さいおんじさねかね西園寺実兼
- 建長元年~元享二年
PROFILE
【略歴】
後西園寺太政大臣と号する。藤原実兼は藤原氏北家公季流西園寺、冷泉太政大臣とか今出川の大臣とか称された公相の三男。母は、大外記中原師朝の娘。徳大寺実基を養祖父とした。大納言・右大将・内大臣などを歴任、正応四年(1291)太政大臣に任ぜられた。永福門院(伏見天皇妃)の父で、自身もすぐれた京極派歌人であった。とはずがたりには、実名の他、「雪の曙」の仮名でも登場する。続拾遺集以下に採られている。
【関係】
嘉元百首歌に「海路」題で「和田の岬」を詠、玉葉集2089に載る(嘉元首387)。
- もっと詳しく知るために
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