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泉 鏡花

いずみ きょうか泉 鏡花

  • 明治6~昭和14(1873~1939)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:金沢市

作品名

天守物語

概要

時    不詳。ただし封建時代――晩秋。日没前より深更にいたる。
所    播州姫路。白鷺城の天守、第五重。
登場人物
天守夫人、富姫。(打見は二十七、八) 岩代国猪苗代、亀の城、亀姫。(二十ばかり) 姫川図書之助。(わかき鷹匠) 小田原修理。山隅九平。(ともに姫路城主武田播磨守家臣) 十文字ケ原、朱の盤坊。茅野ケ原の舌長姥。(ともに亀姫の眷属) 近江之丞桃六。(工人) 桔梗。萩。葛。女郎花。撫子。(いずれも富姫の侍女) 薄。(おなじく奥女中) 女の童、禿、五人。武士、討手、大勢。

舞台。天守の五重。左右に柱、向って三方を廻廊下の如く余して、一面に高く高麗べりの畳を敷く。紅の鼓の緒、処々に蝶結びして一条、これを欄干の如く取りまわして柱に渡す。おなじ鼓の緒のひかえづなにて、向って右、廻廊の奥に階子を設く。階子は天井に高く通ず。左の方廻廊の奥に、また階子の上下の口あり。奥の正面、及び右なる廻廊の半ばより厚き壁にて、広き矢狭間、狭間を設く。外面は山嶽の遠見、秋の雲。壁に出入りの扉あり。鼓の緒の欄干外、左の一方、棟甍、並びに樹立の梢を見す。正面おなじく森々たる樹木の梢。
女童三人――合唱――
此処は何処の細道じゃ、細道じゃ、
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
――うたいつつ幕開く――
侍女五人。桔梗、女郎花、萩、葛、撫子。各名にそぐえる姿、鼓の緒の欄干に、あるいは立ち、あるいは坐て、手に手に五色の絹糸を巻きたる糸枠に、金色銀色の細き棹を通し、糸を松杉の高き梢を潜らして、釣の姿す。
女童三人は、緋のきつけ、唄いつづく。――冴えてかつ寂しき声。

少し通して下さんせ、下さんせ。
ごようのないもな通しません、通しません。
天神様へ願掛けに、願掛けに。
通らんせ、通らんせ。
唄いつつその遊戯をす。
薄、天守の壁の裡より出ず。壁の一劃はあたかも扉の如く、自由に開く、この婦やや年かさ。鼈甲の突通し、御殿奥女中のこしらえ。
薄  鬼灯さん、蜻蛉さん。
女童一  ああい。
薄  静かになさいよ、お掃除が済んだばかりだから。
女童二  あの、釣を見ましょうね。
女童三  そうね。
いたいけに頷きあいつつ、侍女らの中に、はらはらと袖を交う。
薄 (四辺をみまわす) これは、まあ、まことに、いい見晴しでございますね。(注)
葛  あの、猪苗代のお姫様がお遊びにおいででございますから。
桔梗  お鬱陶しかろうと思いまして。それには、申分のございませんお日和でございますし、遠山はもう、もみじいたしましたから。
女郎花  矢狭間も、物見も、お目触りな、泥や、鉄の、重くるしい、外囲は、ちょっと取払って置きました。
薄  なるほど、なるほど、よくおなまけ遊ばす方たちにしては、感心にお気のつきましたことでございます。
桔梗  あれ、人ぎきの悪いことを。――いつ私たちがなまけましたえ。
薄  まあ、そうお言いの口の下で、何をしておいでだろう。二階から目薬とやらではあるまいし、お天守の五重から釣をするものがありますかえ。天の川は芝を流れはいたしません。富姫様が、よそへお出掛け遊ばして、いくら間があると申したって、串戯ではありません。
撫子  否、魚を釣るのではございません。
桔梗  旦那様の御前に、丁ど活けるのがございませんから、皆で取って差上げようと存じまして、花を……あの、秋草を釣りますのでございますよ。
薄  花を、秋草をえ。はて、これは珍しいことを承ります。そして何かい、釣れますかえ。
女童の一人の肩に、袖でつかまって差覗く。
桔梗  ええ、釣れますとも、尤も、新発明でございます。
薄  高慢なことをお言いでない。――が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。……餌の儀でござんすがね。
撫子  はい、それは白露でございますわ。
葛  千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。(隣を視る) 御覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。薄  ああ、真個にねえ。まったく草花が釣れるとなれば、さて、これは静にして、拝見をいたしましょう。釣をするのに饒舌っては悪いというから。……一番だまっておとなしい女郎花さんがよく釣った、争われないものじゃないかね。
女郎花  否、お魚とは違いますから、声を出しても、唄いましても構いません。――唯、風が騒ぐと不可ませんわ。……餌の露が、ぱらぱらこぼれてしまいますから。ああ、釣れました。
薄  お見事。
という時、女郎花、棹ながらくるくると枠を巻戻す、糸につれて秋草、欄干に上り来る。さきに傍に置きたる花とともに、女童の手に渡す。
(後略)

『夜叉ヶ池・天守物語』(岩波文庫)  P78?P83


(注)コンピューターシステムの都合上、該当の文字は表示できないため平仮名で表示しています(みまわす→めへんに句という文字)

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