うえむら なおみ植村 直己
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昭和16年~昭和59
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ジャンル:
冒険家
- 出身:兵庫県城崎郡
PROFILE
兵庫県城崎郡に生まれる。兵庫県城崎郡国府村(現・兵庫県豊岡市)上郷(かみのごう)に生まれる。昭和39年(1964)5月、明治大学農学部卒業後、片道切符だけを持って移民船でアメリカ、ロサンジェルスに渡る。観光ビザで農場でアルバイトをしているのが見つかり、国外退去処分になりフランスへ渡る。イタリア国境に近いモルジンヌ(Morzine)のスキー場(ジャン=ジュアルネ*経営)で働く。昭和40年(1965)5月、明治大学のゴジュンバ・カン遠征隊に飛び入りで参加し、未踏峰ゴジュンバ・カン(7646m)に初登頂する。再びフランスに戻り、昭和41年(1966)、モンブラン(ヨーロッパ最高峰:4807m)、昭和42年(1967)キリマンジャロ(アフリカ最高峰:5985m)などに単独登頂する。フランスを離れ南米に渡り、昭和43年(1968)、南米最高峰アコンカグア(6980m)に単独登頂する。北米に渡る途中でアマゾン川6000kmを手作りのイカダで下った。北米最高峰のマッキンリー(6194m)の単独登頂をねらうが許可が下りず、4年半ぶりに日本に帰国。昭和44年(1969)、日本初のエベレスト遠征隊の偵察隊に選ばれ、未登の南壁に8000mまで試登。そのままネパールに滞在し翌春の本隊を迎える。昭和45年(1970)、日本山岳会の日本エベレスト登山隊(隊長:松方三郎)に参加し、5月、松浦輝夫隊員とともに日本人として初めて世界最高峰エベレストの登頂を果たす。続いて8月、北米最高峰のマッキンリー(6194m)に単独登頂し、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。翌年の昭和46年(1971)1月、山学同志会の仲間とともに冬期グランド・ジョラス北壁(4208)に登頂。続いて5月、国際エベレスト登山隊(隊長:ノーマン・ディレンファース/アメリカ)に参加。8250mまでルートを伸ばした。10月、日本列島3000キロを徒歩で縦断。昭和48年(1973)9月、グリーンランド最北の村に入り、犬ぞりの技術や極地での生活を習得するため約1年間にわたりエスキモーと共同生活を始める。翌、昭和49年(1974)3月、グリーンランド西海岸を単独犬ぞりで往復3000kmを走破。昭和49年(1974)12月から昭和51年(1976)6月まで313日間にわたって、グリーンランド、カナダ、アラスカ(アメリカ)の3カ国を走破した北極圏1万2000kmの冒険を達成。この間、昭和50年(1975)には第13回歴程賞(草野心平主宰、同人誌「歴程」)を受賞。北極圏1万2千キロ単独行の「詩心」が受賞理由だった。昭和53年(1978)3月にカナダ・コロンビア岬から出発し、4月、犬ぞりによる世界初の北極点単独到達を達成。続いて8月までグリーンランド3000キロの初縦断を行った。これらの業績で海外から高い評価を得た。同年、第26回菊池寛賞を受賞。昭和54年(1979)、イギリスのバーラー・イン・スポーツ(スポーツ勇敢賞)を受賞。昭和55年(1980)8月には厳冬期アコンカグア(6960m)に登頂する。翌、昭和56年(1981)1月、隊長として冬のエベレストに挑戦するが8000mで断念し、仲間の竹中昇を失う。昭和57年(1982)、南極大陸単独犬ぞり横断のため南極で越冬するが、フォークランド紛争のためアルゼンチンの協力を得られず計画を断念する。昭和59年(1984)2月、マッキンリー厳冬期単独登頂に成功するが、下山中に消息を絶つ。同年4月、国民栄誉賞が贈られた。6月、グリーンランド南端の山が「植村峰(ヌナタック・ウエムラ)」と命名された。著書に『青春を山に賭けて』『北極圏1万2千キロ』などがある。*ジャン=ジュアルネ:1960年スコーバレー冬季オリンピックのスキー滑降競技の金メダリスト
《 略年譜 》
年 |
年齢 |
事項 |
1941 |
0 |
兵庫県城崎郡国府村(現・兵庫県豊岡市)上郷(かみのごう)に生まれる。 |
1964 |
23 |
明治大学農学部卒業後、片道切符だけを持って移民船でアメリカ、ロサンジェルスに渡る。観光ビザで農場でアルバイトをしているのが見つかり、国外退去処分になりフランスへ渡る。イタリア国境に近いモルジンヌ(Morzine)のスキー場(ジャン=ジュアルネ経営)で働く。 |
1965 |
24 |
明治大学のゴジュンバ・カン遠征隊に飛び入りで参加し、未踏峰ゴジュンバ・カン(7646m)に初登頂する。再びフランスに戻る。 |
1966 |
25 |
モンブラン(ヨーロッパ最高峰:4807m)に単独登頂する。 |
1967 |
26 |
キリマンジャロ(アフリカ最高峰:5985m)に単独登頂する。フランスを離れ南米に渡る。 |
1968 |
27 |
南米最高峰アコンカグア(6980m)に単独登頂する。北米に渡る途中でアマゾン川6000kmを手作りのイカダで下った。北米最高峰のマッキンリー(6194m)の単独登頂をねらうが許可が下りず、4年半ぶりに日本に帰国。 |
1969 |
28 |
日本初のエベレスト遠征隊の偵察隊に選ばれ,未登の南壁に8000mまで試登。そのままネパールに滞在し翌春の本隊を迎える。 |
1970 |
29 |
日本山岳会の日本エベレスト登山隊(隊長:松方三郎)に参加し、5月、松浦輝夫隊員とともに日本人として初めて世界最高峰エベレストの登頂を果たす。続いて8月、北米最高峰マッキンリー(6194m)に単独登頂し、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。 |
