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兵庫ゆかりの文学

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林 芙美子

はやし ふみこ林 芙美子

  • 明治36~昭和26(1903~1951)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:福岡県門司市

作品名

扁舟紀行

概要

淡路は玉葱と水仙が非常によく出来るといふ話。この土地は球根類にいゝのかも知れない。北海道の玉葱といふのはきいた事があつたけれども、淡路の玉葱といふのは初耳である。今年は九万貫も出来たのだそうで、素晴しい話だと思つた。
玉葱、玉葱、玉葱、何といふフレッシュな野菜だらう。私は玉葱とトマトを酢にひたして食べるのが好きなので、淡路のどこかの宿屋で玉葱とトマトを山盛り出してくれるところはないものかと空想した。
夕食には膳の上に魚ばかり並んでゐた。
女中の話によると、市村と云ふところに淡路人形を使ふひとがゐると云ふ話をしてゐた。淡路人形と云ふのはきいてゐたけれども、私はまだ見たことがない。文楽の人形より大ぶりで歴史のあるものだと云ふことだけは知つてゐる。折角来たのだから、その淡路人形を見てみたいと思つた。
夕食も済んで燈火をひくく枕のそばへおろすと、暗くなつた空から白や茶色の蛾が部屋のなかへ次々とんで来た。星もない暗い空で、あんなに青い海だつたのが何処に消えていつてしまつたのか少しもみえない。たゞ汀へよせてゐる汐の音が、ざあざあと暗いところできこえるばかりだつた。宿の庭にはところどころ燈がついてゐたけれど、如何にも人里離れた感じで淋しい。
泊り客は私一人だとかで、夜になつてみてはじめてひとりの旅路のさみしさがしらじらとしてくる。早く床をのべてもらつて横になつた。なかなか眠れない。
何となく怖かつたので、燈火をつけて眠る。部屋が明るいので少しも安眠が出来ない。時計を何度か出してながめる。
いつのまにかうとうととして眼がさめたのは四時頃であつた。部屋には夜明け近くの涼しい風が吹きこんでゐる。瓦屋さんはもう起きて、あのおかみさんと二人で提灯をつけて瓦焼く小舎へ出掛けてゐるであらう。
誰かが起きて働いてゐるといふことは気強い気持だ。起きて縁側の硝子戸をあけてみる。

仄暗い海の上に千鳥が啼いてゐた――淡路島通ふ千鳥の鳴く声にいくよねざめの須磨の関守といふ歌が、いかにもこのすがすがしい夜明けにふさわしく浮んで来る。
昏い海の上をさへづつてゐる千鳥の声は、なんとなくひばりのやうでもあり、なまめかしく旅情をそゝられる。四時を少しすぎてから、東の海の上が筋を刷いた様に明るくなつて来た。寒いほどな涼しい海風が、硝子をゆすぶつて吹きこんで来る。しばらく千鳥のなく声をきいて、私は夜が明けてしまつてから深いねむりにおちた。

紺碧の湾の向ふにいろいろな島々がある
船や人の行きかへりの激しい島で
島の上には灌木がしげり
人々がやすらかに休息してゐる
密々と生いしげつてゐる桑園や
栄々ときほひだつてゐる海の松は
美しい生活をかたり愛をかたつた場所であらう・・・・・・
奔流のとゞろく海辺の向ふの幼い島々よ

眼がさめたのは八時頃であつた。
朝日新聞支局の森氏の御案内で、市村に淡路人形を見にゆく。市村の朝日新聞販売店の御主人も淡路人形をだいぶあつめてをられる由なので、たいへん好都合であつた。木炭自動車で素朴な街道を市村へむかつた。車窓から見る農家の屋根々々にはどの家も瓦葺きで、富裕な農村の印象をうけた。入母屋づくりの屋根々々が銀色にきらきら光つてゐるし、麦畑の色は金色にもえてゐる。如何にも豊年の田園の姿である。どの農家にも玉葱をつるす小舎が出来てゐた。市村へ行く途中を乞うて※(左側に石、右側に殷で一字)馭蘆島へ参拝する。伊奘諾、伊奘冊のお二人の神殿が天瓊矛を下界へおさしだしになつて、この瓊矛のさきからしたゝつた潮水が凝つて※(左側に石、右側に殷で一字)馭蘆島が出来たといふ伝説のあるところである。小山の松林にかこまれた簡素な宮居であつた。社殿は小さくて誰も置いておくのか古びた土器には冷酒がはひつてゐた。土皿に汲んでいたゞく。何となく甘いかをりがあつた。
(後略)

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 317?320P


(注)コンピューターシステムの都合上、該当の文字は表示できないため※で表示しています

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