しし ぶんろく獅子 文六
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明治26~昭和44
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ジャンル:
小説家、劇作家
- 出身:横浜
PROFILE
兵庫県が舞台の作品に『バナナ』がある。横浜市に、父岩田茂穂、母麻二の長男として生まれる。 横浜市内の老松小学校に入学、絹物貿易商を営んでいた父の死後に慶応義塾の幼稚舎に移り、 普通部、理財科予科から文科に転じ、中退した。家業は没落していたが、自由気ままな身で、大正11年(1922)より3年間、演劇研究のためフランスに滞在。帰国後、久保田万太郎と劇団文学座を組織するが、戯曲、演劇評論の執筆では生計が成り立たないため、アルバイトのつもりでユーモア小説を書くことになっていく。昭和9年(1934)、獅子文六の筆名で小説『金色青春譜』を発表、ユーモア文学に新境地を開く。戦中・戦後と人気を博し、『悦ちゃん』『達磨町七番地』『おばあさん』などの小説を婦人雑誌や新聞に発表。3番目の妻の幸子夫人は吉川重吉の5女である。昭和44年(1969)に文化勲章受章、その翌月の12月13日に76歳で死去。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1893 | 0 | 横浜市で、父・岩田茂穂、母・アサジの長男として生まれる。姉は米子。父は大分県中津藩の武士の出。同郷の福沢諭吉の門下で、その感化を受け、横浜に絹物貿易商の岩田商店を営む。翌年、居留地に店舗を出店する。弟・彦二郎が誕生。 |
1899 | 6 | 横浜市立老松小学校に入学。 |
1902 | 9 | 7月、父死去。 |
1903 | 10 | 9月、慶応義塾幼稚舎5年に転学。寄宿舎に入る。 |
1905 | 12 | 4月、慶応義塾普通部に進学。居留地の店舗を閉店。店の規模も小さくなり、家も引越しを重ねる。 |
1909 | 16 | 岩田商店を廃業する。一家は横浜を離れ、東京へ転居。この頃、投稿を始める。 |
1910 | 17 | 文学に興味を持つようになり、回覧雑誌を作り始める。10月、姉・米子が結婚する。 |
1911 | 18 | 普通部を卒業し、4月に理財科部予科に進学するが、翌々年には文科部予科に転部する。 |
1920 | 27 | 8月、母が死去。弟がすでに商大を卒業し就職していたため、文学で身を立てる決心を固める。 |
1922 | 29 | 3月、父の遺産を留学費にあて、フランスに渡る。パリに滞在し演劇に関心を寄せる。 |
1923 | 30 | 純演劇の研究を始める。マリー・ショウミイと恋愛。 |
1925 | 32 | 6月、マリー・ショウミイと帰国。8月、長女・巴絵が生まれた。翌年、演劇関係の仕事をもち、印税を得るが家計の大半はマリーのフランス語教師の報酬だった。 |
1930 | 37 | 11月、妻・マリーが発病。長女を朝鮮・平嬢の姉夫婦にあずけ、妻を療養させるために郷里のパリで半年間滞在。 |
1931 | 38 | 5月、単身帰国。長女を引き取り東京の伯母の家に住む。 |
1932 | 39 | 12月、妻・マリーが郷里のパリで死去。 |
1933 | 40 | 明治大学の講師になる。処女作戯曲を発表するが、批評家からは軽視される。 |
1934 | 41 | 4月、愛媛県出身の富永シヅ子と結婚し。千駄ケ谷の家に移る。7月、戯曲だけでは生活が成り立たないため、獅子文六のペンネームで小説を「新青年」に連載する。 |
1936 | 43 | 1月、『遊覧列車』などで直木賞候補にあがった。この頃からようやく原稿料で生活ができるようになる。 |
1937 | 44 | 2月、『悦ちゃん』映画化。9月、久保田万太郎、岸田国士と劇団文学座を興す。以後3年間の間、数回の演出を担当。 |
1939 | 46 | この年、翌年と立て続けに3つの作品が映画化される。 |
1941 | 48 | 大東亜戦争がはじまる。 |
1942 | 49 | 姉が死去。7月、『海軍』を朝日新聞に連載する。この作品では本名をで発表し、以後戦争関連の作品にはほとんどペンネーム「獅子文六」を使わなかった。 |
1943 | 50 | 『海軍』で朝日賞を受賞し、映画化。この年の開戦記念日(12月8日)に全国で公開された。中野道玄町の亡姉の家に転居。 |
1944 | 51 | 海軍報道部より嘱託を命じられる。8月、神奈川県吉浜町に疎開。 |
1945 | 52 | 5月、戦火のため中野の留守宅が全焼。8月、吉浜にて終戦を迎えるが、しばらくして妻の郷里である愛媛県岩松町へ再疎開する。 |
