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庄野 潤三

しょうの じゅんぞう庄野 潤三

  • 大正10~平成21(1921~2009)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:大阪府

作品名

文学交友録

概要

一 ティペラリー

(前略)

十年以上前のことになるが、私は神戸を主題にした「早春」という小説を書いた。これを書くとき、外語英語部の級友で、新聞社を定年で退職してから私にときどき便りをくれるようになった、神戸の下山手通に祖父の代から住んでいる佐伯太郎(先年、死去)と会って外語のころのことを語り合った。
その折、吉本先生の話が出ると、佐伯は、
「矢田のお家へ僕も一遍、お邪魔したことがあるんだ」
といい出した。佐伯は三年の夏休みに何人かの級友とともに海軍軍令部に徴用されて学業半ばに東京へ行き、のちに第一期の海軍予備学生として海軍に入隊することになった。入隊前に休暇が出て、東京から神戸の自宅へ帰った。吉本先生の矢田のお家へ行ったのは、そのことを報告して、お別れの挨拶をするためであった。
「酒を一本、さげて行ったかな。何しろ先生は愛酒家だったから、さげて行ったんじゃなかったかな。もうそんなものも手に入り難い時代だったけど」
「あの田圃のなかの一本道を歩いた?」
「うん、歩いた」
そんな会話が交された。そうしたら、吉本さん、よろこんでくれて、何でござります、それではお身体に気を附けて、というふうなことをいわれたんじゃなかったかな。こちらも、いずれ戦地へ行くようになるから、先生にお会いするのもこれが最後になるかなという気持があってね――と佐伯太郎は話した。そんなことが思い出される。
ついでにいうと、佐伯が矢田の吉本先生のお宅へ海軍予備学生隊入りの報告に伺った短い休暇の間に、佐伯は大阪帝塚山にいた私に連絡して、子供のころから親しく出入りしていた甲子園の叔母さんの家へ私を招いて、一晩泊めてくれたことがあった。その晩、佐伯は竹久夢二の絵入り詩集『小夜曲』というのを私に贈ってくれた。「昭和十六年十二月二日」の日附と私の名前(――君として)が入っていた。『早春』(一九八二年・中央公論社)は、日米開戦の前夜というべき時期に私に贈られた、紫いろのビロードの表紙の、チューリップとも木蓮とも見える花の図案の組合せがくすんだ金の箔押しで入ったこの絵入り詩集『小夜曲』がどうして私の本棚にあるのかという話から始まっている。
「いったいにロマンチックな性情に欠ける私のような人間のところに(それを私は近頃になって物足りなく思うようになってはいるのだが)この可隣な本が所蔵されているのを訝しく思う人がいたとしても不思議ではない」
と私は書いている。

(後略)


『文学交友録』 新潮社(新潮文庫) P.25〜27

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