しろやま さぶろう城山 三郎
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昭和2~平成19
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ジャンル:
小説家
- 出身:名古屋市
PROFILE
兵庫県が舞台の作品に『鼠』『部長の大晩年』がある。昭和2年(1927)、名古屋市の商家に生れる。東京商科大学(現・一橋大学)を卒業後、一時愛知学芸大学で教鞭をとるが、城山三郎のペンネームで応募した小説『輸出』が「文学界」新人賞受賞、翌昭和34年(1959)『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞、昭和38年(1963)には大学を辞し、創作に専念する。以後、近代日本の歴史上の人物や、経済をテーマとした小説を発表、権力と組織、歴史に対峙して生きる男たちの凛然とした人物像を描いた作品が読者の深い共感を呼ぶ、また経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞、菊池寛賞受賞。『辛酸』『鼠』『落日燃ゆ』『毎日が日曜日』『もう、きみには頼まない』『粗にして野だが卑ではない』など気骨ある人物の堂々たる人生を描き、伝記文学の新しい領域を拓く。日本のために、命懸けで闘った経済人、政治家を主人公とする作品が多い。澁沢栄一、浜口雄幸、井上準之助、広田弘毅など、いずれも「信念の人」をテーマにする。最近は、住専問題などにみられる官僚および政治家の無責任と無節操を強く批判。「サンサーラ」ではたびたび佐高信氏と対談し、天下の論理と個の論理を問いなおす必要性を論じ、愚直で蛮勇あるリーダーの登場を願う。最近は『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』(毎日新聞社)がベストセラーになったが、これもテーマは一貫している。信念の人の少ない現代に、氏の作品は警鐘となって響く。『鼠 ―鈴木商店焼打ち事件―』は、神戸が舞台。表題の鼠は、鈴木商店の丁稚上がりの大番頭金子直吉の俳号「白鼠」からとったもの。直吉が晩年を過ごした家が、神戸市東灘区の阪神御影駅近くにある。 平成19年(2007)3月22日肺炎のため死去。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
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1927 | 0 | 8月17日、父・政之丞、母・寿々子の長男として、名古屋市中区で生まれる。育った家は、市の中心である栄町のすぐ近くで、メインストリートの一つに面していた。家業はインテリア。 |
1934 | 7 | 1月、弟妹の2人が一日にして亡くなる。4月、八重小学校に入学。担任の影響で絵が好きになり、また作文も得意であった。 |
1940 | 13 | 4月、名古屋商業に入学。名古屋の商家の長男の当然のコースとされていた。陸上競技部、滑空部などに入る。軍国主義教育の影響をまともに受け、杉本五郎中佐著『大儀』などに心酔。 |
1945 | 18 | 3月、大同製鋼に勤労動員されたままで名古屋商業を卒業。たびたびはげしい空襲にさらされ、身近に爆弾を受けた。父は徴用されて軍隊へ。母たちは郊外の豊明村の別荘に疎開していたが、名古屋の家は夜間空襲で焼かれた。4月、愛知県立工専に入学。 |
1946 | 19 | アララギ東海支部に加わって短歌を作る一方、私塾に通って、キプリング、コンラッドなどを学ぶ。この頃、スタインベック、コールドウェル、ヘミングウェイなどを乱読する。3月、東京商科大予科(後、一橋大学)に合格したが、軍学徒進学制限令のため、9月になって入学。 |
1952 | 25 | 3月、一橋大学を卒業。父大病のため帰郷の必要あり、たまたま話のあった岡崎の愛知学芸大学に奉職し、「景気論」などを担当する。また、金城学院にも出講する。 |
1954 | 27 | 1月、小山容子と結婚。 |
1955 | 28 | 9月、長女・弓子誕生したが、11月死去。この年、一橋大学経済研究所に10ヶ月出張。 |
