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兵庫ゆかりの作家

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野間 宏写真

のま ひろし野間 宏

  • 大正4~平成3
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:兵庫県神戸市

PROFILE

兵庫県神戸市に生まれる。 大正4年(1915)、神戸市長田区に生まれる。父・卯一、母・まつゑ。電気技師であった父は親鸞の教えを奉ずる在家仏教の一派を開き、教祖として自宅に説教所を設けていた。大阪府立北野中学校を卒業後、京都の第三高等学校文科丙類に入学。同学年であった桑原静雄、富士正晴を知り、詩人・竹内勝太郎の指導のもと、三人で同人雑誌「三人」を創刊。京大仏文科卒業後、大阪市役所社会部に勤務。融和事業などを担当し、被差別部落の実態を知るとともに、部落解放運動の指導者たちと接触して大きな影響を受ける。このときの体験から『青年の環』が生まれることになる。昭和21年(1964)処女作『暗い絵』を「黄蜂」に発表し、評論家の注目を集める。この年、新日本文学会に入会、翌年には花田清輝、埴谷雄高、佐々木基一、安部公房らとともに「夜の会」を結成し、「近代文学」「総合文化」の同人にも参加。また日本共産党に入党し、戦後芸術運動の推進にも力を注ぐ。

《 略年譜 》

年齢事項
191502月23日、神戸市長田区に生まれる。父・野間卯一、母・まつゑ。父の転勤で横浜市、岡山県津山市、西宮市に移り住む。
192164月、西宮市今津小学校に入学。
19261110月、父・卯一死去。
1927123月、今津小学校を卒業。4月、大阪府立北野中学校に入学。
1932173月、北野中学校を卒業。4月、京都第三高等学校文科丙類に入学。同学年の桑原静雄、富士正晴を知る。富士、桑原と同人雑誌「三人」創刊(~1942)。
1935203月、第三高等学校文科丙類を卒業。4月、京都帝国大学文学部仏文科に入学。このころ、芸術至上主義からマルクス主義に傾倒。
1938233月、京都帝国大学文学部仏文科を卒業。大阪市役所に入り、社会部福利課に勤務。
19412610月、教育召集を受け、補充兵として入営。
194328初夏、治安維持法にとわれ陸軍刑務所に入所。年末に出所。
1944292月、富士正晴の妹・光子と結婚。11月、監視上の理由により召集解除、軍需会社に勤務。
1945308月、長男・広道誕生。戦後直ちに「暗い絵」執筆に取りかかり、12月に単身上京、友人宅に泊まって書き上げる。
1946313月、青年文化会議会員となる。4月より「暗い絵」を「黄蜂」に連載開始(~10月)。年末、日本共産党に入党、新日本文学会に入会。
1947325月、花田清輝、埴谷雄高、佐々木基一、岡本太郎、椎名麟三、安部公房らと「夜の会」を結成。10月、『暗い絵』(アプレ・ゲール・クレアトリス叢書)を真善美社より刊行。「近代文学」および「総合文化」の同人となる。
194833明治大学文学部講師となる(~1949)。日本共産党地区委員として地域人民闘争に参加。
1949344月、『青年の環』第一部を河出書房より刊行。
1950355月、『青年の環』第二部を河出書房より刊行(以後12年間中絶)。
1952372月、書き下ろし長編『真空地帯』を河出書房より刊行。11月、『真空地帯』により毎日出版文化賞受賞。
1954392月、次男・新時誕生。
19584310月、タシケントで開かれた第2回アジア・アフリカ(A・A)作家会議に伊藤整、加藤周一、遠藤周作らとともに出席。
1959444月、千田是也、花田清輝、木下順二、安部公房らと新しい演劇運動「三々会」を結成。12月、『さいころの空』を文藝春秋新社より刊行。
1960455月、日本文学代表団の団長として中国訪問。
1961461月、コロンボで開催されたA・A作家理事国会議に阿部知二と出席。3月、A・A作家会議東京大会に日本代表の一人として出席。
1962479月、自伝的長編『わが塔はそこに立つ』を講談社より刊行。ソビエト作家同盟の招待で光子夫人とともにソ連ほか欧州を旅行(~12月)。
19644910月、日本共産党の志賀義雄、中野重治らの除名に反対する要請書に加わり、党から除名される。
196651『青年の環』第一・二部『華やかな色彩』(1月)、第三部『舞台の顔』(3月)、第四部『表と裏と表』(6月)を河出書房新社より刊行。
19685310月、『青年の環』第五部『影の領域』を河出書房新社より刊行。
1971561月、『青年の環』第六部『炎の場所』を河出書房新社より刊行。10月、『青年の環』により谷崎潤一郎賞受賞。
1973586月、『青年の環』ほかの創作活動によりロータス賞受賞。9月、ソビエトのアルマ・アタで開催のA・A作家会議に光子夫人と出席後、カザフスタンへ旅行。
1974591月、A・A作家会議ビューロー会議に出席後、カイロ、ルクソール、アスワンの古代遺跡を見る。この年、結成された「日本・アラブ文化連帯会議」のシンポジウムの議長を務める。
1988731月、『野間宏作品集』(全14巻、岩波書店)など文学への貢献が認められ、朝日賞を受賞。
1991751月2日、東京都港区の慈恵医大病院にて逝去。
逝去地
東京都
兵庫県との関係
生誕

代表作品

作品名刊行年版元備考

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1952毎日出版文化賞「真空地帯」
1966第1回河出文化賞 特別賞「青年の環」
1971第7回谷崎潤一郎賞「青年の環」
1973第4回ロータス賞「青年の環」ほか
1988第69回朝日賞「野間宏作品集」ほか
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