みずもり かめのすけ水守 亀之助
- 明治19~昭和33
- ジャンル: 小説家
- 出身:相生市
PROFILE
兵庫県相生市に生まれる。明治19年(1886)兵庫県若狭野村(現:相生市)生まれ。八洞小学校、鶴亀高等小学校を経て大阪の医学校に学ぶが中退し、明治39年(1906)の年末に上京。翌明治40年(1907)のはじめに田山花袋を訪問。自然主義に近づく。「文章世界」などに作品を投稿しはじめ、大正3年(1914)徳田秋声の紹介で中央公論社に入るが一日で退職。大正6年(1917)春陽堂に入社して「中央文学」の編集に携わり、大正8年(1919)新潮社に入社。「新潮」編集にあたるころから本格的に作家生活に入る。同年9月、「小さな菜畑」、同11月「帰れる父」を発表。文壇的地位を確立した。その後の文筆活動は純文学に止まらず、少女小説、風俗小説や童話など、多岐に渉り、雑誌「野火」、「随筆」を創刊するなど、出版事業にも携わった。作家としての活動は戦前までで活躍期が終わった。戦後は回想記『わが文壇紀行』などを書いたが不遇で、昭和33年(1958)12月15日72歳で生涯を終えた。
《 略年譜 》
年 | 年齢 | 事項 |
---|---|---|
1886 | 0 | 赤穂郡若狭村に父達也、母こゆゑの子として生れる |
1893 | 7 | 八洞小学校入学 |
1897 | 11 | 八洞小学校卒業。鶴亀高等小学校入学。 |
1901 | 15 | 鶴亀小学校卒業。医学を志して大阪に出る。 |
1903 | 17 | 腹水病に罹り、以後医学修業を断念。療養中、三木露風、内海信之らを知る。 |
1906 | 20 | 上京。時々新潮社から仕事をもらうが、生活は困窮していた。 |
1914 | 28 | 女子文壇社入社。雑誌「処女」の編集に携わる。 |
1916 | 30 | 新免栄子と結婚。 |
1917 | 31 | 春陽堂入社。雑誌「中央文学」の編集にあたる。生活は苦しかった。 |
1919 | 33 | 新潮社入社。「新潮」の編集に携わる。9月、「小さな菜畑」、11月「帰れる父」を発表。 |
1937 | 51 | 文化雑誌「野火」を創刊する。 |
1945 | 59 | 東京大空襲により罹災。妻が焼死し、自らも全身火傷を負う。以降、東京、岡谷、直江津などを転々とし、赤穂津田医院におちつく。 |
1953 | 67 | 「わが文壇紀行」刊行。 |
1958 | 72 | 12月15日、死去。 |
- 逝去地
- 東京
- 兵庫県との関係
- 生誕(相生市)
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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帰れる父 | 1920 | 新潮社 | |
闇を歩く | 1923 | 新潮社 | |
わが文壇紀行 | 1953 | 朝日新聞社 |