1956 | 29 | 2月、母・寿々子急死。同月、『中京財界史』上下2冊を中部経済新聞より刊行。11月、長男・有一誕生。12月、『生命の歌』を「近代批評」に発表。 |
1957 | 30 | 3月、城山近くの借家へ移る。これを機に文学に本腰を入れようと、城山三郎のペンネームを考え、「文学界」の新人賞に『輸出』を応募し、受賞。同誌7月号に掲載される。夏は信州で執筆にふけり、9月、『プロペラ機・着陸待て』を、11月『神武崩れ』を「文学界」に発表。 |
1958 | 31 | 岡崎の愛知学芸大学へ、週3日の通勤生活が始まる。往復8時間の準急東海号などの車中は絶好の読書の場となった。 |
1959 | 32 | 1月、『総会屋錦城』が直木賞を受賞。5月、次女・紀子誕生。10月26日、名古屋で伊勢湾台風に遭う。朝日新聞の依頼で、小船に乗って泥の海と化した村々や死体置場を訪ねて回り、衝撃を受ける。12月、テレビドラマ『壁』(CBC)が芸術祭奨励賞を受賞。 |
1960 | 33 | 2月、アメリカとメキシコへ旅行。グランド・キャニヨンの雄大さに圧倒され、一昼夜ただただ大峡谷を見つめる。5月、安保闘争に参加。 |
1961 | 34 | 3月、短編集『社長室』を新潮社より刊行。6月、『辛酸』を「中央公論」に発表。「騒動」と題した第二部は,騒然たる時節柄のため掲載を拒否され、第一部と合わせて翌年1月、『辛酸』として中央公論社より刊行。 |
1962 | 35 | 2月、カイロで開かれたアジア・アフリカ作家会議に日本代表団の一人として参加。10日近く、さまざまな民族の声を聞く。会議からの帰途、単身アテネ、イスタンブール、ローマ、パリと廻る。テレビドラマ『汽車は夜九時に着く』(NHK)が芸術祭奨励賞を受賞。 |
1963 | 36 | 6月、愛知学芸大学を退職。日本作家代表団の一員として中国へ。 |
1964 | 37 | 2月、『硫黄島に死す』が文藝春秋読者賞を受賞。 |
1965 | 38 | この頃から、近くの空手道場へ毎日のように通う。 |
1966 | 39 | この頃から、不眠症を治すためもあってゴルフをはじめる。 |
1967 | 40 | 3月から7月にかけて、アメリカ一周バス旅行。メキシコ、カナダにも寄る。家を出てから帰るまで、船とバスなどで一度も飛行機に乗らず、文字通り地に足をつけた旅。旅行記の一部を「サンデー毎日」に連載し、10月、『ヒッピー発見―アメリカ細密旅行』として毎日新聞社より刊行。 |
1969 | 42 | 4月、カリフォルニアへ取材旅行。梅雨どきに頭痛と耳鳴り続く、はじめての経験。この年1年を限って、小学校のPTA会長を引き受ける。また、久しぶりに忍耐の味を噛みしめながら運転免許をとる。 |
1970 | 43 | 10月から11月にかけて、江藤淳、藤枝静男氏と共に日本作家代表団としてソビエトを訪問。ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイの静かな邸。土を盛っただけの墓に強い印象を受ける。その後、藤枝氏とヨーロッパへ。さらに単身でボストン、ニューヨークなどで取材。 |
1972 | 45 | 3月から4月にかけて、アメリカ横断バス旅行。ソルトレーク、ニューヨークなどで取材し、ジョージア州へ。帰りにフロリダ、モントレーの両半島でゴルフなどして休養。 |
1973 | 46 | 8月、アメリカへ家族旅行。このときも、アリゾナ横断のバス旅行を組みこむ。グランド・キャニオン再訪。10月から11月にかけてアメリカへ講演、スイスへ取材旅行。12月、再びアメリカへ対談のため旅行。その後中南米へ。 |
1974 | 47 | 1月から2月にかけて東南アジアへ旅行。 |
1975 | 48 | 1月、『落日燃ゆ』が毎日出版文化賞と吉川英治文学賞を受賞。8月、ケニヤ、タンザニヤへ家族旅行。もともと動物好きなので、待望の野生とのふれ合いの旅であった。 |
1977 | 50 | 3月、アラブとヨーロッパへ取材と講演。イランのバンダル・シャプールや湾岸諸国の広漠たる砂漠の中での工場建設ぶりなどが強烈に印象となった。これら一連の取材の記録は「経済最前線をゆく」と題して「文藝春秋」に連載(後『海外とは日本人にとって何か』)。 |
