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兵庫ゆかりの作家

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やまだ ふうたろう山田 風太郎

  • 大正11~平成13
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:兵庫県養父郡関宮町関宮

PROFILE

兵庫県養父郡に生まれる。兵庫県が舞台の作品に『天国荘奇譚』がある。 大正11年(1922)1月4日、兵庫県養父郡関宮町関宮に生まれる。本名・誠也。父系母系いずれも医家。5歳にして父が死去。親戚たちの意見で、未亡人となった母を叔父が引き受けた形で母が叔父と再婚。以後同じく医家の伯父に育てられる。県で指折りの進学校、豊岡中学に入学し、成績もよかったが15歳にして母までも死去、強いショックを受ける。成績も下がり、酒、煙草などを覚え、叔父との関係も悪くなっていく。昭和17年(1940)18歳の時、叔父からの仕送りを当てにしたくない思いから、懸賞小説に筆名山田風太郎で応募、入選。昭和19年(1942)夏、故郷但馬を出奔、戦時下の首都東京で医学校入学を目標に三畳一間の勤労生活に入る。昭和21年(1944)に召集されるが肋膜炎のため帰郷。以前から体が弱く見られたことも有り、自分はこの世の例外にいるという思いを強める。春、東京医学専門学校入学。在校中の作品「達磨峠の事件」が雑誌「宝石」の懸賞小説に当選(昭和22年)、江戸川乱歩に才能を見出され、作家生活に入る。昭和49年(1974)、『眼中の悪魔』『虚像淫楽』で第2回探偵作家クラブ賞受賞。翌年東京医科大学卒業。『甲賀忍法帖』を初めとする忍法帖で一世を風靡。その後も『幻燈辻馬車』『婆沙羅』等、明治、室町を舞台に独特の作品を発表。他に『八犬伝』『人間臨終図巻』等がある。平成7年(1995)、糖尿病を患い入院。パーキンソン病の兆候があったため、約3ヶ月入院することになる。ドクターストップを掛けられながら、ボトルを3日で1本空けるほどの酒豪。また、「息をするように吸い続ける」とたばこも欠かすことはなかった。平成8年、突然倒れる。その後筆を握れなくなったが、口述筆記でエッセイを発表していく。平成9年、大衆文芸に新たな面白さをもたらした功績で菊池寛賞を受賞 。平成12年(2000)、日本ミステリー文学大賞受賞。体調が思わしくなく、翌年3月15日の贈呈式には車いすでの出席。同年7月28日午後5時半、肺炎で死去。享年79歳。

《 略年譜 》

年齢 事項
1922 0 1月4日、兵庫県養父郡関宮町関宮に生れる。父系母系いずれも医家。本名は誠也。
1927 5 父と死別。母が叔父と再婚したため、以後やはり医家の伯父に育てられる。
1936 14 兵庫県立豊岡中学校に入学。当時の寮生活の経験から、『天国荘奇譚』『青春探偵団』が書かれることになる。風太郎は当時の仲間うちでの呼称。
1937 15 母と死別、強いショックを受ける。
1940 18 2月、「受験旬報」(「蛍雪時代」の前身)の懸賞小説に応募、「石の下」が入選。山田風太郎の筆名を使う。「受験旬報」での掲載は8度におよんだ。
1941 19 3月、豊岡中学校を卒業。
1942 20 3月、上京。この時は一旦帰郷する。8月、再び家出同然にして上京。9月、沖電気に入社。
1944 22 3月、召集されるが肋膜炎のため帰郷。4月、東京医学専門学校(現東京医科大学)入学。
1945 23 6月、信州飯田に疎開。10月、帰郷。
1947 25 「宝石」の第1回探偵小説懸賞に「達磨峠の事件」が入選。
1949 27 『眼中の悪魔』『虚像淫楽』の2作により,第2回探偵作家クラブ(現・日本推理小説家協会)賞受賞。
1950 28 3月、東京医科大学を卒業。
1953 31 6月、佐藤啓子と結婚する。
1954 32 10月、長女・佳織が生れる。
1957 35 7月、長男・知樹が生れる。この年、西大泉に居を構える。
1958 36 この年から忍法帖の創作に取り掛かる。
1963 41 講談社『山田風太郎忍法全集』全15巻が刊行開始。
1966 44 この年、多摩市桜ヶ丘に転居。
1971 49 講談社『山田風太郎全集』全16巻刊行開始(~72年)。
1973 51 明治もの長編第1作『警視庁草紙』を「オール読物」に連載開始。
1991 69 現時点における最後の小説『柳生十兵衛死す』を毎日新聞に連載(~92年)。
1995 73 糖尿病を患い入院。パーキンソン病の兆候があったため、約3ヶ月入院。
1996 74 9月、東京医科大学付属病院で白内障の手術を受ける。10月退院。
1997 75 大衆文芸に新たな面白さをもたらした功績で菊池寛賞を受賞。
2001 79 3月15日、日本ミステリー文学大賞贈呈式出席。体調が思わしくなく、車いすでの出席。
2001 79 7月28日午後5時30分、肺炎のため東京都多摩市の病院で死去。
逝去地
東京都多摩市の病院
兵庫県との関係
生誕  兵庫県養父郡関宮町関宮

代表作品

作品名 刊行年 版元 備考
眼中の悪魔 1948 岩谷書店
妖異金瓶梅 1954 大日本雄弁会講談社
甲賀忍法帖 1959 光文社
くノ一忍法帖 1961 講談社
妖説太閤記 1967 双葉社
幻燈辻馬車 1976 新潮社
忍法魔界転生 1978 角川書店
明治断頭台 1979 文藝春秋
八犬伝 1983 朝日新聞社
人間臨終図巻 1986 徳間書店
婆沙羅 1990 講談社

受賞歴

受賞年 受賞内容 受賞作品
1946 「宝石」懸賞小説 探偵小説募集
1949 第2回日本推理作家協会賞 短篇賞 「眼中の悪魔」「虚像淫楽」
1997 第45回菊池寛賞
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