常設展示

兵庫ゆかりの作家

  1. TOP
  2. 常設展示
  3. 兵庫ゆかりの作家
  4. 加納 諸平

かのう もろひら加納 諸平

  • 文化3~安政4
  • ジャンル: 歌人・国学者
  • 出身:遠江白須賀

PROFILE

【兵庫県との関係】
天保9(1837)年3月、昆陽正覚院の父、夏目甕麿の墓に詣で、伊丹の人と交わる。以後、天保11年・12年・嘉永7年(1854)にも墓参。弘化3年(1846)には、門人伴林光平とともに墓参している。嘉永3年秋には、伊丹の中村良臣の死を悼んで長歌を詠み、嘉永7年(1854)8月には、芦屋処女塚を経て明石まで中秋の名月を見に出かけたが、あいにくの雨であった。また、湊川の古戦場を訪れ、楠正成を偲び長歌を詠んでいる。
【略歴】
別名、兄瓶(えみか)。号は柿園。夏目甕麿(なつめみかまろ)の長男として遠江で生まれる。文政5年(1822)の父の死を機に、翌年、紀伊藩医加納伊竹の養子となる。本居大平の門に入り、同門の長沢伴雄と併称される。『紀伊国名所図会』の編集に当たりながら、歌人国学者としての実績も大いにあげる。特に和歌は早くから独自の見識を持ち、新時代の新風を標榜して「柿園派」を樹立。また新企画として『類題鰒玉集』を次々と刊行し、新風を世間に広めた。柿園派は、桂園派や江戸派鈴屋派に対抗する大結社として成長した。
天保九年三月、昆陽の正覚院なる父翁の墓詣でしける時、奉らん花もなかりければ、かたへの藪陰に咲き残れる椿を手折りけるに、一花落ちしかば(父の墓参の際、傍らの藪に椿が咲き残っていたのを手折ったところ、一花が落ちたので詠んだ和歌)

――こをだにと折りとる袖にかつ落ちて露よりもろき玉椿かな――(『柿園詠草』)

逝去地
和歌山
兵庫県との関係
訪問 伊丹
もっと詳しく知るために
加納諸平の研究 山本嘉将 1961 昭和36年 初音書房

代表作品

作品名 刊行年 和暦 備考
竹取物語考(注釈書) 収録:『国文学註釈叢書』
類題鰒玉集 初編縲恷オ編(私撰集) 1828
紀伊国名所図絵(地誌) 1838 収録:『大日本名所図絵』
柿園詠草(歌集) 1854 収録:『新編国歌大観9』

文学碑

場所 碑文
伊丹市寺本1丁目 寺本児童遊園地 加納諸平 こをだにと折取る袖に且つ落ちて露よりもろき玉つばきかな              

同じ時代のゆかりの作家

ページの先頭へ