1978 | 51 | 1月、書下ろしの『黄金の日日』を新潮社より刊行。同作品はこの年のNHK大河ドラマの原作となる。2月下旬、ハワイのキリマ岬などで休養。5月、直木賞選考委員となる。5月より6月にかけて、日本作家代表団の一員として中国へ。 |
1979 | 52 | 2月、東南アジアに講演旅行。夏、取材のためニ度、北海道へ。 |
1980 | 53 | 7月、ヨーロッパ、アメリカへ取材と対談のため旅行。いったん帰国して8月末、ウィーンへ講演に。11月、風邪をこじらせて,急性肺炎に。 |
1981 | 54 | 10月、ネパールに旅行。 |
1982 | 55 | 2月、アメリカへ取材旅行。 |
1983 | 56 | 2月、海の見えるマンションに仕事場を設ける。8月、考えるところあって直木賞選考委員を辞任。 |
1984 | 57 | 5月、オーストリア、スイスを旅した後、パリなど四都市で講演。 |
1985 | 58 | 3月、対米広報文化調査団の一員としてアメリカへ。各界の人々と懇談。9月、エズラ・F・ヴォーゲル氏との連続対談のためアメリカへ。『乗取り』のブルガリア版がソフィアで刊行される。 |
1986 | 59 | 6月、父・政之急死。 |
1987 | 60 | 1月、ニュージーランドへ。8月、好きな町インスブルックを再訪。南ドイツなどを廻る。 |
1988 | 61 | 7月、アメリカ。9月、上海・武漢。10月、マレーシア。いずれも取材旅行。 |
1989 | 62 | 2月、西オーストラリヤとハワイ島へ取材に。6月、バンクーバーに取材、カナディアン・ロッキーで静養。 |
1990 | 63 | 3月、講演のためハワイへ。7月、本田宗一郎邸での最後の鮎釣りパーテイに出席。9月、ヨーロッパへ。愛読書である『ダブリン市民』の舞台ダブリンをはじめ、フランスの田舎などを廻る。 |
1992 | 65 | 1月、前年10月「文藝春秋」に発表した『本田宗一郎は泣いている』が文藝春秋読者賞を受賞。 |
2000 | 73 | 妻・容子死去。遺児有一、紀子(井上姓)。 |
2007 | 79 | 3月22日肺炎のため死去 |
- 兵庫県との関係
- 舞台 神戸
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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輪出 | 1957 | 文学界 | |
総会屋錦城 | 1959 | 文芸春秋新社 | |
黄金峡 | 1960 | 中央公論社 | |
乗取り | 1960 | 光文社 | |
辛酸 | 1962 | 中央公論社 | |
イチかバチか | 1962 | 朝日新聞社 | |
危険な椅子 | 1962 | 集英社 | |
小説日本銀行 | 1963 | 新潮社 | |
鼠 | 1966 | 文藝春秋 | |
硫黄島に死す | 1968 | 光文社 | |
落日燃ゆ | 1974 | 新潮社 | |
官僚たちの夏 | 1975 | 新潮社 | |
毎日が日曜日 | 1976 | 新潮社 | |
黄金の日日 | 1978 | 新潮社 | |
ビジネスマンの父より息子への30の手紙 | 1987 | 新潮社 | |
粗にして野だが卑ではない | 1988 | 文藝春秋 | |
もう、きみには頼まない | 1995 | 毎日新聞社 | |
部長の大晩年 | 1998 | 朝日新聞社 | |
指揮官たちの特攻 | 2001 | 新潮社 | |
部長の大晩年 朝日文庫 | 2001 | 朝日新聞出版 | |
一発屋大六 文春文庫 | 2001 | 文藝春秋 | |
無所属の時間で生きる 朝日文庫 | 2002 | 朝日新聞出版 | |
男子の本壊 | 2002 | 新潮社 | |
静かに健やかに遠くまで | 2002 | 海竜社 | |
上司の器 | 2002 | 光文社 | |
落日燃ゆ | 2002 | 新潮社 | |
「人間復興」の経済を目指して(共著:内橋克人) | 2002 | 朝日新聞出版 | |
勇者は語らず 新潮オンデマンドブックス | 2002 | 新潮社 | |
男たちの流儀 誰に、何を学ぶのか 知恵の森文庫(共著:佐高信) | 2002 | 光文社 | |
うまい話あり 文春文庫 | 2002 | 文藝春秋 | |
この命、何をあくせく | 2002 | 講談社 | |
