じんざい きよし神西 清
- 明治36~昭和32(1903~1957)
- ジャンル: 小説家・評論家・翻訳家
- 出身:東京都
作品名
垂水
刊行年
1932
版元
山本書店
概要
二十年ほども昔のこと、垂水の山寄りの、一めんの松林に蔽はれた谷あひを占める五泉家の別荘が、幾年このかた絶えて見せなかつた静かなさざめきを立ててゐた。その夏淺いころ、別荘の古びた冠木門を、定紋つきの自動車に運ばれて來た二人の人物が、くぐつて姿を消したのである。その日ののち、通りかかる里の人々の目は、崩れかけた築地のひまから、松林の奥に久方ぶりの燭火の幽かにまたたくのを見た。
丁度その年の秋の末に、五泉家のごく身近かには、一つの婚姻が豫ての約束どほり果されようとしてゐた。では、立ち返つたさざめきは、直接それに因るものであつたらうか。いや、決して。婚姻がこの別荘に與へようとしてゐた影響は、餘所目にうつるそれほどに單純なものではなかつた。仰々しい心根の人なら、たやすく苦痛の呻きをあげたに相違ない不圖した過失からの責苦が、其處の住み手を捉へてるたのであつた。ただ、絲のもつれは、愼みを無邪氣な第二の天性にまで押しすすめてゐる此の別荘の人々の心の奥に宿つたため、そのままに破れ築地の内側に埋もれてしまひ、今も昔も變りない世の人心を喜ばせるための、公然とした取沙汰にならなかつたまでである。これには勿論、もう一つの理由として、二十年を溯つた頃のまだまだ物静かな時代の相も、一應は考へに入れる必要があらうけれども。‥‥
五泉男爵夫人李子は、厚母伯爵家の出であつた。彼女は十八歳で輿入れしてこのかた九年のあひだ、まだ一人の子もなかつた。それは一に彼女の病弱に歸せられてゐた。のみならず、彼女がその故に暗暗の裡に五泉家の京都の本宅を遠ざけられる事になつた一種の亂倫も、たとひそれが形影相伴はぬもので、實際は寧ろ男爵自身の亂行の反映と見た方が正しかつたにせよ、やはり幾分は彼女の病弱のせゐにしていいやうに考へられる。事實、病弱こそは、静養に名を借りたこの追放のための公けの理由ではなかつたのか。‥‥まだ、あらゆる事物の平俗化が充分でなかつた一時代前の貴族杜會には、病弱を唯一の理由として、恐らく永遠性をさへ帯びた別居へと、その嫁を追ひやつた五泉家の後室のやうな毅然たる無慈悲さは、よく見受けられたものである。つまりは、世に堪へる氣魂である。
かうして、久しい間見棄てられてゐた五泉家の垂水の別荘は、朽ち傾いた昔ながらの冠木門を開いて、この年若い男爵夫人を迎へ入れることになつたが、移り住んだのは彼女一人ではなく、曾根至と呼ばれる青年が同じ自動車の踏段を踏んで姿を現した。至は五泉家にとって遠い姻戚に當る、今は死に絶えた或る一族の遺子であつた。彼は幼い頃から五泉家に引取られて成長したのであつたし、また彼が、厚母伯爵家の當主である喬彦の妹麻子と殆ど生れ落ちるとからの許嫁の間柄であり、この厚母兄弟が常時須磨寺の里に住んでゐたことが併せて、彼の同行を極めて自然なものにしたのであつた。そのうへ、十九歳の夏を迎へた厚母麻子と彼との結婚の日取までが、二人の知らぬ遠い昔に何人かの手に依つて定められてゐて、前にも言つたやうにもうその秋に迫つてゐた。
曾根至が垂水に移ることになつたについても、五泉家の後室の密やかな下心の動きを探ることが出來る。彼はこの家に引取られて人となつたものの、その受けた待遇は一種奇妙なものであつた。手早に言へば、彼は或る敬遠のさびしさを味ひながら成長したのである。何がその原因なのか、一時代前のことは彼自身も知らぬ。それにせよ、表面にあらはれた瑣事に徴しても、尊重されてゐるのは彼自身ではなく、その偶然に生を享けた「家系」の形骸であるのを察するには足りた。このやうな生れながらの差別が、或る時には彼の胸に加へられる抑壓となり、或る時には鳩尾の邊りを撫でさする取澄した柔媚の諂ひとなつた。彼は次第にこの待遇に慣れて行つた。と言ふのは、彼の心のうちに、貴族社會の冷やかなほど筋目正しい秩序に育てられて、顯貴――特にそれが装ふあらゆる何氣ない幸福の表情の根に横はる一種の密かな特權に向けて、彼の侮蔑と野心とが冥々の裡に芽生え、極く自然な生長を遂げて行つたといふほどの意味である。侮蔑によつてそそられながら、彼の欲望はかなり強いものになつてゐた。その爲、數年まへ同志社に入學した春ごろ、初めて公然と厚母麻子との婚約關係を後室から告げ聴かされたときにも、彼はほとんど何の不満も満足も感じはしなかつた。總てが當然とも言へぬ、取るに足らぬことに思はれた。彼の死んだ家系が一人の伯爵家の娘に値するなら、彼自らの力で購へるものは果して何であらうか。この想像の中に、彼のあらゆる僻みも傲りも、またいらだたしさもが發してゐる。曾根至はこの登攀についての告知を、そ知らぬ顔で目をつむつて聞いた。‥‥何故なら彼にあつて一つの登攀は、反抗によつて蒼ざめた彼の前額にさらに一抹の蒼白を加へる、新たな取留めのない欲望の誕生であつたから。
‥‥かうした約束の錯綜の姿に、讀者は定めし或る煩はしさを感じられるに違ひない。けれどどうぞ、此等の人物の性格の底に、暗い術策のやうなものは何も期待しないで戴きたいものである。そしてもし、そのやうな影がほの見えることがあつたとしても、それは偏へに私の筆のたどたどしさに歸して戴きたい。何故なら、この物語の人物たちは、自らの性格の複雑さに何の煩ひも感じない人達であつたから。――むしろ複雑さこそは、彼等をわざとらしさから救ふのであつた。つまり彼等は、あらゆる陰謀の不自由さを苦にするどころか、その生れながらの優しい氣品なり氣位なりに依つて、却つてそれを人の世のなだらかな流れと觀ずる人達であつた。この傳統的な美質のお蔭で、彼等の心はいつも春のやうにおつとりしてゐた。
(後略)
『神西清全集・第二巻』文治堂書店 P.211?214