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兵庫ゆかりの作家

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よどがわ ながはる淀川 長治

  • 明治42~平成10
  • ジャンル: 映画評論家
  • 出身:神戸

PROFILE

兵庫県神戸市に生まれる。 明治42年(1909)、父・又七、母・りゅうの長男として神戸に生まれる。幼い頃から両親に連れられて数多くの映画を見る。兵庫尋常高等小学校、神戸第三中学校を経て、大正14年(1925)慶応の予科受験のため上京。高熱のため受験には行けず、20歳で神戸に戻る。昭和7年(1932)ユナイテッド・アーティスツ大阪支社宣伝部に入社。昭和13年(1938)ユナイト東京支社勤務となり、両親と上京。昭和22年(1947)「映画之友」編集部入社、翌年には編集長となる。42歳で初めてハリウッドに行き、約2ヶ月滞在。その間に、チャップリンを訪ねている。昭和42年(1967)「映画之友」の編集長をやめ、フリーとなってからは、TVドラマやCMのナレーションで出演する。テレビ「日曜洋画劇場」の解説は昭和47年(1972)から30年以上続くこととなる。

《 略年譜 》

年齢事項
190904月10日、父・又七、母・りゅうの長男として誕生。
191674月、兵庫尋常高等小学校に入学。
1922134月、神戸第三中学校に入学。
192516受験のため上京。高熱のため試験には行けず。
192718「映画世界」編集部にアルバイトとして入る。
192920神戸に戻り、姉の経営する外国輸入美術品店に勤める。
193223ユナイテッド・アーティスツ大阪支社宣伝部入社。
1936273月、神戸港のクーリッジ号船上でチャップリンと会う。
1938294月、ユナイト東京支社勤務となり、両親と上京。
194031「駅馬車」の宣伝を担当し、大ヒット。
194233東宝に入社。
194536CMPE(セントラル・モーション・ピクチャー・イクスチェンジ)入社。
194637双葉十三郎氏とともに、雑誌「スクリーン」の編集委員をつとめる。
194738CMPE退社。「映画之友」編集部入社。
19483910月、「映画の友」編集長となる。
1950415月、初の著書『映画散策』(冬書房)を出版。
19514210月、初めてハリウッドに行き、チャップリンとの再会を果たす。
1956474月、ダニエル・マン監督「八月十五夜の茶屋」に米の配給人の役で出演。
1960516月、NET(現・テレビ朝日)でテレビ・シリーズ「ララミー牧場」の解説を始める。(~1963)
196657テレビ「土曜洋画劇場」(のちの「日曜洋画劇場」)の解説を始める。
196758「映画の友」編集長をやめ、フリーとなる。
197162映画の日特別功労賞受賞。
19736410月、TBSラジオ「淀川長治ラジオ名画劇場」の放送を開始。
1975664月、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)の開校式に講師として出席。
197667テレビ大賞個人特別賞受賞。
1979702月、初めて書いたシナリオ「ねェ、旦那を貸してよ」がTBSラジオで放送される。
198071山路ふみ子映画賞受賞。
198475勲四等瑞宝章受章。
198677日本ペンクラブ賞受賞。川喜多賞受賞。
19877812月、順天堂大学病院に入院。(~1988,3月)
1992834月、雑誌「ROADSHOW」創刊20周年記念として淀川長治賞設立。
19988911月11日、東大病院で永眠。
逝去地
東京
兵庫県との関係
生誕(神戸市)

代表作品

作品名刊行年版元備考
映画散策1950冬書房
淀長映画館1969朝日新聞社
私のチャップリン1977PHP研究所
私の映画教室1985新潮社
淀川長治自伝(上・下)1985中央公論社
映画のおしゃべり箱1986中央公論社
銀幕より愛をこめて1990朝日新聞社
淀川長治「映画の部屋」1990徳間書店
男と男のいる映画1996青土社
「生きる」という贅沢1998日本経済新聞社
淀川長治映画の話術1998朝日出版社

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1971映画の日特別功労賞
1976テレビ大賞個人特別賞
1980山路ふみ子映画賞
1984勲四等瑞宝章
1986日本ペンクラブ賞
1989朝日賞
1997都民文化賞
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