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兵庫ゆかりの文学

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かわひがし へきごとう河東 碧梧桐

  • 明治6~昭和12(1873~1937)
  • ジャンル: 俳人
  • 出身:愛媛県松山市

作品名

玄武洞

概要

十一月十六日 半晴

嘗て写真と絵画とで見たポンペイの廃墟の一部が、ここに実現したやうな思ひをして玄武洞のとつつきにある左右の巨柱とも見える石層に対して立つた。巨柱の右側に絶えず水の滴つてをる辺りを、石層が近づく程斜に曲つて、鳥の尾を広げたやうになつてをる。直ぐに立つてゐたのが、埋没当時の大地震で潰えたのかとも疑はれる。斜になつた一層々々の屈曲は、計り知られぬある力で圧しつけられたものでなければならぬ。洞の中に入つて上を仰ぐと、天井は不規則な七八角形をした同じ大きさの木切れを寄せたやうな組天井になつてをる。我等の頭の上はゴス灰を薄くしたやうな石の色が木地で現はれてをるけれども、次第に奥に行くにつれて真蒼な苔が、その木地を覆ふやうになる。真蒼といつても、奥底に寂びのある重々しい色である。三色版に出た画の色とは全く趣を異にする。苔は天井を覆つた名残りで、尚洞の奥の扉まで染めて居る。扉ではなくて、浅い洞の行き止りであるけれども、ここにはひつた時から、何となく洞はこれぎりで盡きた心持はせず、中に一つの扉があつて、奥は底知れぬ穴になつてをるもののやうな気がした。扉は矢張り不規則な円柱を目に見えぬ釘止めにした、凸凹を自然のままに残した面テである。苔はその扉面をある処は濃く、ある処は淡く、色の配分と調子を取つたやうに一面を掩つてをる。ポンペイ当時の色彩に長じた画聖の名を何と言つたなどと回想して、洞の前に湛へた澄んだ水に見入つてをる時、同行した一碧楼が「これ許りの処かなァ」といふ。「存外面白ない」と出掛つた。予も洞を出ようとして、不図扉面の凸起した石の筋に、卒塔婆の形を彫りつけたやうな模様のあるを見た。さう思つて見ると、今迄気もつかなかつた扉面が、天蓋の形にも、幢幡の形にも、或は鐘銘や瓦礑などに似た模様で埋められてゐるやうにも思つた。
此夜由人庵泊。

『兵庫県文学読本 近代篇』のじぎく文庫 135?136P

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