たかはし かずみ高橋 和巳
-
昭和6~昭和46
-
ジャンル:
小説家
- 出身:大阪府
PROFILE
兵庫県が舞台の作品に『散華』がある。昭和6年(1931)、大阪市浪速市に生まれる。父・高橋秋光、母・トミヱ。10歳のときに太平洋戦争が勃発。疎開先の香川県ではいくつかの文学全集を読破した。昭和24年(1949)に新制京都大学文学部第一期生として入学。友人の小松左京、北川荘平、石倉明らとともに同人雑誌を刊行する。昭和29年(1954)、23歳のときに岡本和子と結婚し、翌年には夫人の実家へ転居する。以後3年間『捨子物語』を集中的に執筆し、昭和33年(1958)『捨子物語』を足立書房より自費出版。翌年、京都大学大学院博士課程を単位を取得して修了。昭和37年(1962)『悲の器』が第1回河出書房新社「文芸賞」長篇部門に当選し、翌年には大山勝美の演出でテレビドラマとして放送された。昭和41年(1966)には『邪宗門』を河出書房新社より刊行。その後京都大学文学部助教授となり、京大闘争の際には全共闘支持の立場を表明した。執筆活動の傍ら対談や講演を数多く行う。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|
1931 | 0 | 8月31日、大阪市浪速区に父・秋光、母・とみえの二男として生まれる。 |
1934 | 3 | 大阪市西成区の借家に転居。 |
1938 | 7 | 4月、大阪市立恵美第三尋常高等小学校入学。 |
1944 | 13 | 4月、大阪府立今宮中学校入学。 |
1945 | 14 | 空襲のため、家族とともに香川県三豊郡に疎開。4月、香川県立三豊中学校に転校。 |
1946 | 15 | 大阪に戻り、今宮中学校に復学。 |
1949 | 18 | 7月、新制京都大学文学部第一期生として入学。 |
1951 | 20 | 4月、文学科中国語学中国文学を専攻。 |
1954 | 23 | 3月、文学科中国語学中国文学専攻を卒業。4月、大学院修士課程に進学。布施市立日新高等学校定時制講師となる。11月、岡本和子と結婚。 |
1955 | 24 | 3月、布施市立日新高等学校定時制講師を辞職。和子夫人の京都の実家へ転居。 |
1955 | 24 | 3月、布施市立日新高等学校定時制講師を辞職。和子夫人の京都の実家へ転居。 |
1956 | 25 | 3月、京都大学大学院修士課程修了。博士課程に進学。 |
1958 | 27 | 4月、吹田市に転居。6月、『捨子物語』を足立書房より自費出版。 |
1959 | 28 | 3月、京都大学大学院博士課程を単位を取得して修了。「VIKING」同人となる。 |
1960 | 29 | 4月、立命館大学文学部講師となる。 |
1962 | 31 | 9月、『悲の器』が河出書房新社「文芸賞」長篇部門に当選。 |
1964 | 33 | 12月、立命館大学文学部講師を辞職。 |
1965 | 34 | 9月、鎌倉市に転居。11月、『憂鬱なる党派』(河出書房新社)刊行。 |
1966 | 35 | 4月、明治大学文学部助教授となる。『孤立無援の思想』『邪宗門』(ともに河出書房新社)刊行。 |
1967 | 36 | 3月、明治大学文学部助教授を辞職。4月、「朝日ジャーナル」誌の特派員として中国を視察旅行。6月、京都大学文学部助教授となる。7月、『散華』(河出書房新社)刊行。 |
1969 | 38 | 1月より京大学園闘争がはじまり、全共闘支持の立場を表明。 |
1970 | 39 | 3月、京都大学文学部助教授を辞職。 |
1971 | 39 | 5月3日、39歳で永眠。 |
- 逝去地
- 東京都
- 兵庫県との関係
- 舞台(淡路) 『散華』
代表作品
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
---|
1962 | 第1回河出書房新社「文芸賞」 長篇部門 | 「悲の器」 |
Copyright © Net Museum Hyogo Bungakukan All Rights Reserved.