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兵庫ゆかりの作家

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うおずみ せつろ魚住 折蘆

  • 明治16~明治43
  • ジャンル: 評論家
  • 出身:加古川

PROFILE

兵庫県加古郡に生まれ、兵庫県姫路市に居住。 明治16年(1883)加古郡生まれ。姫路中学入学後、内村鑑三の「東京独立雑誌」に影響を受ける。明治34年(1901)受洗。明治36年(1903)5月、友人・藤村操の自殺に衝撃を受ける。この年の9月、第一高等学校入学。安倍能成らと「交友会雑誌」に熱心に投稿。明治39年(1906)東京帝国大学に入学。初めは独文科だったが、翌年哲学科に転科し、カントを卒業論文とした。同大学大学院に進み、「真を求めたる結果」を発表、この時から「折蘆」の号を用いる。「自然主義は窮せしや」「自己主張としての自然主義」「歓楽を追はざる心」などの評論を発表。将来を嘱望されたが、明治43年(1910)、27歳の若さで急逝した。

《 略年譜 》

年齢事項
188301月27日、兵庫県加古郡に生まれる。父・逸治、母・たか。
188964月、母里簡易小学校に入学。
189293月、母里簡易小学校を卒業。4月、母里尋常小学校に入学。
1893103月、母里尋常小学校を卒業。4月、私立霊亀高等小学校に入学。兵庫県飾東郡の石川潔方に寄宿し通学。
1894111月、石川潔の移転のため、姫路市から私立霊亀高等小学校へ通学。
1896133月、私立霊亀高等小学校第3学年を修業。兵庫県立姫路尋常中学校に仮入学。
189815この頃、内村鑑三の『東京独立雑誌』を愛読。
1899165月、父の看病の為に姫路尋常中学校を退学。12月、父・逸治死去。
1900174月、県立姫路尋常中学校に復学。12月、退学願書を提出し、上京。
1902193月、私立京北中学校を卒業。
1903203月、私立京北中学校を卒業。
19052210月に発表した「個人主義の見地に立ちて方今の校風問題を解釈し進んで皆寄宿制度の廃止に論及す」の論文が全校の物議をかもす。
1906237月、第一高等学校大学予科を卒業。東京帝国大学文科独逸文科に入学。10月、独逸文科より哲学科へ転科。
1909264月、卒業論文「カントの宗教哲学」を提出。7月、東京帝国大学文科哲学科を卒業、同大学大学院に進学。12月、「真を求めたる結果」(「東京朝日新聞」)発表。この時「折蘆」の号を用いる。
1910275月、雑誌「日本美術」の編集に従事。6月「自然主義は窮せしや」、8月「自己主義の思想としての自然主義」、10月「歓楽を追はざる心」「穏健なる自由思想家」などの評論を発表。12月9日、チフスと尿毒症のため死去。
逝去地
東京
兵庫県との関係
生誕 居住

代表作品

作品名刊行年版元備考
折蘆遺稿1914岩波書店
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