1971 |
30 |
1月、山学同志会の仲間とともに冬期グランド・ジョラス北壁(4208m)に登頂。続いて5月、国際エベレスト登山隊(隊長:ノーマン・ディレンファース/アメリカ)に参加。8250mまでルートを伸ばした。10月、日本列島3000キロを徒歩で縦断。 |
1972 |
31 |
9月、グリーンランド最北の村に入り、犬ぞりの技術や極地での生活を習得するため約1年間にわたりエスキモーと共同生活を始める。 |
1973 |
32 |
3月、グリーンランド西海岸を単独犬ぞりで往復3000kmを走破。 |
1974 |
33 |
12月から昭和51年(1976)6月まで313日間にわたって、グリーンランド、カナダ、アラスカ(アメリカ)の3カ国を走破した北極圏1万2000kmの冒険を達成。 |
1975 |
36 |
第13回歴程賞(草野心平主宰、同人誌「歴程」)を受賞。北極圏1万2千キロ単独行の「試心」が受賞理由だった。 |
1978 |
37 |
3月にカナダ・コロンビア岬から出発し、4月、犬ぞりによる世界初の北極点単独到達を達成し、続いて8月までグリーンランド3000キロの初縦断を行った。これらの業績で海外から高い評価を得た。同年、第26回菊池寛賞を受賞。 |
1979 |
38 |
イギリスのバーラー・イン・スポーツ(スポーツ勇敢賞)を受賞。 |
1980 |
39 |
厳冬期アコンカグア(6960m)に登頂する。 |
1981 |
40 |
隊長として冬のエベレストに挑戦するが8000mで断念し、仲間の竹中昇を失う。 |
1982 |
40 |
南極大陸単独犬ぞり横断のため南極で越冬するが、フォークランド紛争のためアルゼンチンの協力を得られず計画を断念する。 |
1984 |
43 |
2月、マッキンリー厳冬期単独登頂に成功するが、下山中に消息を絶つ。同年4月、国民栄誉賞が贈られた。6月、グリーンランド南端の山が「植村峰(ヌナタック・ウエムラ)」と命名された。 |
1984 |
43 |
2月13日死去 |
- 兵庫県との関係
- 生誕(城崎郡)
- 関連リンク
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植村冒険館・東京,http://www.boukenkan.jp/
代表作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
備考 |
青春を山に賭けて |
1971 |
毎日新聞社 |
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極北に駆ける |
1974 |
文藝春秋 |
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北極圏一万二千キロ |
1976 |
文藝春秋 |
|
北極点グリーンランド単独行 |
1978 |
文藝春秋 |
|
冒険 |
1980 |
毎日新聞社 |
|
冒険と人生 |
1980 |
聖教新聞社 |
|
男にとって冒険とは何か |
1981 |
潮出版社 |
|
エベレストを越えて |
1982 |
文藝春秋 |
|
植村直己の冒険学校 |
1986 |
文藝春秋 |
|
写真集 植村直己記念館 |
1990 |
文藝春秋 |
|
植村直己と山で一泊 |
1993 |
小学館 |
|
植村直己妻への手紙 |
2002 |
文藝春秋 |
|
植村直己挑戦を語る 対談集 |
2004 |
文藝春秋 |
|
別冊文藝 植村直己 夢・冒険・ロマン |
2004 |
河出書房新社編 |
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青春を山に賭けて(文春文庫(新装版)) |
2008 |
文藝春秋 |
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関連情報
場所 |
説明 |
内容 |
兵庫県城崎郡日高町 |
記念碑 |
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兵庫県城崎郡日高町 |
植村直己記念館 |
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受賞歴
受賞年 |
受賞内容 |
受賞作品 |
1975 |
第13回歴程賞(歴程同人) |
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1977 |
昭和51年度朝日体育賞(朝日新聞社) |
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1978 |
第26回菊池寛賞((財)日本文学振興会) |
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1979 |
バーラー・イン・スポーツ(スポーツ勇敢賞・イギリス) |
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1984 |
国民栄誉賞(歴代5人目) |
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1984 |
明治大学名誉博士の学位を受賞 |
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1984 |
「植村峰」認定証(デンマーク大使) |
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1984 |
ビックスポーツ特別功労賞(テレビ朝日) |
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