官僚たちの夏 新潮文庫(改版) | 2002 | 新潮社 | |
毎日が日曜日 新潮文庫(改版) | 2002 | 新潮社 | |
気張る男 文春文庫 | 2003 | 文藝春秋 | |
逃亡者 新潮オンデマンドブックス | 2003 | 新潮社 | |
運を天に任すなんて 人間・中山素平 新潮文庫 | 2003 | 新潮社 | |
「気骨」について 対談集 | 2003 | 新潮社 | |
人生に二度読む本(共著:平岩外四) | 2005 | 講談社 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第1巻〉硫黄島に死す | 2005 | 角川書店 | |
この命、何をあくせく 講談社文庫 | 2005 | 講談社 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第6巻〉指揮官たちの特攻 | 2005 | 角川書店 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第5巻〉落日燃ゆ | 2005 | 角川書店 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第2巻〉生命(いのち)の歌 | 2005 | 角川書店 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第3巻〉零(ゼロ)からの栄光 | 2005 | 角川書店 | |
城山三郎昭和の戦争文学〈第4巻〉忘れ得ぬ翼 | 2006 | 角川書店 | |
本当に生きた日 | 2007 | 新潮社 | |
仕事と人生 | 2007 | 角川書店 | |
日本人への遺言(共著:高山文彦) | 2007 | 講談社 | |
嬉しうて、そして… | 2007 | 文藝春秋 | |
城山三郎講演〈1・2〉〈CD〉 新潮CD | 2007 | 新潮社 | |
城山三郎ゴルフの時間 ゴルフダイジェスト新書 | 2007 | ゴルフダイジェスト社 | |
本田宗一郎 その「人の心を買う術 プレジデント・クラシックス | 2007 | プレジデント社 | |
そうか、もう君はいないのか | 2008 | 新潮社 | |
人生の流儀 ビジネスマンに贈る珠玉の言葉 | 2008 | PHP研究所 | |
本当に生きた日 新潮文庫 | 2008 | 新潮社 | |
打たれ強く生きる 新潮文庫(改版) | 2008 | 新潮社 | |
学・経・年・不問 文春文庫(新装版) | 2008 | 文藝春秋 | |
どうせ、あちらへは手ぶらで行く - 「そうか、もう君はいないのか」日録 | 2009 | 新潮社 | |
経営者の品格 - 今こそ問われるリーダーの人間力! プレジデント・クラシック | 2009 | プレジデント社 | |
総会屋錦城 新潮文庫(改版) | 2009 | 新潮社 | |
城山三郎と久野収の「平和論」(共著:久野収) | 2009 | 七つ森書館 | |
役員室午後三時 新潮文庫(改版) | 2009 | 新潮社 | |
わしの眼は十年先が見える - 大原孫三郎の生涯 新潮文庫(改版) | 2009 | 新潮社 | |
本田宗一郎との100時間(新装版) | 2010 | PHP研究所 | |
逆境を生きる | 2010 | 新潮社 | |
嬉しうて、そして… 文春文庫 | 2010 | 文藝春秋 | |
黄金峡 講談社文庫 | 2010 | 講談社 | |
当社別状なし 文春文庫 | 2010 | 文藝春秋 | |
どうせ、あちらへは手ぶらで行く | 2011 | 新潮社 | |
受賞歴
受賞年 | 受賞内容 | 受賞作品 |
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1957 | 第4回文学界新人賞 | 「輸出」 |
1958 | 第40回直木三十五賞 | 「総会屋錦城」 |
1963 | 第25回「文芸春秋」読者賞 | 「硫黄島に死す」 |
1975 | 第9回吉川英治文学賞 | 「落日燃ゆ」 |
1996 | 第44回菊池寛賞 | |
2002 | 朝日賞 | |
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