1947 | 55 | 3月、追放の仮指令を受けるが、5月解除される。11月、『てんやわんや』を毎日新聞に連載。 |
1947 | 54 | 10月、4年ぶりに東京に転入。神田駿河台の主婦之友寮に入居。 |
1950 | 57 | 2月、妻・シヅ子死去。4月、巴絵と二人で神奈川県大磯町に転居。5月、『自由学校』を朝日新聞に連載。『てんやわんや』映画化。 |
1951 | 58 | 1月、胃潰瘍のため吐血、入院、手術。5月、松方幸子と結婚。6月、長女・巴絵が結婚。この年、『自由学校』が上演され、また映画化された。 |
1953 | 59 | 自伝的小説『娘と私』を「主婦之友」に連載。5月、英女王の戴冠式参列のため3度目の外遊。パリで巴絵夫妻と会い、帰国。12月、長男・敦夫が誕生。 |
1954 | 60 | 8月、初孫・泰子が生まれる。長い交友関係にあった岸田国士が死去する。 |
1958 | 65 | 東京・赤坂新坂町に転居。 |
1959 | 66 | 2月、『バナナ』を読売新聞に連載。弟が死去。 |
1963 | 70 | 7月、文学座を退団。 |
1969 | 76 | 11月、文化勲章受賞。12月8日、夕刻より膵臓が痛みだし一時小康を保つが、13日午後5時、脳出血のため自宅で急死。 |
- 逝去地
- 東京赤坂
- 兵庫県との関係
- 舞台 『バナナ』(神戸市垂水区の移情閣が登場)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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南の風 | 1922 | 新潮社 | |
海軍 | 1943 | 朝日新聞社 | |
おばあさん | 1944 | 新潮社 | |
てんやわんや | 1949 | 新潮社 | |
自由学校 | 1951 | 朝日新聞社 | |
娘と私 | 1957 | 新潮社 | |
悦ちゃん | 1957 | 角川書店 | |
愚連隊 | 1957 | 角川書店 | |
遊べ遊べ | 1957 | 東京創元社 | |
大番 | 1958 | 新潮社 | |
南国滑稽譚 | 1958 | 角川書店 | |
探偵女房 | 1958 | 春陽堂書店 | |
ほおじろあっちゃん | 1959 | 講談社 | 幼年童話 |
東京の悪口 | 1959 | 新潮社 | |
バナナ | 1959 | 中央公論社 | |
すれちがい夫婦 | 1959 | 新潮社 | |
ロボッチイヌ | 1959 | 文芸春秋新社 | |
夫婦百景 | 1960 | 角川書店 | |
おじいさん | 1960 | 東方社 | |
太陽先生 | 1960 | 東方社 | |
七時間半 | 1960 | 新潮社 | |
嵐といふらむ | 1963 | 東方社 | |
アンデルさんの記 | 1963 | 角川書店 | |
信子 | 1963 | 東方社 | |
可否道 | 1963 | 新潮社 | |
町ッ子 | 1964 | 雪華社 | 随筆 |
ある美人の一生 | 1964 | 講談社 | |
南の男 | 1964 | 新潮社 | |
獅子文六作品集1~12 | 1965 | 集英社 | |
コーヒーと恋愛 | 1965 | 東方社 | |
箱根山 | 1965 | 東方社 | |
やっさもっさ | 1966 | 東方社 | |
愚者の楽園 | 1966 | 角川書店 | |
ちんちん電車 | 1966 | 朝日新聞社 | |
青春怪談 | 1966 | 角川書店 | |
但馬太郎治伝 | 1967 | 新潮社 | |
父の乳 | 1968 | 新潮社 | |
食味歳時記 | 1968 | 文藝春秋 | |
好食つれづれ草 | 1969 | 角川書店 | |
胡椒息子 | 1969 | 角川書店 | |
私の食べ歩き | 1976 | ゆまに書房 | |
おしまいのページで | 1979 | 文藝春秋 | |
飲み・食い・書く | 1980 | 角川書店 | |
モーニング物語 | 1996 | 木鶏社 | |
海軍随筆 | 2003 | 中央公論社 | |
わが食いしん坊 | 2005 | 角川春樹事務所 | |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1912 | 第899回「万朝報」懸賞小説 | 「初雪」 |
1912 | 第889回「万朝報」懸賞小説 | 「茶ばなし」 |
1962 | 第19回日本芸術院賞 | 文芸部門 |
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