なつめ みかまろ夏目 甕麿
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安永2~文政5
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ジャンル:
歌人・国学者
- 出身:遠江国浜名郡白須賀
PROFILE
【兵庫県との関係】
晩年の文政4年(1821)ごろ、伊丹昆陽の正覚院に寄寓。その年の七月の歌日記『七月の記』には、昆陽や有馬での和歌が収められている。その時以後、伊丹に留まり、翌文政5年(1822)5月5日に昆陽池にて水死。酔余、水に映った月を手に取らんとして池に入り溺死したとの説話も伝わる。
【略歴】
萩園(はぎぞの)と号す。家は代々遠江国浜名郡白須賀(現湖西市)の酒造家で名主役を務め、若くして名主役を継いだ。寛政9年(1797)に内山真竜に入門、翌10年に本居宣長に入門。宣長没後は本居春庭門。文化11年(1814)には名主役を辞して隠居。萩園を建てて、和歌・国学に専念した。文政元年(1818)以降、宣長の『鈴屋大人都日記』などを出版、経済的負担を負う。また、近畿の山陵の調査を行った。息子に歌人として有名な加納諸平がいる。墓は三河国吉田普門寺(現豊橋市)と伊丹寺本の正覚院に現存。「萩園之奥墓」と刻まれている。
此の昆陽より見るには、月は河内国生駒の山よりぞ出(いで)くなる
――玉はやす武庫のわたりに影てりて生駒高嶺を月のぼりけり――(『七月の記』)
- 逝去地
- 伊丹昆陽
- 兵庫県との関係
- 滞在 伊丹
代表作品
作品名 |
刊行年 |
和暦 |
備考 |
古野の若菜(国学書) |
1816 |
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駿河国号考(地誌) |
1816 |
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七月の記(紀行)(『萩園翁旅の日記』とも呼ぶ) |
1821 |
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文学碑
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