PROFILE
兵庫県淡路島に少年期居住。兵庫県ゆかりの作品に淡路少女がある。明治21年(1888)東京生まれ。祖父は幕末の外交官川路聖謨(としあきら)。7歳から15歳までの少年期を淡路島の洲本で過ごした。洲本中学を三年で中退し、京都の美術工芸学校に入学。明治39年(1906)18歳で卒業する頃から口語自由詩の詩作を始める。翌年明治40年(1907)、河井酔茗の詩草社から発刊された雑誌「詩人」に日本最初の口語詩を発表し、注目された。その後、東京美術学校日本画科に学ぶ。大正5年(1916)、曙光詩社を創立して詩誌「伴奏」、「現代詩歌」などを発刊。ここから村野四郎、萩原恭次郎、平戸廉吉、村野四郎などを輩出した。大正10年(1921)には「日本詩人」を創刊し、詩壇の重鎮として活躍した。詩集に『路傍の花』、『曙の声』などがある。詩集のほかにも美術評論や、随筆も多い。昭和32年(1957)詩集『波』によって芸術院賞を受賞した。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1888 | 0 | 7月9日、東京都芝三田台町に父太郎、母ハナの長男として生まれる。 |
1893 | 5 | 父の広島県福山尋常小学校教員赴任に伴い、広島県安芸郡深津村小学校に入学。 |
1895 | 7 | 父が淡路高等女学校へ校長として転勤するのに伴い、淡路島洲本小学校に転校。 |
1901 | 13 | 洲本中学入学。中学時代には「中学世界」「ハガキ文学」「小国民」に小説、俳句、短歌などを投稿していた。 |
1903 | 15 | 中学校を三年で中退。4月、京都美術工芸学校に入学。 |
1906 | 18 | 口語自由詩の詩作を始める。3月,京都美術工芸学校卒業。関西美術院の夜学に通い、浅井忠に油絵を学ぶ。一年先輩には梅原龍三郎、安井曾太郎がいた。 |
1907 | 19 | 河井酔茗の詩誌「詩人」発刊。有本芳水らと共に同人となる。 |
1908 | 20 | 東京美術学校日本画科に入学。 |
1910 | 22 | 第一詩集『路傍の花』を刊行。 |
1914 | 26 | 東京美術学校卒業。油絵の勉強のため、溜池の研究所に通う。 |
1916 | 28 | 荒川せいと結婚。二科会に出品するが落選し、以降は詩と美術批評に専念する。11月、曙光社を起こした。 |
1918 | 30 | 「現代詩歌」創刊。編集に携わっていた雑誌『新家庭』廃刊のため収入が減り、生活が困窮するが雑誌『太陽』、『美術写真画報』の編集の仕事を得る。長女克子誕生。 |
1921 | 33 | 詩誌「炬火」を創刊。 |
1926 | 38 | 日本文芸家協会が設立され、会員となる。 |
1927 | 39 | 「炬火」が柳虹主宰となり、第一号を発行。 |
1941 | 53 | 1月、次女彩子死去。太平洋戦争勃発のため編集の仕事が少なくなり、苦しい生活を強いられる。 |
1945 | 57 | 5月、空襲により自宅が全焼し、蔵書を失う。 |
1953 | 65 | 4月、法政大学講師に就任。 |
1957 | 69 | 詩集『波』を西東社から刊行。5月、現代詩人会から表彰される。 |
1958 | 70 | 詩集『波』と過去の業績により芸術院賞を受賞。 |
1959 | 71 | 4月17日、脳溢血により永眠。 |
- 逝去地
- 東京
- 兵庫県との関係
- 居住(淡路島)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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路傍の花 | 1910 | 東雲堂書店 | |
曙の声 | 1921 | 玄文社 | |
波 | 1957 | 西東社 | |
関連情報
場所 | 説明 | 内容 |
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洲本市宇原第二文学の森 | 詩碑 | 口開けて笑ふは誰ぞ 木の実熟して地に落つる秋 |
洲本市宇原第二文学の森 | 詩碑 | 夏の河原のかはせみよ碧いの羽も 涼しなみてる岸にたたずむよき人 |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1957 | 日本芸術院賞 | 詩集『波』 |
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