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兵庫ゆかりの作家

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こいずみ やくも小泉 八雲

  • 嘉永3~明治37
  • ジャンル: 新聞記者、教師、評論家、随筆家
  • 出身:ギリシア・レフカダ島

PROFILE

兵庫県神戸市に居住。兵庫県ゆかりの作品に『心』がある。 ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日に、アイルランド人(英国籍)であった英国軍軍医の父と、ギリシア人の母の間に、ギリシアの島レフカスで生まれた。19歳の時にオハイオ州シンシナティに移住し、新聞記者になった。1889年に日本行きを決め、明治23年(1890)の夏には松江に赴き、島根県尋常中学校及び師範学校にて英語を教えることとなった。その地で、藩士の家柄の娘、小泉セツと結婚した。 松江に15ヵ月滞在してから、九州熊本にある第五高等中学校の教職に転出した。そこでは3年間を過ごすことになるが、その間に『知られぬ日本の面影』を完成した。明治27年(1894)10月に英字新聞「神戸クロニクル」の記者の職を得た。神戸には、明治27年11月から明治29年8月まで住むが、この間明治29年1月45歳のとき日本へ帰化して、小泉八雲となる。明治29年(1896)にはチェンバレンの助力もあって、東京帝国大学文科大学にて英文学の教授を開始する。この身分は明治36年(1903)まで継続し、その後早稲田大学に移った。明治37年(1904)9月26日心臓発作により逝去、享年54歳であった。

《 略年譜 》

年齢事項
185006月27日、ギリシャのレフカス島に生まれる。
185227月、父の転任でアイルランド・ダブリンへ。
18566父母離婚、大叔母サラ・ブレネン未亡人に引きとられる。
186313セントカスバート神学校入学。
186717大叔母の破産で退学。
186919渡米。シンシナティで図書館に通って勉強を続ける。
187424「シンシナティ・エンクワイャラ」の記者となる。
187626シンンナティ・コマーシャル社に入社。
187727ニューオリンズに移る。
187828「デイリー・アイテム」の記者となる。
188131タイムスデモクラット社の文芸部長となる。
188434博覧会で日本の工芸品に惹かれる。
188737ニューヨークへ移る。ハーバー社と契約し、西インド諸島で執筆活動。
189040ハーバー社の依頼で日本へ。契約のもつれでハーバー社と絶縁。知り合いの斡旋で松江中学の英語教師となる。
1891412月、小泉セツ(23歳)と結婚。11月、熊本第五高等学校に転任。
189444神戸クロニクル社に入社し、神戸に移る。
189646帰化、日本名「小泉八雲」。8月、帝国大学文科大学の講師として上京。
189747富士登山。
190353帝大講師解雇。
190454早稲田大学文学部に出講。9月26日、狭心症のため逝去。享年54歳。
逝去地
東京
兵庫県との関係
居住  神戸市

代表作品

作品名刊行年版元備考
1926第一書房
霊の日本1926第一書房
怪談1926第一書房
神戸クロニクル社説1926第一書房
1926第一書房
異国情趣と回顧1926第一書房
知られぬ日本の面影1926第一書房
東の国から1926第一書房
事實と空想1929北星堂書店
神国日本1932第一書房
妖魔詩話1934小山書店
日本瞥見記1934外語研究社
文学論、続1946興風館
ちんちん小袴1948中央公論社
文学入門 1948金星堂
草ひばり1948文藝春秋新社
耳なし芳一1950小峰書店
日本の面影1958角川書店
小泉八雲文選1965協志工業叢書出版股〓有限公司
松江の七ふしぎ1966偕成社
まぼろしの雪女1970講談社
日本瞥見記1975恒文社
飛花落葉集:他1976恒文社
だんごをなくしたおばあさん1977大日本図書
富士の山 1980明玄書房
モーパッサン短篇選集:英ー仏1988大学書林
神々の国の首都1990講談社
クレオール物語1991講談社
天の川幻想:ラフカディオ・ハーン珠玉の絶唱1994集英社
おとぎの国の妖精たち1995社会思想社小泉八雲怪談集
尖塔登攀記 : 外四篇1996恒文社小泉八雲初期文集 復刻版
雪女2000偕成社
樹のおつげ2001新世研
怪談小泉八雲のこわ~い話12004汐文社
妖怪・妖精譚2004筑摩書房小泉八雲コレクション
さまよえる魂のうた2004筑摩書房小泉八雲コレクション
新編日本の怪談2005角川学芸出版

関連情報

場所説明内容
神戸市中央区下山手6県中央労働センター前記念碑小泉八雲記念碑
神戸市中央区下山手通6丁目3-28中央労働センター玄関前旧居跡
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