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兵庫ゆかりの作家

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けいちゅう契沖

  • 寛永17~元禄14
  • ジャンル: 古典学者・歌人
  • 出身:尼崎

PROFILE

【兵庫県との関係】
父の下川元全(もとたけ)は摂津国尼崎の青山大蔵少輔に250石で仕え、のち浪人した。契沖はその三男で尼崎に生まれた。兄、元氏(号、如水)は松平直矩に仕え、松平直矩が慶安2年(1649)姫路から越後村上へ転封になり、寛文7年(1667)再び姫路に戻るのに従った。契沖の母は、晩年、長子元氏のもとに居り、母を訪ねて姫路に下った折りの詠歌が契沖の歌集『漫吟集』に載る。
母がもとに、播磨の国へまかりて、帰らんとする時、ある人に詠みて遣しける、
天雲のけふは行くとも飾磨河(しかまがは)影見し水は今かへりこん
また、門人に摂津国武庫郡入江に住した野田忠粛がおり、契沖逝去の際、追悼の和歌「此の夕べおくる野原の煙さへはかなや雪のあはときえにき」を詠んだ。
【略歴】
慶安3年(1650)11歳で出家して大坂今里の妙法寺(現:大阪府東成区)のかい定(かいじょう)の弟子となり、13歳で剃髪して高野山に上る。23歳、大坂生玉の曼陀羅院の住職となる。その頃、下河辺長流を知り、古典研究を始めた。その後、寺を捨てて旅に出て長谷寺・室生寺・吉野・葛城等を遍歴した後、高野山に戻り、円通寺快円から菩薩戒を授けられた。その後延宝6年(1678)、かい定の求めに応じて妙法寺に戻り、かい定の没後、元禄3年(1690)、性寂如海に寺を譲って高津の円珠庵に移って古典研究に没頭。元禄3年(1690)に著した『万葉代匠記』を皮切りに、『正字類音集覧』、『和字正濫抄』など、古典研究の成果を続々と世に送った。契沖はこれまでの中世風の研究方法ではなく、実証を重んずる研究方法を樹立し、『万葉集』や仮名遣いの研究において見事な成果をあげた。その精神はその後、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長に受け継がれ国学を生み出す基盤となった。

逝去地
大阪
もっと詳しく知るために
契沖全集 久松潜一ほか 1976 昭和51年 岩波書店
契沖伝 久松潜一 1976 昭和51年 至文堂

代表作品

作品名 刊行年 和暦 備考
『自撰漫吟集』(『契沖和歌延宝集』とも呼ぶ。歌集) 1681 収録:『契沖全集』岩波書店
万葉代匠記(注釈書) 1690 収録:『契沖全集』岩波書店
古今余材抄』(注釈書) 1691 収録:『契沖全集』岩波書店
『厚顔抄』(注釈書) 1691 収録:『契沖全集』岩波書店
『勢語臆断』(注釈書) 1692 収録:『契沖全集』岩波書店
『百人一首改観抄』(注釈書) 1692 収録:『契沖全集』岩波書店
勝地吐懐編(名所研究) 1692 収録:『契沖全集』岩波書店
『和字正濫抄』(語学書) 1693 収録:『契沖全集』岩波書店
『河社』(歌学書) 1695 収録:『契沖全集』岩波書店
『源註拾遺』(注釈書) 1696 収録:『契沖全集』岩波書店
『漫吟集』(歌集) 1787 収録:『契沖全集』岩波書店
『類題漫吟集』(歌集) 1814 収録:『契沖全集』岩波書店

文学碑

場所 碑文
尼崎市寺町大覚寺境内 古学の祖契沖阿闍梨 氷     契沖 しなか鳥けさや 氷もゐな河の山彦とよむ 音も聞えす                          
尼崎市中島川河川敷公園 春水     契沖   春風の吹きて渡れる川の瀬に 雪解の水を泳く白波                   
尼崎市南城内 城内小学校 中庭 叢明古義

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