みずかみ つとむ水上 勉
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大正8~ (1919~)
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ジャンル:
小説家
- 出身:福井県大飯郡
PROFILE
兵庫県が舞台の作品に『櫻守』がある。大正8年(1919)3月8日、福井県に生まれる。9歳の頃、口減らしのため京都に送られ、相国寺、次いで等持院で寺男生活を送り、二度脱走するという経験を持つ。京都市室町尋常高等小学校、禅門立紫野中学校を経て立命館大学国文科に入学するが半年ほどで中退した。その後満州に渡り、喀血して帰郷。療養中に文学に目覚める。昭和15年(1940)上京し、雑誌『新文学』の同人となり、高橋義孝、福田恒存、梅崎春生、野口富士男らを知った。その後職場を転々とする。戦後、小説家の宇野浩二に師事し、『フライパンの歌』を処女出版しベストセラーになる。しかし、その後生活難に陥り、洋服の行商人となって一応の安定を得たものの、勤め先の洋服問屋の倒産に遭うなど10年間の空白期があった。昭和34年(1959)松本清張の『点と線』に刺激されて書いた小説『霧と影』で再登場。社会派推理小説作家として頭角を現した。『海の牙』『耳』で直木賞候補となり、昭和36年(1961)『雁の寺』で第45回直木賞を受賞。推理小説作家という名声を払拭し、新しい境地を開拓したこの小説は大きな反響を呼んだ。その後は旺盛な創作力で、『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』『越後つついし親不知』『越前竹人形』と、傑作を続けざまに発表。昭和40年(1965)『宇野浩二伝』で菊池寛賞受賞。昭和48年(1973)「北国の女の物語」「兵卒の_(たてがみ)」を中心とした作家活動で吉川英治文学賞を受賞するなど、多くの文学賞を受賞。日本芸術院会員。平成10年(1998)には文化功労者に選ばれた。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1919 | 0 | 3月8日宮大工職の父・覚治、母・かんの次男として福井県本郷村岡田に生まれる。兄弟は4男1女。 |
1924 | 6 | 本郷尋常小学校野尻分教場入学。 |
1928 | 9 | 家が貧乏だったため、故郷を出て臨済宗相国寺瑞春院の師弟になる。一度本郷小学校に入学するが、半年後京都へ向かう。 |
1930 | 11 | 瑞春院で得度を受け沙弥となる。僧名・大猶集英。京都市室町尋常高等小学校に転入。 |
1931 | 12 | 禅門立紫野中学校に入学。 |
1932 | 13 | 8月、瑞春院を脱走するが引き戻され相国寺内玉竜庵に入る。11月、天竜寺派別格地衣笠山等持院に移り、僧名を承弁と改める。 |
1933 | 14 | 妙心寺脇にある私立花園中学校三年に編入学。 |
1936 | 17 | 私立花園中学校を卒業後、等持院を出て還俗。下京区八条坊城の伯父の下駄屋で働き、のち、むぎわら膏薬の西村才天堂の行商に従事する。 |
1937 | 18 | 立命館大学文学部国文学科へ入学するが、次第に意欲を失い、12月に退学。 |
1938 | 19 | 西村才天堂をやめ,堀川上長者町の染物屋に転居し、京都小型自動車組合の集金人を勤め、のち京都府満州開拓青少年義勇軍応募係となり、府下を巡回。8月、満州に渡り、奉天の国際運輸会社で苦力監督見習いとして働く。11月、喀血して石川病院に入院。 |
1939 | 20 | 帰国し若狭の生家で病気療養につとめ、かたわら文学書を耽読。9月、「月刊文章」に「日記抄」と題した作品を投稿し、高見順の選で選外佳作となる。 |
1940 | 21 | 4月、上京。丸山義二の紹介で日本農林新聞社につとめる。 |
1943 | 24 | 松守敏子と結婚生活に入る。 |
1944 | 25 | 空襲激化のため郷里若狭に疎開し、福井県大飯群青郷国民学校高野分校に助教として赴任。5月、召集を受け中部第四十三部隊輜重輓馬隊に入隊するが、7月に除隊となり再び高野分校で教鞭をとる。 |
1945 | 26 | 終戦を迎え、青郷国民学校をやめて上京。 |
1946 | 27 | 3月、長女・蕗子誕生。4月、「新文芸」の編集員になり、夏、信州松本に疎開中の宇野浩二の原稿を貰いに行き、以後宇野浩二を文学の師と仰ぐ。 |
1948 | 29 | 浦和市に転居。7月、宇野浩二の推薦で処女作『フライパンの歌』(文潮社)が出版されベストセラーになるが、次第に小説を書く意欲が薄れる。 |
