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椎名 麟三

しいな りんぞう椎名 麟三

  • 明治44~昭和48(1911~1973)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:姫路市書写

作品名

思い出をたずねて

概要

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4
城崎は、いかにも山国という感じのする静かな温泉だ。泊った西村屋も感じのいい旅館で、丹前の上に、林さんが押し出しのきく河内山宗俊のようになり、小林さんが裕福な紀ノ国屋文左衛門のようになる趣味のいいこった羽織を客に出した。服地でつくったものである。夕食に出たここの松葉ガニは実にうまかった。だが、翌日町へ出ると、この松葉ガニがうるさくなった。カニを積んだリアカーが何十となく町を流していて、いたるところで私たちをつかまえるからである。土産に買って行けというのだ。しかもその売り手は、ほとんど老婆なので、断るたびにあわれに思えて、私のような気弱な人間は、だんだん罪ぶかい感じがして来るのである。
この温泉場は、細い流れをはさんで向かい合っており、それにいくつもの石橋がかかっている。このあたりは、古めかしいが温泉場らしい情緒があり、林さんもカメラをいそがしげにパチパチやっていた。勿論私は、そのたびに幾度も買いもしないリアカーの傍に立たされる破目になり、だから老婆たちへあやまってばかりいなければならなかったのである。
だがその私は、このあわただしい旅もここで終りだという感じがしていたのだった。
昼近く、城崎の観光協会のひとに案内されて玄武洞を見に行った。私は、二十二、三まで兵庫県に育っていながら、そして玄武洞の話をいやというほど聞いていながら、実際に見る機会にめぐまれていなかった。だがその話からいつの間にか私の頭のなかには、いかにも恐ろしげな奥ぶかい神妙な自然の洞窟というイメージが生まれていた。
平底の渡し舟にのって玄武洞駅の前から対岸へわたった。船頭さんは、附近の村のひとが毎日交代してつとめるのだという。賦役と逆で、つまりいい収入になるから家ごとの割当制になっているのだろうと思った。聞けば客が多くて忙しいときは、ひとり十円の渡し賃だが、一日二千円もの収入になるときがあるという。だが今日はひまらしく、その舟は、私たち一行のほかに、出かかった舟をよびとめてのった若い主婦だけであった。
玄武洞の近くは、雪があってひどく歩きにくかった。そして私は、長い間話に聞いていてまだ見たことのなかった玄武洞をまのあたりに見たのである。入口が三つほどあった。だがその洞窟の上の山の端から、水がしぶきをあげながら落ちているだけでなく、気ままなホースで水をまいているように、あちこちに場所をかえるので、危くて洞窟の方には近寄れなかった。
観光協会のひとの話によると、その洞窟は昔の採石場のあとだという。私のもっていた神秘の感情の幾分かは、その一言で消え失せてしまったようだった。人間のつくったもののなかへ浮浪者のように鬼や悪魔が住んでいるとしたならば、鬼や悪魔の威光にかかわるに違いないからだ。そして表から見ただけでも、人間にあらされたという感じの洞窟だった。しかもいまは崩れそうなので、危険で入ることができなくなっているという話だった。

私の少年のころに、尾上松之助、通称目玉の松っちゃんという映画俳優がいた。その松っちゃんが、この洞窟を背景にたくさん映画をとっているというのである。そう説明されると、自来也がドロンドロンと忍術をつかいながらあらわれて来た洞窟のシーンにここと同じような場所があったような気がして来たから妙である。
だが、全くその玄武岩の柱は壮大だった。大きな山全体が、無数の六方形の岩の柱になって結晶しているのにちがいないと思われ、その山の断面が採石によって切りひらかれて、ザクロがその実を見せるように、その山の内部をここに見せているといったようなものであった。見上げるばかりの高さの柱がぎっしりつめ込まれ、上部の上では、横になって群生している柱もあった。その一つ一つの柱は、六角形の碁盤の厚さの岩が積み重なってできているのである。丸いところがちがうが、菓子に棒状になっていて、食べるとき一つ一つはなれるようになっているドロップがあるが、それと同じようなのだ。だから上手な採石工は、その柱の根本の一つを巧みに抜きとることで、その柱をドウと倒して、何十枚何百枚のその碁盤の岩を一挙にとることができるというのである。

青竜洞の方も見に行った。だが洞窟はなく、その切りひらかれた山の断面に描き出している玄武岩の柱の波型模様が面白かった。たしかに自然は、人智をこえた不思議なものをつくり出して見せてくれる。しかしかわいそうに自然はそれを楽しむことを知らないのである。私は、それらの岩に満腔の親愛とあわれみを投げかけながら帰路についた。
それまで好天気つづきだった空もここではくずれはじめて、みぞれまじりの雨が降りはじめていた。

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(『椎名麟三全集 第十六巻』1974年7月 冬樹社 より)
『日本随筆紀行第19巻 神戸/兵庫 ふり向けば港の灯り』1987年4月10日
作品社 218?221P

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