さがみ相模
- 正暦末頃~康平4年以後の没か
PROFILE
【略歴】
父は未詳。源頼光は養父か。母は慶滋保章の娘で、源頼光と再婚。はじめ乙侍従と呼ばれ、大江公資と結婚、ともに相模へ下向し、「走湯百首」を詠む。夫の任国により相模と呼ばれる。帰京後夫と離別。一品宮脩子内親王に出仕。長元8年(1035)『賀陽院水閣歌合』をはじめとして多数歌合に出詠した。定頼や和歌六人党の歌人・出羽弁・源経信との交流もあった。後拾遺集初出。
【関係】
「雪の白浜」を詠む和歌が、相模集に見える。
- もっと詳しく知るために
- 私家集全釈叢書 12 相模集全釈 武内はる恵他 風間書房