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兵庫ゆかりの作家

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前田 純孝写真

まえだ すみたか前田 純孝

  • 明治13~明治44
  • ジャンル: 歌人・詩人
  • 出身:新温泉町諸寄

PROFILE

兵庫県美方郡諸寄村(現・新温泉町)に生まれる。代表作品は『翠渓歌集』。 純孝(すみたか)、号を翠渓(すいけい)。明治13年(1880)4月3日、兵庫県新温泉町に生まれる。御影師範を経て東京高等師範学校に進み、明星派の歌人として、与謝野鉄幹・晶子らとともに、「明星」に短歌・詩などを精力的に発表し、「東の啄木、西の純孝」といわれた。卒業後、大阪の島ノ内高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)の教頭になるが結核で失職、郷里・諸寄に戻る。冷遇に耐えて闘病しながら作品「心の花」など発表するも、明治44年(1911)9月25日、死去。生涯2千首に及ぶ作品を残す。

《 略年譜 》

年齢事項
188004月3日、美方郡諸寄村(現・新温泉町)の旧家に父・純正、母・うたの長男として生まれる。
18855両親離婚。
18877鳥取市の叔母の家に寄寓し、鳥取県師範学校付属小学校に入学。
189515小学校高等科卒業。帰郷。
189717諸寄小学校の代用教員となる。
189818神戸の御影師範学校入学。
189919「めるめ会」結成。
190020「明星」に初めて掲載。
190222東京高等師範学校進学。与謝野鉄幹らと「韻文朗読会」結成。
190626高師卒業。大阪の島ノ内高等女学校の教頭に赴任。
190727秋庭のぶと結婚。
190929明石での肺結核闘病生活。
191030単身諸寄に戻り闘病生活。
1911319月25日永眠。
逝去地
新温泉町諸寄
兵庫県との関係
生誕  諸寄
関連リンク
兵庫文学館・前田純孝館、基幹集落センター資料室

代表作品

作品名刊行年版元備考
翠渓歌集1913

関連情報

場所説明内容
美方郡香美町村岡区春来峠(県道561号線沿い)歌碑牛の背に我も乗せすや草刈女春来三里はあふ人もなし
美方郡新温泉町居組 汐吹公園歌碑風ふけば松の枝鳴る枝なれば明石を思ふ妹と子をおもふ
美方郡新温泉町諸寄 基幹集落センター歌碑鷄のこゑ朗にひゝく春の日に光のとけき桃の一村
美方郡新温泉町諸寄海岸歌碑いくとせの前の落葉の上にまた落葉かさなり落葉かさなる
美方郡新温泉町浜坂 加藤文太郎記念図書館駐車場歌碑磁石の針 振り乱さんは 無益なり 磁石はつひに北を指す針
明石市天文町 忠度公園歌碑風ふけば 松の枝鳴る枝なれば 明石を思ふ妹と子をおもふ

文学碑

場所 碑文
美方郡新温泉町諸寄海岸 いくとせのまえの落ち葉のうえにまた 落ち葉かさなり落ち葉かさなる
美方郡新温泉町諸寄集落センター前庭 鶏のこゑ朗にひびく春の日に 光のどけき桃の一村
まごころの光れる歌を猶よめば 伝えて久し若き純孝
美方郡新温泉町居組七坂八峠汐吹岬公園 風ふけば松の枝鳴る枝なれば 明石を思う妹と子を思ふ
美方郡新温泉町浜坂 加藤文太郎記念図書館 駐車場 磁石の針 振り乱さんは 無益なり 磁石はつひに 北を指す針
美方郡香美郡村岡区春来峠(県道561号線沿い) 牛の背に 我ものせずや 草刈女 春来三里は あふ人もなし
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