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兵庫ゆかりの作家

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薄田 泣菫写真

すすきだ きゅうきん薄田 泣菫

  • 明治10~昭和20
  • ジャンル: 詩人・随筆家
  • 出身:岡山県倉敷市

PROFILE

兵庫県西宮市に居住。兵庫県が舞台の作品に「離愁」がある。 明治10年(1877)、浅口郡連島村(現倉敷市)生まれ。学資のために岡山中学を2年で中退後、上京。漢学塾の助教をしながら、上野の図書館で独学する。早稲田系の「新著月刊」に「花密蔵難見」13編を投稿したところ、後藤宙外、島村抱月に認められて掲載されるが、東大系の雑誌が批判して論争になる。一躍注目されるが、病で帰郷。以後、生涯のほとんどを関西ですごし、東京の文壇に距離をおく。 詩集『二十五絃』『白羊宮』で、上田敏らの絶賛をうけ、 島崎藤村につづく時代の先駆的詩人として認められた。キーツのソネットを基に「絶句」、オードを基に「賦」という独自の定型詩を発達させた。また、大阪毎日新聞社に入社後、紙面に随筆を書き続ける一方で、 学芸部長として、菊池寛(真珠夫人)、芥川龍之介を起用し、新聞連載小説に新鮮な局面をひらいた。選抜高等学校野球大会歌の作詞者でもある。 疎開先の岡山県井原町から昭和20年(1945)10月4日、連島の生家に帰ったが、9日午後7時、死去。

《 略年譜 》

年齢 事項
1877 0 5月19日、岡山県浅口郡(現・倉敷市)に生まれる。父・篤太郎、母・里津の長男。
1894 17 上京。漢学塾に寄宿しながら上野の図書館で独学。
1897 20 「新著月刊」に「花密蔵難見」13篇掲載。
1899 22 11月、第一詩集『暮笛集』刊行。
1900 23 大阪金尾文淵堂の文芸誌「小天地」の編集をまかされる。与謝野鉄幹と出会う。
1901 24 10月、第二詩集『ゆく春』刊行。
1903 26 「小天地」休刊。8月、京都に移る。
1904 27 2月、帰郷。
1905 28 5月、第三詩集『二十五絃』刊行。
1906 29 12月、市川修と結婚。京都に新居を構える。計のために散文に活路を求める。
1911 34 3月、大阪の帝国新聞社文芸部長に就任、半年ほどで辞職。
1912 35 8月、大阪毎日新聞社に入社。
1916 39 大阪毎日夕刊に無署名のコラム『茶話』を連載開始。
1945 68 10月9日、岡山県の郷里で死去。
逝去地
岡山県倉敷市
兵庫県との関係
居住   西宮

代表作品

作品名 刊行年 版元 備考
暮笛集 1899 金尾文淵堂
ゆく春 1901 金尾文淵堂
白玉姫 1905 金尾文淵堂
二十五絃 1905 春陽堂
白羊宮 1906 金尾文淵堂
茶話 1916 洛陽堂
後の茶話 1918 玄文社
新茶話 1919 玄文社
太陽は草の香がする 1926 アルス
猫の微笑 1927 創元社
樹下石上 1931 創元社
艸木蟲魚 1940 創元社
茶話全集 上・下巻 1942 創元社
蜘蛛の糸 1942 新星社
猿の魚釣 1947 比叡書房
人と鳥虫 1948 桜井書店

兵庫ゆかりの作品

作品名 刊行年 版元
離愁
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