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兵庫ゆかりの作家

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りょうかん良寛

  • 宝暦8~天保2
  • ジャンル: 歌人・漢詩人・書家
  • 出身:越後国出雲崎村(現 新潟県三島郡出雲崎町

PROFILE

【兵庫県との関係・略歴】
越後国三東郡(さんとうぐん)出雲崎の名主山本左門泰雄、屋号橘屋の長男として生れる。父は暁台門の俳人で以南と号した。はやくに儒学を学び、出雲崎光照寺で座禅の修行をする。安永8年(1779)22歳の折、備中玉島の円通寺の国仙和尚が光照寺を訪れたのを機会に随行して円通寺に赴き、業を積んで印可を受けた。
寛政3年(1791)、国仙示寂の後、寛政8年帰郷までの間、諸国を行脚する。寛政3年(1791)備中玉島(現、岡山県倉敷市)の円通寺を出て、諸国行脚の後、寛政8年(1796)帰郷。帰途につく際、赤穗・高砂・明石に立寄り(『布留散東』(ふるさと)に一部その折の歌を収める)、現存不明ながら『須磨紀行』の短文を残している。句碑はこの『須磨紀行』の巻頭句。
帰郷後、蒲原郡(かんばらぐん)国上(くがみ)山中腹の五合庵に入り、文化1年(1804)に再び出雲崎にもどり、約12年間を文雅に費やす。文化13年(1816)、国上山麓の乙子(おとご)神社境内の草庵に移り、10年後の文政9年(1826)、島崎村の木村元右衛門家の裏に庵住する。貞心尼の訪問はこの翌年にはじまり、天保2年(1831)に貞心尼に介抱されながら死去した。逸話を多く残し、その人柄は独特の書風とともに超脱自由の境にあった。

逝去地
越後国和島村島崎
兵庫県との関係
訪問 赤穗・高砂・明石・須磨
もっと詳しく知るために
良寛へのアプローチ 三輪健司 1975 昭和50年 野島出版
漂泊の人 良寛(朝日選書233) 北川省一 1983 昭和58年 朝日新聞社
良寛とともに 良寛会編 1987 昭和62年 文化書房博文社

代表作品

作品名 刊行年 和暦 備考
布留散東(自筆自選歌稿) 1826 収録:『近世和歌集』(日本古典文学大系) 岩波書店

文学碑

場所 碑文
神戸市須磨区須磨寺町4須磨寺正覚院 すまてらのむかしを問へば山桜

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