さいかく西鶴
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寛永19~元禄6
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ジャンル:
俳人・浮世草子作者
- 出身:大坂
PROFILE
【兵庫県との関係】
『好色一代男』の作中人物夢介(世之介の父)は但馬の国かねほる里(生野銀山)の辺の出身であり、本書には兵庫の風呂屋者や室津の遊女が描かれる。『好色五人女』巻一のお夏清十郎物語は播磨の国姫路を舞台とする。
【略歴】
井原氏。『見聞談叢』は平山藤五と称し有徳な町人であったと伝える。西鶴はその号。他に鶴永・西鵬とも号した時期がある。軒号を松寿軒また松風軒などともいった。明暦2年(1656)十五歳の時、俳諧を志し、二十一歳で点者になったという(『大矢数』跋・『石車』)。現存する初見は、寛文6年(1666)西村長愛子選『遠近集』に鶴永号で三句入句する。これらの句作を見ると、当初貞門俳諧から出発したようだが、寛文11年(1671)ごろ西山宗因門下に加わり、延宝元年(1673)には大坂生玉社南坊で、大坂および近郊の俳人156人の出座を得て、十二日間にわたる万句俳諧を興行し(『生玉万句』)、この年、宗因の別号西翁の一字を許されて西鶴と改号した。西鶴の俳諧は「阿蘭陀流」などと称され異端視もされていたが、西鶴自らは「阿蘭陀流」俳諧の「姿すぐれてけだかく、心ふかく詞新しくよき」などとこれを自負した。延宝5年(1677)5月25日には大坂生玉の本覚寺において、一昼夜で1600句を独吟するという俳諧興行を成就し、天下一の記録を誇った(『俳諧大句数』)。これは京都の三十三間堂で当時行われていた通し矢に習ったもので、このような俳諧を矢数俳諧と称した。速吟(量)を競う俳諧である。するとこの記録を打ち破ろうとする者が現れ、月松軒紀子が1800句・大淀三千風が3000句を成就する。そこで西鶴は延宝8年(1680)5月7・8日に生玉の寺内において一昼夜に4000句の独吟を成功させた(『西鶴大矢数』)。この流れはエスカレートし、終に西鶴は貞享元年(1684)には2万3500句を独吟するという前人未踏の記録を成し遂げた。このような矢数俳諧の展開の中で、天和2年(1682)『好色一代男』は刊行された。この書は当代の色好みの男、世之介を主人公とした、一代記風の風俗小説で、すなわち、従来の仮名草子を刷新する浮世草子の登場である。貞享元年(1684)に『諸艶大鑑』、同2年『西鶴諸国ばなし』、同3年『好色五人女』『好色一代女』『本朝二十不孝』、同4年『男色大鑑』『武道伝来記』、同5年(元禄元年)(『日本永代蔵』『武家義理物語』、元禄5年(1692)『世間胸算用』などの浮世草子の傑作が続々と刊行された。元禄6年の没後も『西鶴置土産』同6年・『西鶴織留』同7年などのいわゆる遺稿集が刊行された。現代の視点では、天和2年以降は浮世草子作者の相貌が大きくなるが、西鶴自身は辞世吟においても自らを難波俳林と称している。西鶴は俳人を自認していたのである。
- 逝去地
- 大坂
- 兵庫県との関係
- 舞台 兵庫・生野・姫路など
- もっと詳しく知るために
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新編日本古典文学全集66?69・井原西鶴集 暉峻康隆・東明雅・宗政五十緒・谷脇理史・富士昭雄・広嶋進 1996-2000 平成8年?12年 小学館
定本西鶴全集 潁原退蔵・暉峻康隆 1949-1973 昭和24年?48年 中央公論社
対訳西鶴全集 麻生磯次・富士昭雄 1874-1993 明治7年?平成5年 明治書院
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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歌仙大坂俳諧師(絵俳書) | 1673 | | 収録:『定本西鶴全集』(中央公論社) |
生玉万句(誹諧万句) | 1673 | | 収録:『定本西鶴全集』(中央公論社) |
独吟一日千句(俳諧追善集) | 1675 | | 収録:『定本西鶴全集』(中央公論社) |
俳諧大句数(俳諧連句集) | 1677 | | 収録:『定本西鶴全集』(中央公論社) |
西鶴大句数(俳諧連句集) | 1681 | | 収録:『定本西鶴全集』(中央公論社) |
好色一代男(浮世草子) | 1682 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
諸艶大鑑(浮世草子) | 1684 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
西鶴諸国ばなし(浮世草子) | 1685 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
好色一代女(浮世草子) | 1686 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
本朝二十不孝(浮世草子) | 1686 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
好色五人女(浮世草子) | 1686 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
武道伝来記(浮世草子) | 1687 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
男色大鑑(浮世草子) | 1687 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
武家義理物語(浮世草子) | 1688 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
日本永代蔵(浮世草子) | 1688 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
世間胸算用(浮世草子) | 1692 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
西鶴置土産(浮世草子) | 1693 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
西鶴織留(浮世草子) | 1694 | | 収録:『対訳西鶴全集』(明治書院) |
好色一代男 | | | 浮世草子の最初。 |
好色五人女 | | | 寛文2年(1662)に播州姫路で起こった密通事件を題材とする。近松門左衛門は同じ題材で浄瑠璃『五十年忌歌念仏』を作っている。 |
日本永代蔵 | | | |
西鶴織留 | | | |
文学碑
場所 |
碑文 |
伊丹市伊丹5丁目3有岡公園
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富貫の家にうまれ出るは、前生の種也。菟角人は善根をして、家業大事にかくべし。池田・伊丹の売酒、水より改め、米の吟味、麹を惜まず、さはりある女は蔵に入ず、男も替草履はきて出し入すれば、軒をならべて、今のはんじゃう、舛屋・丸屋・油屋・山本屋・酢屋・大部屋・大和屋・満願寺や・加茂屋・清水屋・此外次第に栄て、上々吉諸白松尾大明神のまもり給へば、千本の椙葉枝をならさぬ時津の国乃隠里かくれなし。『西鶴織留世乃人心』 一、津の国のかくれ里より |
伊丹市北本町1丁目産業道路沿い 安井内科クリニック南
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あたこ火の かはらけ なけや 伊丹坂 西鶴 |
たつの市龍野町龍野公園聚遠亭茶屋前
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花ぞ雲動き出でたる龍野衆 |
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