ゆかわ ひでき湯川 秀樹
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明治40~昭和56
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ジャンル:
理論物理学者
- 出身:東京都麻布市
PROFILE
兵庫県西宮市に居住。兵庫県ゆかりの作品に『旅人』がある。
明治40年(1907)、東京で生まれた。湯川博士の父親は地理学者であった。湯川は、京都帝国大学で理論物理学を学び、27歳の若さで中間子を発見し「中間子理論」を発表。その後の素粒子論は理論物理学の一分野に大きな影響を与えた。そしてこの「中間子理論」が認められ、昭和24年(1949)のノーベル賞受賞となったのである。物理学賞受賞は、敗戦に打ちひしがれた国民を力づけた。また、昭和29年(1954)アメリカの水爆実験に衝撃を受け、以後、世界科学者会議を開催するなど核兵器と戦争の廃絶を訴え続けた。
《 略年譜 》
年 |
年齢 |
事項 |
1907 |
0 |
東京都麻布市兵衛街で、父・小川琢治、母・小雪の三男として生まれる。 |
1908 |
1 |
父が京都大学文学部教授になったので一家は京都に移る。 |
1913 |
6 |
京極尋常小学校に入学。 |
1919 |
12 |
京極尋常小学校を卒業、京都府立第一中学校に入学。 |
1923 |
16 |
京都第一中学校四年修了、第三高等学校に入学。 |
1926 |
19 |
第三高等学校を卒業、京都大学理学部に入学。 |
1929 |
22 |
京都大学を卒業、同大学理学部副手として理論倫理学の研究に従事する。 |
1932 |
25 |
湯川スミと結婚。湯川の性を名乗る。大阪市東区に転任。京都大学理学部講師となり、量子力学の講義を担当する。 |
1933 |
26 |
日本数学物理学会で「核内電子の問題に対する一考案」と題して講演。西宮市苦楽園に移り住む。長男・春洋誕生。 |
1934 |
27 |
大阪大学理学部専任講師となる。次男・高秋生まれる。 |
1936 |
29 |
大阪大学助教授となる。初の著書『ベーター線放射能の理論』出版。 |
1938 |
31 |
共著で「素粒子の相互作用について」発表し理学博士を授与され、服部報公賞を受ける。 |
1940 |
33 |
学士院恩賜賞を受ける。 |
1941 |
34 |
野間学術賞を受ける。父・小川琢治死去。 |
1943 |
36 |
文化勲章を受ける。母・小雪死去。 |
1948 |
41 |
プリンストン高等学術研究所客員教授として渡米。 |
1949 |
42 |
コロンビア大学教授となり、ニューヨークに移る。核力に関する中間子理論によりノーベル物理学賞を授けられる。 |
1953 |
46 |
アメリカより帰国。京都市名誉市民となる。 |
1957 |
50 |
パリ大学名誉博士を授けられる。 |
1958 |
51 |
京都市左京区に移る。自叙伝『旅人』を朝日新聞に連載。 |
1966 |
59 |
「原子論と空間時間の分割性」を発表し、素領域理論を提唱。 |
1967 |
60 |
西ドイツ国プール・ル・メリット勲章。モスクワ大学名誉博士を授けられる。 |
1970 |
63 |
京都大学を定年退官、同大学名誉教授になる。 |
1971 |
64 |
『湯川秀樹自選集』全5巻を出版。次男・高秋死去。 |
1977 |
70 |
勲一等旭大綬章を授けられる。 |
1978 |
71 |
東京で開催された第19回エネルギー物理学国際会議の会長を勤める。 |
1979 |
72 |
英文学術論文集『Hideki Yukawa Scientific woks』出版。 |
1981 |
74 |
9月8日、急性心不全のため京都市下鴨泉川町の自宅で没。 |
- 逝去地
- 京都市
- 兵庫県との関係
- 旧宅 西宮市苦楽園
代表作品
作品名 |
刊行年 |
版元 |
備考 |
べーター線放射能の理論 |
1936 |
岩波書店 |
|
新粒子論 |
1939 |
共立出版 |
|
極微の世界 |
1942 |
岩波書店 |
|
存在の理法 |
1943 |
岩波書店 |
|
目に見えないもの |
1946 |
甲文社 |
|
量子力学序説 |
1947 |
弘文堂 |
|
科学と人間性 |
1948 |
国立書院 |
|
素粒子論序説(上) |
1948 |
岩波書店 |
|
原子と人間 |
1948 |
甲文社 |
|
原子核論(共著) |
1949 |
共立出版 |
|
物理学の方向(共著) |
1949 |
三一書房 |
|
素粒子論(共著) |
1951 |
共立出版 |
|
宇宙船及び中間子論(共著) |
1955 |
共立出版 |
|
人間と科学 |
1956 |
中山書店 |
|
京都わが幼き日の・・(共著) |
1960 |
中外書房 |
|
現代科学と人間 |
1961 |
岩波書店 |
|
素粒子の探求(共著) |
1965 |
勁草書房 |
|
創造的人間 |
1966 |
筑摩書房 |
|
平和の思想 |
1968 |
雄渾社 |
|
学問のすすめ(共著) |
1968 |
筑摩書房 |
|
随想集 心ゆたかに |
1969 |
筑摩書房 |
|
現代の科学?(共著) |
1973 |
中央公論社 |
|
科学と人間の行方(共著) |
1973 |
講談社 |
|
宇宙と人間7つのなぞ |
1974 |
筑摩書房 |
|
物理講義 |
1975 |
講談社 |
|
外的世界と内的世界 |
1976 |
岩波書店 |
|
核軍縮への新しい構想 |
1977 |
岩波書店 |
|
科学者のこころ |
1977 |
朝日新聞社 |
|
Hideki Yukawa Scientific Works |
1979 |
岩波書店 |
|
私の創造論 |
1981 |
小学館 |
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関連情報
場所 |
説明 |
内容 |
西宮市苦楽園2市立苦楽園小学校 |
詩碑 |
「旅人」の一節 未知の世界を探求する人々は地図を持たない旅行者である。 |
兵庫県養父郡八鹿町浅間1257 伊佐小学校校庭 |
|
真理は一つ |
養父郡八鹿町伊佐小学校庭 |
詩碑 |
真理は一つ 世界は一つ |
受賞歴
受賞年 |
受賞内容 |
受賞作品 |
1940 |
学士院恩賜賞 |
|
1941 |
野間学術賞 |
|
1943 |
文化勲章 |
|
1949 |
ノーベル物理学賞 |
|
1977 |
勲一等旭大綬章 |
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兵庫ゆかりの作品
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