たけなか いく竹中 郁
- 明治37~昭和57
- ジャンル: 詩人
- 出身:神戸市兵庫区
PROFILE
兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県が舞台の作品に『海霧』がある。明治37年(1904)神戸市兵庫区永沢町生まれ。第二神戸中学校(現在の兵庫高校)在学中に北原白秋・山田耕筰主宰の「詩と音楽」に投稿、新進11人集に推薦され詩壇に立つ。関西学院英文科に進み、同人詩誌「羅針」を創刊。昭和3年(1928)から2年間、パリを中心にヨーロッパを遊ぶ。詩風は戦前と戦後で大きく変わると見られてきたが、最近は初期の『光』の裏にも、鋭い陰が隠されていると指摘する新たな視点も提示されている。終生はほとんど神戸を離れず、神戸を愛し、その風土を描き続けている。 昭和57年(1982)77歳で亡くなるまで作詩活動を続けた。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|---|---|
1904 | 0 | 神戸市兵庫区永沢町生まれ。 |
1908 | 4 | 神戸市立兵庫幼稚園入園。 |
1910 | 6 | 神戸市立入江尋常小学校に入学。 |
1917 | 13 | 兵庫県立第二神戸中学校入学。小磯良平と出会う。 |
1921 | 17 | 落第し、2回目の第4学年を繰り返す。4月より詩を書き始める。 |
1923 | 19 | 「詩と音楽」新年号にて“新進11人集”のひとりに推薦され、詩4篇が掲載される。関西学院文学部英文科に入学。 |
1925 | 21 | 「羅針」「射手」を創刊。 |
1926 | 22 | 第一詩集『黄蜂と花粉』を刊行。小磯良平の卒業制作に竹中郁モデル「彼の休息」が描かれる。 |
1927 | 23 | 関西学院文学部英文科卒業。北原白秋を頼って上京。同年帰郷。 |
1928 | 24 | 渡仏。小磯良平は竹中に遅れること2ヶ月で渡仏。 |
1930 | 26 | 帰国。 |
1932 | 28 | 第4詩集『象牙海岸』発表。 |
1948 | 44 | 第7詩集『動物磁気』出版。児童向け雑誌「きりん」創刊。 |
1950 | 46 | 「子どもの詩の会」を大阪児童文化会館で開く。 |
1968 | 64 | 第8詩集『そのほか』発表。 |
1982 | 78 | 脳内出血のため死去。 |
- 逝去地
- 神戸市中央区
- 兵庫県との関係
- 生誕地 居住
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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黄蜂と花粉 | 1926 | 海港詩人倶楽部 | |
枝の祝日 | 1928 | 海港詩人倶楽部 | |
象牙海岸 | 1932 | 第一書房 | |
署名 | 1936 | 第一書房 | |
動物磁気 | 1948 | 尾崎書房 | |
子供は見ている | 1959 | 東都書房 | |
そのほか | 1969 | 中外書房 | |
子どもの言いぶん | 1973 | PHP研究所 |
関連情報
場所 | 説明 | 内容 |
---|---|---|
神戸市長田区寺池町1竏窒P兵庫高校 | 詩碑 | このグランド このユーカリプタス みな目の底に 心の底に収めて… |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
---|---|---|
1979 | 第31回読売文学賞 詩歌・俳句賞 | 「詩歌ポルカマズルカ」 |
1985 | 第25回日本児童文学者協会賞 特別賞 | 「子ども闘牛士」 |
兵庫ゆかりの作品
作品名 | 刊行年 | 版元 |
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海霧 |
文学碑
場所 | 碑文 |
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神戸市長田区寺池町1丁目4番1号 兵庫高校 | このグラウンド このユーカリプタス みな目の底に 心の中に収めて 島田叡は 沖縄に赴いた 一九四五年六月下浣 摩文仁岳近くで かれもこれも砕け散った <碑について> 「この碑文は太平洋戦争の沖縄戦で殉職した沖縄県知事 島田 叡 (神戸二中)の顕彰碑「合掌の碑」の一部を構成するものであり、 碑の設計自体を竹中郁が行った。」 |