1949 | 30 | 妻・敏子、生活苦から子供を残し家出。東京へ転居する。 |
1951 | 32 | 妻敏子と離婚。翌年、長女を郷里の福井に預け、雑誌社・業界新聞社に勤務。 |
1956 | 37 | 西方叡子と結婚。長女を呼び寄せる。 |
1957 | 38 | 松戸に転居し、洋服の行商で生計を立てる。 |
1959 | 40 | 8月、繊維業界に起きたトラック部隊事件を描いた『霧と影』(河出書房新社)で再び文壇へ。新しい社会派推理小説として評判を得た。10月、東京に転居。 |
1960 | 41 | 1月、『霧と影』で直木賞候補になる。7月、再び『海の牙』『耳』で直木賞候補に。9月、『海の牙』で第14回探偵作家クラブ賞受賞。 |
1961 | 42 | 『雁の寺』で第45回直木賞受賞。『霧と影』が映画化される。次女・直子誕生。9月、師・宇野浩二が死去する。 |
1962 | 43 | 『雁の寺』が川島雄三監督により映画化される。 |
1963 | 44 | 『越前竹人形』『五番町夕霧楼』が相次いで映画化される。身体障害児問題について問題提議し、注目される。 |
1964 | 45 | 『越前竹人形』が東宝現代劇により芸術座で上演される。『五番町夕霧楼』が劇団新派により新橋演舞場で上演される。『飢餓海峡』が映画化される。 |
1970 | 51 | 長女結婚。父・覚治死去。 |
1971 | 52 | 11月、『宇野浩二伝』により第19回菊池寛賞受賞。 |
1975 | 56 | 10月、『一休』で谷崎潤一郎賞受賞。 |
1976 | 57 | 『水上勉全集』全26巻(中央公論社)刊行開始(~1981)。 |
1977 | 58 | 6月、『寺泊』で川端康成文学賞受賞。 |
1984 | 65 | 1月、『良寛』で毎日芸術賞受賞。 |
1986 | 67 | 6月、日本芸術院賞恩賜賞受賞。 |
1992 | 73 | 3月、東京都文化賞受賞。 |
1995 | 76 | 『新編水上勉全集』全16巻(中央公論社)刊行開始(~1997)。 |
1998 | 79 | 文化功労者に選ばれる。 |
- 兵庫県との関係
- 舞台 武田尾温泉『櫻守』
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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耳 | 1960 | 光文社 | |
海の牙 | 1960 | 河出書房新社 | |
雁の寺 | 1961 | 文藝春秋新社 | |
越前竹人形 | 1963 | 中央公論社 | |
五番町夕霧楼 | 1963 | 文藝春秋新社 | |
櫻守 | 1969 | 新潮社 | |
宇野浩二伝 | 1971 | 中央公論社 | |
一休 | 1975 | 中央公論社 | |
寺泊 | 1977 | 筑摩書房 | |
良寛 | 1984 | 中央公論社 | |
関連情報
場所 | 説明 | 内容 |
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兵庫県神戸市東灘区岡本5-5 岡本南公園 | 「桜守」文学碑 | |
宝塚市亦楽山荘 | 「桜守」舞台 | 武田尾山中深くの山桜の大演習林跡。日本の桜の伝統美は山桜だ、と信じた神戸の桜博士・笹部新太郎氏の桜の園。宝塚市が公園化し、「亦楽えきらく山荘」としてオープン。広大な山地に五千本以上の桜樹がある。 |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1961 | 第45回直木三十五賞 | 「雁の寺」 |
1961 | 第14回日本推理作家協会賞 | 「海の牙」 |
1965 | 第4回「婦人公論」読者賞 | 「くるま椅子の歌」 |
1965 | 第27回「文芸春秋」読者賞 | 「城」 |
1971 | 第19回菊池寛賞 | 「宇野浩二伝」 |
1973 | 第7回吉川英治文学賞 | 「北国の女の物語」「兵卒の鬣」 |
1975 | 第11回谷崎潤一郎賞 | 「一休」 |
1977 | 第4回川端康成文学賞 | 「寺泊」 |
1980 | 第16回斎田喬戯曲賞 | 「あひるの靴」 |
1984 | 第25回毎日芸術賞 | 「良寛」 |
1986 | 第42回日本芸術院賞恩賜賞 | |
1992 | 第8回東京都文化賞 | |
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