かきのもとのひとまろ柿本人麻呂
- 持統朝・文武朝に活躍~未詳
PROFILE
【略歴】
家系等未詳。天武朝・持統朝・文武朝の宮廷で活躍。持統天皇・草壁皇子・軽皇子・高市皇子・忍壁皇子・舎人皇子などへの献歌があり、万葉集中「柿本朝臣人麻呂歌集」とされるものは人麿自身の詠と人麿に収集されたものがある。後世、歌聖と仰がれた。古今集では作者異伝として左注に名が見え、作者名として明示されるのは拾遺集以後。『人麿集』は平安時代の編集で、真作以外の歌を多く含む。
【関係】
万葉集巻三に「柿本朝臣人麻呂羇旅歌八首」と題した摂津・播磨の瀬戸内の船旅の詠が載る。拾遺集477にも須磨明石を詠む歌が人麿作とされる。
- もっと詳しく知るために
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柿本人麿異聞 片桐洋一 和泉書院
新潮日本古典集成 万葉集 青木生子他校注 新潮社
新日本古典文学大系 万葉集 佐竹昭広他校注 岩波書店
新編日本古典文学全集 万葉集 小島憲之他校注・訳 小学館
日本の作家 3 柿本人麻呂 謎の歌聖 橋本達雄 新典社
文学碑
場所 | 碑文 |
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明石市人丸町柿本神社 | 天さかるひなのながぢゆ恋ひくれば 明石のとよりやまとしまみゆ |
明石市人丸町柿本神社 | 大君は神にしませば天雲の 雷(いかづち)のうへにいほりせるかも |
明石市藤江須崎休憩施設広場 | あらたへの藤江の浦にすゞき釣る 海人(あま)とか見らむ旅ゆく吾を |
明石市藤ヶ丘1藤江3号公園 | 河蝦(かはづ)鳴く六田(むつた)の川の川楊(かはやぎ)の ねもころ見れど飽かぬ川かも |
明石市松ヶ丘3ちびっこ公園 | 春さればまず三枝(さきくさ)の幸くあれば 後にも逢はむ莫(な)恋ひそ吾妹 |
加古郡稲美町万葉の森 | 名くはしき稲美の海の沖つ浪 千重に隠りぬ大和島根は |
神戸市垂水区平磯1丁目平磯緑地 | 天離夷之長道従恋来者 自明門倭嶋所見 |
神戸市垂水区平磯1丁目平磯緑地 | 燈火の明石大門に入る日にか 漕ぎ別れなむ家のあたり見ず |
神戸市灘区岩屋中町敏馬神社 | 敏馬浦址 たまもかる敏馬をすぎてなつくさの 野島のさきに舟ちかづきぬ 柿本人麻呂 |
相生市矢野町森磐座神社 | 詠黄葉 妻隠矢野神山露霜尓々宝比始散巻惜 朝露尓染始秋山尓鍾礼莫零在渡金 右二首柿本朝臣人麿之謌集出 |
高砂市曽根町曽根天満宮参道(玉垣) | 天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ |
明石市魚住町住吉2住吉2丁目東公園 | み熊野の浦の浜木綿百重なす 心は思へど直(ただ)にあはむかも |
高砂市曽根町曽根天満宮参道(玉垣) | 留火(ともしび)の明石大門(おほと)に入る日や 漕ぎ別れなむ家のあたり見ず |
明石市大久保町大窪大窪カイヅカ公園 | 小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども われは妹思ふ別れ来ぬれば |
高砂市曽根町曽根天満宮参道(玉垣) | あらたへの藤江の浦に鱸釣る あまとか見らむ旅行くわれを |
明石市茶園場町明石川左岸 | あまざかる夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋くれば 明石の門(と)より大和島見ゆ |
高砂市曽根町曽根天満宮参道(玉垣) | 名くはしき稲見の海の沖つ波 千重に隠れぬ大和島根は |
明石市茶園場町明石川左岸 | あらたへの藤江の浦にすずき釣る 白水郎(あま)とか見らむ旅ゆく吾を |
高砂市曽根町曽根天満宮参道(玉垣) | 稲日野も行き過ぎかてに思へれば 心恋しき可古の島見ゆ |
明石市茶園場町明石川左岸 | ともし火の明石大門(おほと)に入らむ日や 榜(こ)ぎ別れなむ家のあたり見ず |
淡路市北淡町富島JA日の出北淡支店本部西側 | 珠藻かる敏馬を過ぎて夏艸の 野嶋のさきにふねちか着きぬ |
明石市人丸町1-29月照寺 | ともし火の明石大門にいらむ日や 漕ぎ別れなむ家のあたり見ず |
南あわじ市西淡町松帆慶野松原慶野松原荘海岸 | 飼飯の海の庭好くあらし刈薦の 乱れ出ず見ゆ海人のつり舟 |