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兵庫ゆかりの文学

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かみつかさ しょうけん上司 小剣

  • 明治7~昭和22(1874~1947)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:奈良市

作品名

中山寺無縁経

概要

二週間がほども、大阪の宿屋飯を喰べてゐるうちに、中山寺の無縁経がやつて来た。梅田から阪急の電車に乗つて、早速行つて見る。宝塚へ行く時よく通る線路だが、今日は目的が違ふので気持ちもおのづから別になる。猪名川の鉄橋を渡ると、池田から中山を経て、小浜、生瀬の方へ通ふ狭い街道が見える。少年の頃、無縁経詣でに、一年一度は必ず歩いた道だ。父がこれから奥一里の寒村に仮り住居してゐた関係で、私の少年の日の無縁経詣では、西北の山中を満願寺といふ山寺を経て中山に来り、それからこの街道を池田へ出て、猪名川に沿ひつつ、東南をくるりと廻つて、村に帰つたのであつた。牛の糞のまじつた砂埃りの舞ひのぼつてゐる街道も、少年の日の小さい足跡を印したところだと思へば、妙になつかしく眺められる。
私は中山の停留場に下車すると、寺の方へは行かずに、このなつかしい街道を、植木屋の植畑に添ふて、東の方へと歩いてみた。少年の日の足跡を探すやうな心もちで。――
昔し草履で歩いた土を、今は赤革の靴で踏んで行く。ズボンに薄く埃りのかかつたのを、黒檀のステッキで払つたりする。やがて小川の畔りへ出ると、そこに寂しいお宮がある。『トントコトンのお宮だ。……』と知つて、私の少年の時が、またそこに甦へつたやうな気がした。これもやはり躑躅の花の咲く頃であつた。このお宮の祭りに、神輿は村の若者たちに担がれて、トントコトントコと鳴り響く太鼓の囃しに連れて、ざぶざぶと、前の小川に入つて、上流へ下流へ、水を濁してあばれ廻はる。今は私の京都の住居から程遠からぬ品川の天王寺祭りに、神輿が海中へ入つてあばれ江戸名所図絵にも載つてゐる名高い年中行事が廃絶もせずに、この電車、自動車、飛行機の世にまでつづいて行はれてゐるのだ。ここのトントコトンの祭は先づ其の品川の天王祭の規模の小さいものであつたが、今も行われてゐるかどうか。小川は昔しに変らず、清く静かに流れてゐるけれど、遊子の心はそぞろ掻き乱されて、痛ましく、寂しく、胸に波うつのをおぼへるのであつた。
電車が通じても、街道には近郷近在からの無縁経詣での善男善女がぞろぞろ通る。そこには時代を超越した人々の姿が見えて、風俗や髪形、身なりまでが、何十年の昔し、私の少年時代其のままの趣きを見せてゐる。杖をついて、巾着を提げた老婆や、弁当の風呂敷包みを背負つた中年の男なんぞ、ほんたうのところ、昔しを今に、其のまま見ることの出来るもので、夢でもなんでもない。
私はいよいよ、昔しなつかしい、一種の感傷的な心もちになつて、これ等の風俗画のやうな人々の後から、中山寺へと入つて行つた。山門から、其の前の池、それも皆昔しのままである。池の緋鯉も昔しのとほりに泳いでゐる。鯉も人も、昔しのそれではないが、鱗や着物は昔しのままである。腰が梓弓のやうに曲つて、提げた巾着に敷居を撫でるばかり、やッこらさと、山門を入つて行く老婆の姿。しかしそれは私の少年の頃には、少くとも年増盛りの嫁女であつたらう。山門は昔のままながら、其の下を通る人は、老いて死んで、あとからあとからと、同じやうなのが出て来る。真にこれ歳々年々人同じからず、である。去年はたわわに咲いた枝も、今年は枯れて、鋸の痕を切り口に残すのもある。まだしも去年十六の娘は今年十七、娘盛りに変りのないのが、花より生命の長いものとして、無常迅速の哀はれを慰めもしようか。
中山門の山門を入つて、講中の出入に賑つてゐる塔頭の寺々や、両側に並んだ露店を左右に眺めつつ、人込みに揉まれて、敷石の上を磴道へとかかつて行く。それを登ると、裾を捲つて、得意気に赤い湯もじを露はした町娘の一連がやつて来る。これも昔しのままの鄙びた風俗である。其の後から赤い顔をした若い衆の一団が、秩父縞の一張羅に、縮緬の兵児帯を太く巻いて『赤い湯まきに迷はぬものは……』なぞと、鼻唄でやつて来る。すべてが昔のままの風情である。
(中略)

山門を出て、池の畔りに立ちつくし、麩を投げては、底の緋鯉を呼び出した。村娘の腰巻き、坊さんの法衣、鯉の鱗、赤いものは皆美しい。
電車の停留所へ来て、暫く考へた。これから大阪の宿へ帰らうか、それとも宝塚へ行つて、少女歌劇でも見ようか。少女歌劇と、御詠歌踊りとの比較研究をしようか。或は汽車で生瀬まで行つて、そこの有馬屋といふ宿屋がどうなつたか、尋ねてみようか。何十年前、二度ばかりそこに泊つて、賢く美しい宿の娘の給仕で、御飯を喰べたのを憶えてゐる。
しかし、私は宝塚へも、生瀬へも行かず、さりとて、すぐには大阪の宿へも帰らずに、満願寺道をば山の中へ入つて行つた。少年の頃通つた時とちがつて、この辺はひどく開けてゐるやうだ。最明寺の滝の上の方にある岩に、大きな人間の足痕の形が一つ刻り付けてあつたのも、私の幼時の馴染である。私は其の岩を探したけれど、見当らなかつた。


『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 P91?94

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