しゅはく酒粕
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- ジャンル: 俳人・狂歌作者
- 出身:伊丹
PROFILE
【兵庫県との関係】
延宝年中(1673~1681年)、伊丹が火災にみまわれた際、酒粕は自らの家をも顧みず、俳諧の師である宗旦のもとに駆けつけた。宗旦の開いた也雲軒にある俳書を救い出すためであった。努力も空しくほとんど灰に帰してしまったのを見て酒粕は、「千金をなげうっても惜しくないものであった」と嘆いたという。『在岡俳諧逸士伝』に載るエピソードである。
【略歴】
酒粕は岡田氏。祐専の子というが、本名など詳しいことはわからない。俳諧をはじめ松江重頼に、後に池田宗旦に学んだという。酒粕という俳号は、いかにも酒どころ伊丹の俳人らしいものである。
酒粕は狂歌作者としても著名であった。『後撰夷曲集』(寛文12年(1678)刊)に3首、『銀葉夷曲集』(延宝6年(1678)刊)に12首が採られているが、100年以上を経た天明7年(1787)に江戸で刊行された『古今狂歌袋』では、「君が代はをさまる手をもひろげつゝ民をなでさせ給ふめでたさ」(『銀葉狂歌集』)の作が巻頭に置かれた。
――月は山貴(たっと)からざる樹かな――
- 逝去地
- 伊丹
- 兵庫県との関係
- 生誕 伊丹