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兵庫ゆかりの文学

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筒井 康隆

つつい やすたか筒井 康隆

  • 昭和9~(1934~)
  • ジャンル: 小説家・俳優
  • 出身:大阪市東住吉区

作品名

垂水・舞子海岸通り

概要

まず、朝起きる。
朝といっても、五時頃の時もあり、昼過ぎの時もある。昼過ぎはふつう、朝とはいわないが、ぼくにとっては朝である。
起きたばかりで、当然頭がぼんやりしている。そこで散歩に出かける。頭を冷やすためである。
坂を下り、垂水銀座という商店街に入る。
「文進堂」という、垂水ではいちばん大きい本屋があり、一日一度は必ずここをのぞく。本を買う時もあり、買わずに立ち読みだけする場合もある。
ぼくは、本を買うのはなるべく一軒の本屋さんで集中的に買う。ない本があってもよその本屋へ行かず、同じ本屋さんで註文してもらう。立ち読みを黙認してもらうためである。

商店街を抜けて垂水駅へ出る。国鉄と山陽電車の「垂水駅」が高架の上に並んでいる。この高架下が「たるせん」という商店街になっていて、いちばん西には食堂街もある。ひと昔前には考えられなかったほど賑やかになったそうだ。垂水にマンモス団地がいくつもできたからである。
高架の東のはずれ、垂水駅東口には「上島コーヒー店」がある。略称UCC。ぼくはいつもここでコーヒーを飲む。垂水ではいちばんコーヒーのうまい店であるが、欲を言えばブルー・マウンテン、ウガンダ・ロブスターといったストレート・コーヒーも飲ませてもらいたいものだ。「上島コーヒー店」は「たるせん」食堂街にももう一軒ある。神戸に「上島コーヒー」が多いのは、ここが本拠地だからである。今や東京はもとより、全国どこへ行ってもUCCの看板が目立つようになった。よくぞ発展し、よくぞ儲けたものだ。妻が学生時代、この上島さんのお嬢さんと同級だった。
コーヒーを飲んでしまうと、冬ならパチンコ屋へ行き、夏なら海岸へ行く。須磨水族館のあたりから朝霧まで、国道二号線山陽道が海岸沿いに走っていて、この通りには昔の宿場町のおもかげの残っている古い家並みがあったりする。大きな格子窓のある家など、いかにも街道筋の旧家といったたたずまいで、ぼくは大変好きである。
海岸へ出る。散歩するだけの時もあるし、泳ぐ時もある。釣船が浜に並んでいる。水は最近少し汚れているが、泳げぬこともない。
この海岸から西には、須磨浦公園まで、平磯の灯標以外たいしたものはないはずだ。この赤と黒の灯標は、海岸からはすぐ近くにあるように見えるので、ちょいと泳いで行けそうな気がする。しかしまあ、やめておいた方が無難だろう。このあたり、潮の流れは意外にはげしいからだ。だから泳ぐ時も、なるべく堤防の中で泳ぐようにしている。ときどきは堤防の上で釣りをしている連中に針をひっかけられたりもする。むこうにいわせればそっちが勝手にひっかかってきたというだろう。さいわい、釣りあげられたことはまだ一度もない。
国道の北側に海神社がある。
この神社の広い境内は国鉄垂水駅のプラットホームからも見おろせる。上津見とか中津見とか底津見とかいった、にごり酒の神様みたいな名前の三柱を祭っている。むろん、海の神様である。わが家を建てる時、ここの神主さんに地鎮祭をやってもらったし、息子が七五三で世話になったりするから粗末にはできない。境内の夜店はなかなか賑やかで楽しく、ぼくも息子の手をひいてよくぶらついたりする。神社正面には海に通じる広い道があり、そのはずれの砂浜に大鳥居があって、十月十一日にはみこしが海を渡る。
海神社の筋向かいが垂水警察署。まず、こういう警察署は日本では他にあるまい。洒落た木造の西洋館で赤い屋根、柱にはごてごてと装飾がされていて窓にステンドグラスの入った警察など、他のどこにあるか。もともとはこの建物、ある成金の別荘だったらしい。ぼくは猟銃の許可を得に二度ほど行ったが内部の階段や廊下もたいへん豪勢なものである。海に面した裏庭は芝生になっていて、射撃訓練用の標的さえなければ、ここが警察の庭とは誰も思うまい。頓馬な泥棒だと、金持の家と思って盗みに入るかもしれない。
国道二号線を西へ、西へと行く。
舞子公園のあたり、浜側に「亀屋」という目立たない、ちいさなうどん屋がある。この店の豚うどんというのが滅多やたらにうまいのだそうである。食えるのを楽しみに歩いたのだが、あいにく休みだった。一日に三百杯も売れるのだそうだ。
さらに西へ行くと、「移情閣」が見えてくる。有名な八角堂である。呉錦堂という金持の建てた別荘で、一時孫文もいたことがある。この建物のことはいろいろな人が書いているから、くだくだしい説明は省く。(後略)


(『筒井康隆全集 第十四巻』1984年5月 新潮社 所収)
『日本随筆紀行第19巻 神戸/兵庫 ふり向けば港の灯り』作品社 48?51P

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