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兵庫ゆかりの作家

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かみつかさ しょうけん上司 小剣

  • 明治7~昭和22
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:奈良市

PROFILE

兵庫県川西市に居住。兵庫県が舞台の作品に『父の婚礼』『天満宮』『石合戦』がある。 明治7年(1874)奈良市生まれ。家は代々奈良県手向山八幡宮の神主をつとめる家柄。次男だった父が奈良を出て、摂津の多田神社(現:川西市)の宮司となったため、幼少期をそこで過ごした。明治20年(1887)小学校卒業後、大阪の母の実家に預けられ、明治22年(1889)大阪予備学校に入学。明治26年(1893)には父の死去に伴って退学し、小学校の代用教員を勤めた。明治30年(1897)、堺利彦の勧めで上京し、読売新聞社に入社。明治36年(1903)に入社の正宗白鳥とは生涯にわたって親交を結んだ。明治38年(1905)、それまで「読売新聞」に連載していたエッセイをまとめた『小剣随筆 その日その日』を発表。好評をもって迎えられ、作家としての第一歩を踏み出し、その後も明治41年(1908)『灰燼』、明治44年(1911)『木像』を刊行するなど、活発な創作活動を続けた。特に、大正3年(1914)1月に発表した小説「鱧の皮」は一世一代の代表作として名作の誉れ高く、田山花袋、正宗白鳥らの激賞を受けた。大正9年(1920)読売新聞社退社後も旺盛な執筆活動を続け、『東京』、『U新聞年代記』、『平和主義者』などの傑作を数多く残した。昭和17年(1942)「伴林光平」で第3回菊池寛賞受賞。昭和21年(1946)には芸術院会員となる。昭和22年(1947)9月2日死去。

《 略年譜 》

年齢事項
1874012月15日、奈良市水門町に父延美(のぶよし)、母幸生(こふ)の一人息子として生まれる。父が川辺郡多田村(現:川西市多田院)にある多田神社の宮司になり、多田村に転居。
188713小学校卒業。母の実家を頼って大阪に出る。
188915大阪予備学校入学。
189319父延美死去。奈良の本家から受けていた経済援助を断り、小学校の代用教員をつとめる。西村天囚の指導を受け、堺利彦を知る。
189723堺利彦に勧められ、上京。堺利彦の兄の斡旋で「読売新聞」に入社。
190127岡本ゆきと結婚。
190228「読売新聞」にエッセイを発表し始める。
190329正宗白鳥が「読売新聞」に入社。白鳥とは生涯親交を結んだ。
190531「読売新聞」に発表したエッセイを集めた『小剣随筆 その日その日』刊行。
190632自ら中心となり、小冊子『簡易生活』を発行。この『簡易生活』と「読売新聞」を媒介として正宗白鳥、堺利彦をはじめ、幸徳秋水、白柳秀湖などの作家と交わるようになった。
190834第一創作集『灰燼』刊行。
191036小剣にとって初めての新聞小説「木像」を「読売新聞」に連載。
191440代表作「鱧の皮」発表。田山花袋、正宗白鳥らに激賞された。
191541「読売新聞」編集局長となり、文芸部長、婦人部長を兼任。
191642名目のみの文芸部長となり、自宅で創作に専念する。
192046読売新聞社を退社。
193662文芸懇話会の機関誌「文芸懇話会」の編集にあたる。
194268書き下ろしの伝記小説『伴林光平』で第5回菊池寛賞受賞。
194672芸術院会員となる。
1947739月2日、脳溢血のため死去。
兵庫県との関係
居住(川西)

代表作品

作品名刊行年版元備考
小剣随筆 その日その日1905読売新聞日就社
灰燼1908春陽堂
木像1911今古堂
鱧の皮1914春陽堂
父の婚礼1915新潮社
小さき窓より1915大同館
巫女殺し1916須原啓興社
生存を拒絶する人1920聚英閣
東京(第一部 愛欲篇)1921大鐙閣
東京(第二部 労働篇)1922大鐙閣
花瓶1922博文館
女護の島1924玄文社
西行法師1925而立社
東京(第三部 争闘篇《『現代長編小説全集第十六巻 上司小剣集』に収める》)1928新潮社
U新聞年代記1934中央公論社
蓄音機読本1936文学界社出版部
清貧に生きる1940千倉書房
生々抄1941大東出版社
余裕1941東洋書館
伴林光平1942厚生閣
菅原道真1946生活社
美しき世界へ・分業の村 1971麦書房

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1942第5回菊池寛賞「伴林光平」

兵庫ゆかりの作品

作品名 刊行年 版元
中山寺無縁経
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