の紹介で時事新報社文芸部記者となる。芥川龍之介を識り、面会日に訪ねて創作の勉強をはじめる。大正9年(1920)「改造」の記者となり、この時初めて志賀直哉を訪問。以降、志賀直哉を生涯の師と仰ぐようになる。翌年「改造」の記者をやめ、作家活動に打ち込む。その後、京都、奈良に移り住み、この間文藝春秋社発行の「手帖」同人となったほか、武者小路実篤編集「大調和」の関西方面の記者をつとめた。昭和5年(1930)、奈良から八王子に移住、以後、定住する。昭和10年(1935)には、この年創設された芥川賞の選考委員となる。昭和13年(1938)には、中国戦線の武漢作戦に従軍し、従軍報告を執筆した。以後昭和21年(1946)まで8年間、新しい作品は発表していない。昭和21年(1946)4月「大火の夜」(空襲の体験)を発表後、多数の作品を生み出し、昭和35年(1960)、小沢碧童の『碧童句集』を編んで読売文学賞を受賞し、昭和44年(1969)、『野趣』で読売文学賞(小説賞)、昭和49年(1974)『俳人仲間』で日本文学大賞を受賞したほか、文化功労者にも選ばれた。代表作に『無限抱擁』『父』『結婚まで』『折柴句集』などがある。大正元年(1912)六甲山と有馬温泉を訪れ、その時に残した俳句10句が『瀧井孝作全集11巻』に収録されている。また、句集『浮寝鳥』には、小野市浄土寺付近で詠んだ句や、宝塚歌劇場付近で詠んだ句が収められている。
《 略年譜 》
年 |
年齢 |
事項 |
1894 |
0 |
4月4日、岐阜県飛騨高山町(現・高山市)に、父新三郎、母ゆきの二男として生まれる。 |
1900 |
6 |
高山町尋常高等小学校に入学。 |
1906 |
12 |
9月、高山町の川上魚市場の店員となった。 |
1909 |
15 |
7月、前年から魚問屋の隣家の文学青年柚原畦菫に俳句を習う。巡歴の旅の途中高山を訪れた河東碧梧桐に出会う。高山町長で俳人の福田鋤雲を識った。 |
1912 |
18 |
6月、大阪に出て東区淡路町の江田特許事務所の事務員に就く。12月、俳誌『層雲』に吟行「有馬まで」を発表。 |
1913 |
19 |
江田特許事務所発行の科学雑誌『化学工業』、大阪の俳誌『紙衣』、高山の俳誌『ツチグモ』の編集などにあたる。2月「時雨が晴れて」を『層雲』に発表。 |
1914 |
20 |
秋、上京。神田区(現・千代田区)の特許事務所の事務員となった。中塚一碧楼、河東碧梧桐らと俳三昧をはじめ、新傾向の句作に力を入れる。 |
1917 |
23 |
中村不折、碧梧桐らの六朝書道研究会龍眠会の機関誌『龍眠』の編集にあたる。 |
1919 |
25 |
2月、時事新報社文芸部記者となり、芥川龍之介を訪ねた。9月、文芸時評「人間を土台にして」を『時事新報』に発表。12月、榎本林(リン)と結婚(「無限抱擁」の素材)。 |
1920 |
26 |
2月、『改造』の記者となり、初めて志賀直哉と会う。のち、志賀直哉を生涯の師と仰ぐようになった。8月、「祖父」(新潮に掲載)、10月「弟」(サンエスに掲載)。 |
1921 |
27 |
1月、創作一本で生活していこうと考え、『改造』の記者をやめる。 |
1922 |
28 |
2月、妻、病死。4月、志賀直哉がいる千葉県我孫子町に転居。10月、最初の作品集『妹の問題』を玄桐社より刊行。 |
1923 |
29 |
京都に移り、四条河原町、山科御陵前などに住んだ。9月、篠崎リンと結婚(「結婚まで」の素材) |
1925 |
31 |
8月、奈良に転居。 |
1927 |
33 |
9月、代表作のひとつ、『無限抱擁』を改造社より刊行。(7月、芥川龍之介自尽) |
1930 |
36 |
2月、八王子市に転居。ここを終生の住まいとする。 |
1934 |
40 |
4月『慾呆け』を文体社より刊行。 |
1935 |
41 |
この年、芥川賞が創設され、選考委員の一人となる。以降、昭和57年(1982)まで選考委員中ただ一人創設以来の委員をつとめた。 |
1938 |
44 |
従軍文学者として中国に渡り、武漢作戦に従軍する。 |
1940 |
46 |
5月、大阪、宝塚を訪問する。6月、短篇集「結婚まで」を砂子屋書房より刊行。 |
1943 |
49 |
5月、句集『浮寝鳥』を石原求龍堂より刊行。 |
1945 |
51 |
8月1日、八王子市が空襲で焼亡したが、自宅は落下した焼夷弾を消しとめて焼け残る。 |
1946 |
52 |
この頃から能の美しさにひかれて、能見物に打ち込む。 |
1959 |
65 |
12月、日本芸術院会員に推薦される。 |
1960 |
66 |
1月『海ほほずき』を桜井書店より刊行。この年、小沢碧童の『碧童句集』を編んで読売文学賞を受賞した。 |
1969 |
75 |
1月「野趣』によって昭和43年度読売文学賞(小説賞)を受賞する。長編「俳人仲間」(第一篇)を発表。 |
1971 |
77 |
10月21日、志賀直哉死去。11月「文学七十年ー五十年前の思出」を、12月「志賀直哉さんの奥さん」を『新潮』に、「叱られる」を『心』に発表。 |
1974 |
80 |
6月、長編小説『俳人仲間』により日本文学大賞を受賞。11月、文化功労者に推される。 |
1975 |
81 |
勲二等瑞宝章受章。 |
1982 |
88 |
86回芥川賞選評を発表。これを最後に創設以来つとめていた選考委員を辞退する。 |
1984 |
90 |
11月21日、死去。死後、12月11日、日本芸術院会員、文化功労者として正四位に叙せられた。 |
- 逝去地
- 東京都
- 兵庫県との関係
- 舞台(神戸市、小野市)
代表作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
備考 |
折柴句集 |
1931 |
やぽんな書房 |
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慾呆け |
1934 |
文体社 |
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無限抱擁 |
1937 |
改造社 |
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風物誌 |
1938 |
砂子屋書房 |
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積雪 |
1938 |
改造社 |
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結婚まで |
1940 |
砂子屋書房 |
|
父 |
1941 |
高山書院 |
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稚心 |
1942 |
小山書店 |
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浮寐鳥 |
1943 |
石原求龍堂 |
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雪間の菜 |
1946 |
鎌倉書房 |
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志賀直哉対談日誌 |
1947 |
全国書房 |
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郷愁 |
1950 |
中央公論社 |
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野草の花 |
1953 |
筑摩書房 |
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野趣 |
1968 |
大和書房 |
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俳人仲間 |
1973 |
新潮社 |
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受賞歴
受賞年 |
受賞内容 |
受賞作品 |
1960 |
昭和34年度読売文学賞 |
碧童句集 |
1966 |
昭和43年度読売文学賞(小説賞) |
野趣 |
1974 |
日本文学大賞 |
俳人仲間 |
1974 |
文化功労者 |
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1975 |
勲二等瑞宝章 |
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